M61_バルカン
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M61 バルカン

種類6砲身ガトリング砲
原開発国 アメリカ合衆国
運用史
配備期間1959年-現在
配備先アメリカ合衆国/NATO
関連戦争・紛争ベトナム戦争, 湾岸戦争, 対テロ戦争
開発史
開発期間1946年 - 1956年
製造業者ゼネラル・エレクトリック
派生型以下参照
諸元
重量

248ポンド (112 kg)(給弾装置は含まない)(M61A1)または202ポンド (92 kg)(給弾装置は含まない)(M61A2)
(HEI)100g(3.5oz)(弾丸
全長71.93 in (1,827 mm)

弾丸20×102mm弾
口径20mm(0.787in)
銃砲身6本
作動方式自動機構: ガトリング方式
動力源: 電動 / 油圧 / 空圧
発射速度毎分6,000発(M61A1)
毎分6,600発(M61A2)
初速3,450フィート毎秒 (1,050 m/s)(PGU-28/B弾を使用時)
装填方式ベルトまたはリンクレス給弾装置
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M61 バルカン (M61 Vulcan) は、アメリカ合衆国ゼネラル・エレクトリック (GE) 社が開発した20mmガトリング砲航空機関砲艦艇・地上部隊用の低高度防空用機関砲として用いられる。

日本においては、開発時のコードネーム、および製品名であるバルカン(Vulcan:ローマ神話に登場する火神。ギリシア神話鍛冶ヘーパイストスに相当する。) の名で知られる。
来歴

第二次世界大戦の終結時、アメリカ軍は、ジェット戦闘機の登場とともに航空機関砲への要求事項が変化したことを認識した[1]。目標となる航空機の高速化とともに、短時間でより多くの弾頭を、しかも高初速で投射することが求められるようになったことから、アメリカ陸軍武器科海軍は、より高性能の航空機関砲についての研究を開始し、産業界や研究機関との間で、空戦に適した高性能機関砲の開発およびコンセプトモデルの製作についての契約が締結された[1]。当時、ゼネラル・エレクトリック社はM24A1を用いた爆撃機の自衛用機関砲システムの開発に取り組んでいたが、その過程でより高性能の機関砲の必要性をいち早く認識したことで、ガトリング砲の原理を近代化した新型機関砲の開発に着手、1946年にはスプリングフィールド造兵廠からの契約を受注した[1]。この開発計画はまもなくバルカン計画と称されるようになった[2]

1949年には最初の試作品であるT45(モデルA; .60口径)が試験に供され、有望な成果を示した一方で、発射速度(毎分2,500発)は更に向上させる余地があり、また重量(426 lb / 193 kg)は軽減の必要が認められた[1][2]。10挺が試射に用いられ、F-94戦闘機に搭載しての試験も行われた[1]。その成果を踏まえ、次の試作品として開発されたのがT171E1(モデルC)であり、20ミリ口径に大口径化するとともに、発射速度は毎分4,000発に向上、重量は166キロ(365 lbs)に軽減された[1]。1953年から1955年にかけて33門が製作されて70万発以上の試射が行われ、動作不良率は9,000発に1回という信頼性であった[1]。更に部品点数を576点から448点に削減するとともに、重量も119キロ(262 lbs)に減少させた改良型としてT171E2(モデルD)が開発された[1]。1954年12月に薬莢の変形という問題が生じたものの改修キットによって解決され、また1956年4月以降の出荷分は、そのキットを当初から組み込んだT171E3に移行した[1]

1956年12月にはT171E3の開発は完了したものとみなされるようになっており、1957年12月、T171E3はM61として制式化された[1][2]。その後も改良が重ねられており、1959年にはリンクレス式の送弾機構を導入したM61A1が、また1989年には軽量化を図ったM61A2が実用化されている[2]
構造展示されるJM61A1
M61A1を住友重機械工業にてライセンス生産したもの
自動機構

本砲は、6本の砲身を束ねたガトリング砲である[3]。6本の砲身はそれぞれ各1個の遊底を有し、外部動力によってハウジング内部のロータで反時計周りに回転をすることで射撃が行われる[3]。ハウジング内壁にはカム経路が形成されており、各遊底はロータの回転に伴って、このカム経路に従って可動し、下記のような工程を繰り返す[3]
送弾 - 砲弾が薬室後方に配置される。

装填 - 砲弾が薬室内に挿入される。

閉鎖 - 遊底が薬室を閉鎖し、撃発できる状態とする。撃発は電気式である。

開放 - 撃発後、薬室を開放する。

抽筒 - 薬莢を薬室から引き出す。

蹴出 - 薬室から引き出された薬莢が排出される。

これらの工程を繰り返すための外部動力としては、電気モーター油圧モーターの双方が使用できるほか、ガンポッドとして搭載する場合にはラムエア・タービンが用いられる場合もある[2]。またファランクスのブロック1ベースライン1では空圧式の駆動方式が採用された[4]。なおガス圧作動方式に変更した派生型としてGAU-4/A(陸軍での呼称はM130)も開発され[5]、ガンポッド用として用いられたものの[6]、こちらは1972年には生産終了となった[5]
送弾機構

バルカン計画の初期段階から、標準的なリンクによる給弾では、砲の性能を制約してしまうことが指摘されていた[7]。この砲は0.4秒で毎分6,000発という最大発射速度に達し、またその最大発射速度から射撃停止までにも同程度の時間を要するため、全く新しい弾倉や送弾機構が求められていた[7]。最初にF-104に搭載された際には、リンクの投棄機構の問題から、最大発射速度は毎分4,000発に制限された[2][8]

その後、コンベアを用いたリンクレス式の送弾機構が開発され、M61A1で導入されて、まもなく標準的に用いられるようになった[2][8]。この機構では空薬莢を弾倉に戻して収容することもできるが[7]、これは排出した空薬莢が機体にあたって損傷するリスクを排除するとともに、機体の重心の移動も軽減できるという点で望ましい機能であった[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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