MAUD委員会
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MAUD 委員会の最終報告、第1ページ。

MAUD委員会(モードいいんかい、MAUD Committee)は第二次世界大戦中のイギリス原子爆弾の可能性を探るために設けられた科学者からなる委員会である。 1941年に委員会はウラン濃縮とそれによるウラン爆弾が技術的に可能だとする報告を提出し、これがアメリカ政府に伝えられて原爆開発計画の直接の開始要因となった。

日本語では MAUD の読みをとってモード委員会とカナ書きされることもある。 この委員会名となっている MAUD は Military Application of Uranium Detonation(ウラン爆発の軍事応用)や Military Application of Uranium Disintegration(ウラン分裂の軍事利用)のような語の頭字語とされることがあるが[1][2]、実際には、偽装として電報文から選ばれた名称であり、特に意味のないものであった[3][4]#MAUDという名称の節を参照)。
概要

1939年、ウラン核分裂による連鎖反応の可能性が明らかになっても、ウランの同位体ウラン235濃縮が技術的に実現できなければ、原子爆弾は事実上不可能であると考えられていた。 しかしイギリスに亡命していた科学者オットー・フリッシュルドルフ・パイエルスが、ウラン235単独での絶大な破壊力をもつ小型の爆弾が可能であり、分離が必要な量はわずかで済むとの見積もりをだしたことで、ウランを用いた原爆の真剣な検討が始まることになった。 イギリスはナチス・ドイツとの激しい戦いが続く中、1940年4月に科学者による MAUD 委員会を組織し、そのウラン原爆の実現可能性を検討させ報告を提出させることとした。

委員会に参加した物理学者ジェームズ・チャドウィックや化学者フランシス・サイモン (Francis Simon) らは、実験によって爆発に必要な臨界質量を正確に見積もるとともに、ウラン濃縮の有効な方法について研究を進めた。 これによって1941年7月に提出された MAUD 委員会の最終報告書は、多額な経費が必要であるもののウラン濃縮は可能であり、数年以内に比較的小型で強力な破壊力をもつウラン爆弾が実現可能であると結論し、アメリカと協力しながら早急にそれを開発すべきであると勧告することとなった。

当時、アメリカは依然戦争に参加しておらず、原爆開発にも慎重な見方が強かったが、この報告が1941年夏以降に伝えられ、また委員会の一員であるマーク・オリファントがアメリカに開発を強く勧めたことが大きなきっかけとなって、その年の末までには本格的に原爆開発へと踏み出すこととなった。 イギリスでもチューブ・アロイズと呼ばれる原爆開発計画が開始されたが、戦況の悪化や資金不足により、やがてこのアメリカのマンハッタン計画へと組み込まれていくことになった。
経緯
核分裂の発見

1939年1月のオットー・ハーンらによる実験と、リーゼ・マイトナーと甥のオットー・フリッシュ によるその理論的解釈によって、ウラン原子核が低速中性子照射により、日常的な化学結合エネルギーの数億倍のエネルギーを伴って分裂するという新たな現象を引き起こすことが示された[5][6]。 この核分裂の発見という驚くべきニュースを受けて、3月にはエンリコ・フェルミレオ・シラードフレデリック・ジョリオ=キュリーの3グループがウランの核分裂にともなって複数の高速な二次中性子が放出されることを相次いで確認した[7][8]。 これは、ウランが連鎖反応を起こす可能性、すなわち二次中性子が指数関数的に増大しながら核分裂を連鎖的に引き起こし、条件次第ではすさまじい爆発を起こすという可能性を示していた。

しかし核分裂を起こしているのは天然ウランに 0.7 % だけ含まれる同位体で、エネルギー的に不安定な奇数の原子量をもつウラン235であると思われた[9][10]。 多くの物理学者は有効な連鎖反応を起こすには、ウラン235を、化学的性質が同じで質量がわずかに異なるだけのウラン238から大量に分離せねばならず、それは技術的にほとんど不可能なことだと考えていた。 当時の指導的物理学者であったニールス・ボーアはその困難さについて「合衆国をひとつの巨大な工場にでも変えない限りできるわけがない」と述べたとされる[11]

一方、同位体の比率を変えない天然ウランのままでの連鎖反応の可能性もあったが、フリッシュの見積もりでは、低速中性子による天然ウランのみの反応では時間がかかり過ぎ、熱膨張蒸発によって連鎖反応が阻害されるために爆弾としては巨大な爆発には至りそうになかった[12]ナチス・ドイツから逃れコペンハーゲンにいたフリッシュは、開戦の危機が目前に迫る中、1939年夏にはイギリスバーミンガム大学マーク・オリファントの元へと移り、すでにドイツからイギリスに移っていたルドルフ・パイエルスと知り合っていた。 このパイエルスもまた、連鎖反応維持に必要な臨界質量の自らの公式を当てはめて、天然ウランではそのために何トンものウランが必要であり、有効な爆弾となりそうにはないと見ていた[13][14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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