M3装甲車
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M3A1スカウトカーM3スカウトカー
基礎データ
全長5.6 m[1]
全幅2.0 m[1]
全高2.0 m[1]
重量4 t[2]
乗員数操縦手のほか7名
装甲・武装
装甲6.4mmから12.7mm
主武装12.7mm ブローニングM2重機関銃
副武装7.62mm ブローニングM1919機関銃
機動力
整地速度89 km/h[1]
不整地速度48 km/h
エンジンハーキュリーズJXD5.2リッター[2]サイドバルブ[2]直列6気筒ガソリンエンジン、圧縮比6.5[2]、ゼニス モデル29キャブレター[2]
110 hp/ 82 kW
懸架・駆動リーフスプリング式、四輪駆動
行動距離403 km
出力重量比19.4 hp/t
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M3装甲車(M3 Scout Car、M3スカウトカー)とは、第二次世界大戦中にアメリカ軍によって使用された斥候(スカウト)用装甲車である。この車輛はまた、製造社の名前であるホワイト・モーター社にちなんでホワイト・スカウトカーとしても知られる。本車は警備偵察指揮、連絡、救急牽引などを含む様々な任務に投入された。
開発経緯

設計クリーブランドに拠点を持つホワイト・モーター社によって1937年に始められた[1]。これは6.4mm厚の表面硬化された装甲を持った[2]四輪駆動[2]、機構的には、サイドバルブガソリンエンジン、前進4速・後進1速のノンシンクロ・コンスタントメッシュ方式変速機[1]2速のトランスファーリーフリジッドサスペンション[2]、ノンアシストステアリング[1]など、平凡かつ堅実なものであったが、この時代の自動車としては珍しい、真空倍力装置付きブレーキを備えていた[2]ホイールベースは3,300mm、トレッドは1,657mm、車輪は幅220mm、径510mmである。通常、12-plyの軍用タイヤを装備した[1]。燃料容量は110リットルである[1]

原型車輛は64輌が発注され、全車が第7騎兵旅団へ配備された。最終的にアメリカ陸軍では改良型を採用することに決定し、これをM3A1と呼称した。この新型は車体を延長し、拡幅していた。車体前面のバンパーには超用のローラーが取り付けられた。M3A1は最大7名の歩兵を乗せられ、火力支援として3挺の機関銃を装備した。12.7mm口径の機関銃、および2挺の7.62mm口径機関銃である。これらの兵器は車体の周囲にめぐらされたレール上を滑動できた[2]

M3A1の生産は1940年に始まり、1944年に終了したが、この間に20,918輌が生産された[2][1]

本車の設計はM3ハーフトラックのような後のアメリカ軍半装軌式車輛、また戦後のソビエト連邦軍BTR-40の設計に影響を与えている。初期のM2ハーフトラックはレール滑動式の機関銃架と装甲配置を模倣した。
戦歴第一次中東戦争時、イスラエルで使用された改造型。イスラエル仕様の後部。本車はラトルン戦車博物館に展示されている。

移動方法がから自動車に変わっても、騎兵の任務は伝統的に偵察と索敵で、本車は主にアメリカ陸軍の騎兵隊部隊が装備した。また高性能無線機を搭載して装甲指揮車としても使用された。

M3A1の最初の戦闘は1941年から1942年フィリピン戦であり、その後北アフリカ戦線シチリア侵攻にも投入された。1943年の中期、本車は設計に起因する防御力の脆弱さ、砲を持たないが故の火力の不足、貧弱な路外走行能力などから前線から引き上げられ、大多数のアメリカ陸軍の部隊はM3A1からM8グレイハウンド装甲車またはM20装甲車、あるいはM3ハーフトラックへ装備改編した。しかしながら少数のM3A1が部隊に保持され、ノルマンディー上陸作戦にも投入された。また太平洋戦線においてはアメリカ海兵隊でも使用された。ただし戦闘には全く投入されていない。

M3A1はまた、レンドリース法によってソ連赤軍に供給された(3,034両。これらの車輌は最終的に1947年まで軍務に投入された)ほか、イギリス自由フランス軍ベルギーチェコスロバキアポーランド軍の部隊に供給された。戦後、多数の車輌がアジアラテンアメリカ諸国へ払いさげられた。ソ連赤軍では本車は通常、偵察車輌として用いられたが、それを支援する偵察砲兵部隊のZiS-3 76mm野砲牽引車としても用いられた他、戦争を通じて広範な任務に充てられた。イギリス軍と自由フランス軍においてM3A1は砲兵観測車として使用されたほか、救急車、捜索任務に用いられた。

戦後、M3A1は1948年第一次中東戦争イスラエル国防軍に用いられた。いくつかのM3A1は戦闘室を完全装甲化し、旋回式の銃塔を設け、ドイツ製のMG34機関銃を銃塔と助手席に装備し、サンドイッチ装甲車と呼ばれる即製の改造装甲戦闘車輌として用いられた。フランスではM3A1を第一次インドシナ戦争およびアルジェリア戦争に投入した。1990年代後半、唯一軍務に本車を投入していたのはドミニカ共和国であった。
使用国パットン将軍の搭乗車。救急車に改造された車輛。

オーストラリア

ベルギー


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