M-1グランプリ
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^ 2012年から「ABCお笑いグランプリ」に名称変更・リニューアルされた。
^ 2014年から演芸部門が「NHK新人お笑い大賞」に名称変更・リニューアルされた。
^ 日清食品によると「ミルクボーイがやる気を失っていた5年間に掛けて、日清食品の商品5年分を贈呈した」。ミルクボーイは2010年、『M-1』が一時終了した際に心が折れて5年間漫才から遠のいた時期があり、それに掛けた。
^ セブン-イレブンで放送翌日から1週間開催。
^ この年に優勝したウエストランドは659点だった。
^ 第1回大会の最終審査は、特別審査員7名が順番にボタンを押して投票する形式だった。そのため、この表では審査員を席順ではなくボタンを押した順番に左から並べている。なお、5人目の春風亭小朝が中川家に投票した時点で中川家の優勝が確定したが、その後も投票は続行された。
^ 敗者復活組
^ a b c d e f g h i j k l 過去にシード歴あり。
^ 第10回(2010年)までのシード組のエントリーNo.は、ノーシード組よりも後ろに配置されるはずだが、第3回(2003年)の2丁拳銃はこの法則から外れている。
^ 所属事務所のM2カンパニーがホリプロ傘下に入り社名変更。
^ a b c 当時は4月を基準としていた(#用語を参照)ため、同年の1月から3月までに結成したコンビはこの年がラストイヤーだった。
^ 第12回大会(2016年)では、かつて2013年3月まで松竹芸能に所属していた、さらば青春の光が決勝に進出している。
^ 生放送時のテロップでは同じ順位のまま。
^ 生放送時のテロップではミスでエントリーNo.の下に表示されるはずの名前が現れなかった。
^ 生放送時のナレーションは「暴発するイケメン漫才」になっていた。
^ 生放送ではミスでテロップが流れなかった。また、再放送では「秋葉系カリスマ芸人」に変更されている。
^ 第5回(2005年)では欠場。優勝者特典の無期限シード権を適用。
^ a b c d 本来は2000年4月結成だが、コンビ結成直後に塙宣之が事故に遭い、相方の土屋伸之が1年間ピンで活動することになったためか、2001年5月結成とみなされ、2010年大会でも出場できた。その後、大会復活時の参加資格の改定により、最終的に2016年がラストイヤーとなった。
^ 他のコンビとは異なる書体が使用されている。
^ NON STYLEは大阪吉本の出身であり、東京進出後の優勝。東京吉本出身コンビの優勝は第11回(2015年)のトレンディエンジェルが初。
^ オフィス北野からフリー期間を経て2009年夏に移籍
^ それ以前の最高評点も同じく紳助が笑い飯に評点した99点(第3回)。
^ 『THE MANZAI』は2015年以降コンテスト形式で行われていない。
^ a b 参加資格が「2000年5月以降結成」とされたため、2001年4月結成のパンクブーブーは規定上のラストイヤーとなっていた。その後、2015年の復活時に「15年前の1月以降結成」に改正された事で、最終的に2016年大会がラストイヤーとなった。
^ 結成7年だが、当時は最後の大会とされていたため、全組がラストイヤー扱いだった。
^ 2013年8月にジェイピィールームから移籍
^ ソーセージとして過去にシード歴あり。現行コンビでのシード歴はない。
^ M-1グランプリとキングオブコントの「2冠」の意味(かまいたちは同年のキングオブコントで優勝している)。
^ 三島達矢はバルチック艦隊として過去にシード歴あり。現行コンビでのシード歴はない。
^ 第15回(2019年)では不参加。今大会限定の「準決勝経験コンビ」へのシード権を適用。
^ 第15回(2019年)では準々決勝敗退。今大会限定の「準決勝経験コンビ」へのシード権を適用。
^ 漫才協会にも合わせて加入している。
^ a b 当時の規定「コンビ結成10年未満」ではこの年がラストイヤーだったが、規定が「コンビ結成10年以内」に変更されたため、翌年も出場可能になった。
^ 2002年に「フリーゲートプロモーション」から社名変更。ただし、第2回では旧事務所名のまま出場した。
^ 2003年1月に『ホリプロ』から移籍。
^ a b 現在のコンビ名での活動は2002年からだったため、出場できた。
^ a b c 1998年に一度解散し、2004年より再結成したため出場可能であった。
^ 現・スーパーマラドーナ。
^ 現・かまいたち。
^ 同年4月、前・所属事務所「サワズカムパニー」の吸収合併による移籍
^ 本業である吉本新喜劇への舞台出演のため。
^ メンバーの浅越ゴエが体調不良のため、準決勝も同理由で欠場。
^ 本来ならば前大会(2007年大会)がラストイヤーとなるが、1999年に現コンビ名としての活動を開始したことから特例で認められた。
^ 同年6月に「三木プロダクション」から移籍
^ 2007年まで「マラドーナ」として出場。一時解散の後、2008年に現コンビ名で再結成。
^ 公式サイトでは「オスカープロモーション」のみ記載。同年9月、ハチミツ二郎のみがオフィス北野を退社し、マネジメント契約を締結(相方の松田は引き続きオフィス北野に所属)。
^ 第10回(2010年)の規定改定により今大会で一度ラストイヤーとなった。その後、2015年の大会復活を前にコンビを解散。
^ 同年4月に「鎌鼬」から改名。
^ a b c 第10回(2010年)の規定改定により今大会で一度ラストイヤーとなったが、第11回(2015年)での再度の規定改定により、最終的に2015年がラストイヤーとなった。
^ a b 第10回(2010年)では参加資格が「2000年5月以降結成」とされたため、4月結成のタイムマシーン3号は第9回(2009年)がラストイヤーとなるはずだが、第10回(2010年)でも出場した。その後、第11回(2015年)での再度の規定改定により、最終的に2015年がラストイヤーとなった。
^ 同年9月に「ジパング上陸作戦」から改名。
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