MIM-3_(ミサイル)
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MIM-3 ナイキ・アジャックス可搬式発射機上のナイキ・アジャックス
種類地対空ミサイル
製造ウェスタン・エレクトリック
就役1953年[1]
性能諸元
ミサイル直径0.3 m
ミサイル全長ミサイル本体: 6.40 m
ブースター部: 4.21 m
ミサイル重量ミサイル本体: 450 kg
ブースター部: 660 kg
弾頭HE破片効果×3個 (5.44+81.2+55.3 kg)
射程48 km
射高21,300 m
推進方式ブースタ: 固体燃料ロケット
サステナ: 液体燃料ロケット
誘導方式指令誘導
飛翔速度マッハ2.3
価格19,300 USドル1958年[2][注 1]
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MIM-3 ナイキ・アジャックス(英語: Nike Ajax)は、アメリカ陸軍が運用していた地対空ミサイルである[1]ナイキミサイルの最初の型として実用化され、アメリカ合衆国本土防空を担った。当初の制式名はSAM-A-7、後にM1と呼ばれる。
来歴

第二次世界大戦末期の1944年、アメリカ陸軍は高射砲に代わる地対空ミサイルについての構想をまとめ、1945年、ウェスタン・エレクトリックベル研究所およびダグラス・エアクラフトなどが協力して開発に着手した[1]1946年秋からホワイトサンズ射場で実射試験が開始され[1]、まず1951年7月までに65発を射撃して部品開発と実証試験を行った[3]

1951年10月よりナイキIのフル構成での実証試験が開始され、同年11月27日には69発目のミサイルによって空中目標への初飛行が行われた[3]。ミサイルには弾頭のかわりにごく少量の爆薬のみが搭載されており、上空33,000フィート、12マイルを飛行していた遠隔操作のQB-17ターゲット・ドローンから57フィート離れた地点で炸裂した[3]1952年4月10日・24日には、3軍の高官の観閲のもとで実弾による射撃が行われ、いずれも目標の撃墜に成功し、ナイキIが運用可能な状態にあることが実証された[3]1953年12月にはフォート・ミードに、また1954年5月にはボルチモアにも高射中隊が配備されており、1957年3月には北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)隷下の実戦即応SAM部隊として認定された[1]

なお開発途上の1947年陸軍航空軍空軍として独立した後、局地防衛および野戦防空用の地対空ミサイルは陸軍、地域防空用の地対空ミサイルは空軍の担当と分担されることになり、本ミサイルは引き続き陸軍が所管することになっていた[1]。また1950年代に入ると、ナイキB(後のナイキ・ハーキュリーズ)およびナイキII(後のナイキ・ゼウス)といったその他のナイキミサイルと区別する必要から、本ミサイルはナイキIと称されるようになっており、最終的に1956年11月15日にナイキ・アジャックスと改称された[4]

その後、1958年にシカゴ地区の部隊にナイキ・ハーキュリーズが配備されたのを皮切りに、アジャックスは順次にハーキュリーズに更新されていき、全米に130個中隊のハーキュリーズ部隊が配備された[1]
設計

ナイキ・アジャックスシステムは、ミサイル本体のほか、捕捉レーダー(Low-Power Acquisition Radar, LOPAR)と目標およびミサイル追尾レーダー(TTRおよびMTR)、計算機、発射機およびミサイルの6つの機能から構成されている[4][5]
ミサイル本体

ブースタとしてはアレゲーニー弾道学研究所 (ABL) のM5固体燃料ロケット(推力246 kN、燃焼時間3秒)、サステナとしてはベル・エアクラフト液体燃料ロケット(推力11.6 kN)を搭載した[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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