LUNA_SEA
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音楽アルバムについては「LUNA SEA (アルバム)」をご覧ください。

LUNA SEA
左からJ、INORAN、RYUICHI、真矢、SUGIZO(2013年、シンガポール
基本情報
別名LUNACY(旧称)
出身地 日本神奈川県秦野市
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ヴィジュアル系[1]

ハードロック[1]
オルタナティヴ・ロック[1]
活動期間

1989年 - 2000年

2010年 -

レーベル

Extasy

MCA

HPQ

ユニバーサルミュージック

事務所

SWEET CHILD(1992年 - 2000年)

LUNA SEA Inc.(2011年 - )

公式サイトLUNA SEA

メンバー

RYUICHIボーカル

SUGIZOギターヴァイオリン

INORAN(ギター)

Jベース

真矢ドラムス

LUNA SEA(ルナシー)は、日本の5人組ロックバンド[2]
概要

1989年結成。1992年にメジャーデビューし、2000年に終幕(解散)を宣言し一度解散したが、2010年に活動を再開した。

RYUICHIのみ神奈川県大和市出身、残りの4人は全員神奈川県秦野市出身。

2003年HMVが発表した「Top 100 Japanese pops Artists」に選ばれる[3]
バンド名

LUNA SEAとは「」という意味である(LUNAはラテン語 SEAは英語である)。インディーズ時代は、狂気という意味のLUNACYと言うバンド名であった。メジャーでの活動を視野に入れた彼らは、一つの意味に縛られず、また音楽的にも「月のように変化があって、海のように深く[4]」という思いから、「?CY」箇所を「?SEA」にし、2語とした「LUNA SEA」に変更した。これはJの提案によるものである。

また、2000年に発売されたアルバムには、初心に帰るという意味も込めて、旧バンド名である『LUNACY』というタイトルが付けられている。

2010年東京ドーム初の無料ライブ「LUNACY 黒服限定GIG ?the Holy Night?」はLUNACY名義で行い、最後のアンコールで演奏したROSIERとMOTHER以外は全てインディーズの頃の曲を演奏した。2015年2018年開催のLUNATIC FEST.では、LUNACYとして両日オープニングアクトを行った。2022年さいたまスーパーアリーナにて12年ぶりとなるLUNACY名義での「黒服限定GIG 2022 LUNACY」を開催。
メンバー

名前生年月日出身地担当及び立ち位置備考
RYUICHI
(リュウイチ) (1970-05-20) 1970年5月20日(53歳)神奈川県大和市ボーカル結成当時の名義はRAYLA(レイラ)。
ソロ活動は旧姓を含む本名・河村隆一名義で活動。
SUGIZO
(スギゾー) (1969-07-08) 1969年7月8日(54歳)神奈川県秦野市ギター&バイオリン&コーラス
ステージ上手側)2008年よりX JAPANにも参加。
(2009年5月1日付で正式加入)
INORAN
(イノラン) (1970-09-29) 1970年9月29日(53歳)ギター&コーラス
ステージ下手側
J
(ジェイ) (1970-08-12) 1970年8月12日(53歳)ベース&コーラス
真矢
(しんや) (1970-01-13) 1970年1月13日(54歳)ドラムス&パーカッション結成当時の名義はローマ字表記でSHINYA。
日本芸術専門学校特別講師。

SUGIZOと真矢、またINORANとJはそれぞれ同じ高校に通っていたが、真矢以外の3人は中学も一緒だった。(RYUICHIは全て別)。

元々はJとINORANがLUNACYというバンドをやっていて、SUGIZOは先輩のバンドに誘われてベースとして入ったが、「一緒にやろう」とそのバンドに真矢を誘った。その後、18歳か17歳の時にSUGIZOがPINOCCHIOというバンドを作り、真矢も一緒だった[5][要ページ番号]。

インディーズの頃のJと真矢のインタビューによると、JとINORANが遊びでやっていた初めてのバンドがLUNACYで、それと並行して真矢とSUGIZOはPINOCCHIOという別のバンドをやっていた。PINOCCHIOは、わりとお調子者が揃っていたバンドだったので「お調子バンド」をやっていて、激しかったLUNACYに真矢は対抗意識を燃やしていた。JはPINOCCHIOに対して「うちより全然うまかった。うちは気合いのみだったから(笑)」という思いだった。二つのバンドは地元のバンド仲間で、スタジオが一緒だったりし、よく顔を見かけていた。JとINORANが高校を出る出ない(進学・就職)という時に、互いのバンドに最後まで残っていた4人で「一緒にやってみようか」ということになった。真矢はLUNACYのライブを見た時に「俺が入ったほうが、いいのにな」と思っていたので、誘われた時にはすぐ「よし、やろう」となった[6][要ページ番号]。

真矢1人のインタビューによると、「高校生時代のLUNACYはハード・コアっぽくて硬派で、PINOCCHIOはもっと明るい感じの、まったく反対の音だったので、ライバル・バンドとして気になっていた。高校3年のとき、SUGIZOが真矢の家に行き、「バンドで一緒にプロになろう」と言い、真矢は「プロなんて果てしない道のりだ」と思っていたが、SUGIZOが「やる気になればできる」と言うので、「それもいいか」と思った。その後、進学や就活でLUNACYもPINOCCHIOも「ガタッとなって」、INORANとJが真矢のところに誘いに来たが、真矢はSUGIZOと一緒にやっていきたかったので、「LUNACYに入る代わりに、SUGIZOも入れてツイン・ギターにしてくれ」という条件をつけた[7][要ページ番号]。

真矢は度々LUNACYのサポートに入っていたが、SUGIZO加入前はINORANが「仕方なしに」ギター・ソロを弾いていた。RYUICHI加入後も「JUNK(もう死んだふりさせない)」という未音源化の曲のみ、ライヴでギター・ソロを弾いていたが、それ以降は生来の性格や好みもあり、楽曲のギター・ソロはすべてSUGIZOが弾くようになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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