LSD_(薬物)
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また、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパ各地で行われた魔女裁判について、裁判が行われた地域の多くが麦角の発生しやすいライ麦に依存していた地域であり、特に裁判数が増加した年の春と夏は湿度が高く、気温が低く麦角の生育に適した環境であったこと、魔術覚醒によって引き起こされたとされる症状や体験が麦角中毒の症例に似ていること等から、魔女裁判が麦角中毒を原因として引き起こされたとする説がある[15]
民間療法における使用麦角中毒

イネ科、その他穀物に発生する麦角麦角アルカロイドという物質を含み、麦角中毒を引き起こす。麦角中毒はヨーロッパではペストコレラとともに最も恐れられた病気の1つであった。麦角は主食である麦を侵し、流行するたびに数千人の死者が出た。

麦角中毒は筋肉のけいれんやけいれん性のひきつりが起こり、皮膚に水疱が生じ、麦角アルカロイド中のリゼルグ酸アルカロイドにより目眩幻覚てんかんのような発作を起こす。また、強烈な血管収縮作用により、四肢に焼けるような感覚(聖アントニウスの火と呼ばれた)が続いた後、手足が黒ずんで壊死する[16]

麦角の存在は紀元前より知られ、たびたび文献に記述が見られ、紀元前7世紀ごろのアッシリアの古文書にある「穀類に付着した有毒な小結節」という記述が記録に残された麦角の最初の例であるといわれる[17]。当初、その毒性から恐れられていたが、やがてその血管収縮作用に着目し、各地で陣痛促進剤や分娩後の止血剤として用いられていた[18]
化学の進歩と抽出

19世紀後半になると、麦角から有効成分を抽出する研究が盛んとなり、1907年にはG・バルガーとF・H・カールがエルゴトキシンを抽出するのに成功し、A・シュトルとE・ブルックハルトらがエルゴバシンを抽出した。その後、W・A・ジェイコブズとL・C・クレイグらはエルゴバシンの科学的分析を行い、麦角アルカロイドの基本的構造分子を分離しリゼルグ酸と名づけた[19]。1918年、A・シュトルが抽出したエルゴタミンは偏頭痛薬や産科での止血剤になっていた。1930年代頃にはイギリス、アメリカの化学界は麦角アルカロイドの研究が主要となっていた[20]
LSDの誕生アルバート・ホフマン(1993)

LSDは1938年11月にスイスバーゼルにあるA・Gサンド社(現・ノバルティス)の研究室でスイス人化学者アルバート・ホフマン(Albert Hofmann, 1906年1月11日 - 2008年4月29日)によって合成された。その幻覚剤としての発見は1943年4月16日になされ、これがLSD発見の日とされている。

当時、サンド社は薬用植物の有効成分を分離、もしくは植物から僅かしか得られない有効成分を化学合成する研究計画を始めていた。ホフマンは麦角アルカロイドについて研究班をつくらず単独で研究し始めた[21]。ホフマンはまずリゼルグ酸プロパノールアミンを結合させることによってエルゴバシンの合成に成功した[22]。また、麦角アルカロイド精製物は血管平滑筋系にも影響を与えることがわかった。とくに、脳の血管に与える影響は大きく、脳血管性頭痛・片頭痛に対する治療薬として「エルゴタミン」が開発された。また、子宮の平滑筋収縮、子宮止血剤として麦角アルカロイド精製物「メチルエルゴメトリン」(製品名メテルギン)も開発された[23]。ホフマンはさらにリゼルグ酸化合物の研究を進め、1938年11月、リゼルグ酸誘導体の系列における25番目の物質、LSD-25を合成した。ホフマンはこの化合物を循環器及び呼吸促進の作用が得られると予測したが、エルゴバシンの70%の子宮収縮作用を示しただけで、動物実験では動物達が「落ち着かなくなる」程度の効果しか認められずその研究は中止された[23](ただし、よりもイヌネコ、イヌやネコよりもサルというように高等な動物であるほど効果は大きかった[24])。

しかし、ホフマンは「奇妙な予感めいたもの」により、1943年に再びこの物質を取り扱うことにした。そして4月16日、LSDを結晶化している際に非結晶性のごく微量のLSD溶液が指先につき、LSDが指先の皮膚を通して吸収されることによって、ホフマン自身によりLSDの効果が確認された。ホフマンは眩暈を感じ、実験を中断せざるを得ない状態に陥ってしまった。そして実験を中断して帰宅した後も軽い眩暈に襲われていた。帰宅するなり横になっていたが、極めて刺激的な幻想に彩られていた。日光が異常に眩しく感じ、意識がぼんやりとし、異常な造形と強烈な色彩が万華鏡のようにたわむれるといった幻想的な世界が目の前に展開していた。その状態は2時間ほど続いた。これがLSDの幻覚作用発見の瞬間であった[25]

そしてホフマン博士は4月19日、再び(1度目は意図したものではなかったが)LSDを0.25 mg服用して自己実験を行った[26]

ホフマンは以前と同質かあるいはさらに変化に富んだ奥深いものを体験することができた。しかし、感覚の変化が深まるにつれて供述することが困難となり、自己実験の供述を記録していた女性助手に家に送ってくれるよう頼まざるを得なかった。自転車で送ってもらっている途中も、視野にある全ての像は揺れ動き、歪曲化され、自転車が一向に進んでいるように感じられなかった[26](後にこの日は「LSD自転車旅行の日 (Bicycle Day)」と呼ばれ、ホフマンは創始者としても有名になった[27])。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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