MCAレコード(MCA Records, Inc.)は、アメリカ合衆国のレコード会社。総合娯楽企業ミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ(MCA)の音楽部門。母体はイギリスのデッカ・レコード(英デッカ)の米国法人(→米デッカ)。MCAは米デッカを1962年に買収し、1973年にMCAレコードと改名した。詳細はen:MCA Inc.
を参照。1996年にユニバーサルミュージックと改名。1998年にはポリグラム(英デッカを傘下に持つ)と合併して巨大レコード・レーベルとなった。
在籍したアーティスト
スティーリー・ダン
エルトン・ジョン
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ
ボビー・ブラウン
ジョディ・ワトリー
ガイ
ワン・ウェイ
レクスン・エフェクト
ルパート・ホームズ
ホット・チョコレート(UK)
レーナード・スキナード
etc…
日本での事業
MCAレコード
1969年に米デッカとテイチクとの契約解消を期に、日本ビクター(現:JVCケンウッド)の音楽レコード事業部(後にビクター音楽産業へ分社・独立を経てビクターエンタテインメントとなる)が販売を担当していた。
ビクターに販売権があった1970年代の一時期は、日本コロムビアから移籍してきた扇ひろ子[2]と守屋浩等を始め、松崎しげるや頭脳警察[3]等がMCAレーベルから作品をリリースしていた。
1984年から1991年まではワーナー・パイオニア→WEAミュージックが日本盤の販売を担当していた。
MCAビクター/ユニバーサルビクター
1990年 - 松下電器産業(現:パナソニック)・日本ビクター・ビクター音楽産業の3社の出資によって、MCAビクター株式会社設立。
1991年 - 発売開始。但し、当初は前発売元のワーナーミュージック・ジャパンより移管した旧譜を中心としたラインナップだった。
J-POPアーティストでは、10月に第一弾として浜田麻里のシングル・アルバムを皮切りに、LUNA SEA・中森明菜・hide・少年ナイフ等が所属。
1997年7月 - ユニバーサルビクターに社名変更。
2000年5月 - ユニバーサルミュージックに制作と宣伝が統合され、同社の1レーベルとなった。尚、統合後ユニバーサルビクター創設者の岩田廣之が同社会長に就任している。[4]
統合後、制作セクションが
ユニバーサル(規格品番は2000年9月発売分よりUU○H-○○○○。2002年7月発売分以降、福山雅治等の関連作品以外は、UP〇H-○○○○を使用)
洋楽アーティストはユニバーサル・インターナショナル(規格品番はUI○□-○○○○。□はレーベルの頭文字を当ててある)
旧譜カタログはUSM JAPAN(邦楽品番はUP○Y-○○○○、洋楽の旧譜はUI〇□-○○○○)
それぞれ移管される事になった。統合後も規格品番は2000年8月発売分まではMCAビクター時から引き継いだ上で採番されていたが、2000年9月発売分以降の規格品番は新品番を使用する事になった。[5]また邦楽の新譜価格は同レーベルのみアルバムはビクターと同じく税抜価格2,900円に設定されていた。[6]
2001年 - ポリドールと制作セクションが集約・統合され、ユニバーサルポリドールへ刷新。
2002年 - ユニバーサルポリドールがキティMMEと集約・統合され、ユニバーサルミュージックの邦楽セクションがユニバーサルJに一括された。
2004年 - ユニバーサルJからキティMME時代に所属していたアーティストが新設のユニバーサルシグマへ移管され、同社の邦楽セクションは2つに分けられた。
2007年 - ユニバーサルJからスピッツ等を除くポリドール時代所属アーティスト[7]が新設されたNAYUTAWAVE RECORDS[8]に移管され、これを機にユニバーサルJは実質的にMCAビクターの流れを組むセクションとなる。
2012年 - LUNA SEAがavex traxよりユニバーサルJへ移管。[9]
2014年 - 中森明菜の制作セクションがユニバーサルJへ移管。
2023年 - 「ポリドール・レコード」のレーベルが復活、それに伴い、全所属アーティストが「ユニバーサルJ」から自動的に転籍した。
所属歴のあるアーティスト
ICE
ARB
a.mia
押尾学/LIV
小谷美紗子
Kaco
CUNE
筋肉少女帯
catenine
佐藤竹善
javjav
少年ナイフ
SHUUBI
J
頭脳警察
TOKIO
中森明菜
NIPPS
HASE-T
PAPA B
浜田麻里
BARGAINS
hide
ひふみかおり
PIERROT
平松愛理
福山雅治