LRV_(月面車)
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Savero Moreaによる論文は、LRVシステムとその開発に関する詳細な情報を与えてくれる[13]1972年4月、月着陸船オリオンの近くに停めたLRVで作業をするジョン・ヤング

アポロ15号、16号、17号のミッションで、LRVは素晴らしい移動性を発揮した。最初に用いられたのは1971年7月31日で、月探査の範囲を大きく広げることに成功した。以前のアポロの宇宙飛行士は、かさばる宇宙服のため、着陸地点の周りを徒歩で探査するだけだったが、その制限はLRVによって解消された。しかしこの範囲は、LRVが故障した時に戻れる範囲という運用上の制約を受けた[14]。LRVの設計上の最高速度は約13km/hであったが、ユージン・サーナンは、18.0km/hを記録し、月面上での(非公式な)最高速度記録を作った[15]

LRVはわずか17か月で開発されたが、大きな故障もなく、月面上で予定された全ての機能が用いられた。アポロ17号のハリソン・シュミットは、「LRVは、我々が期待していたような、信頼できて安全で柔軟な月面探査車であった。これなしでは、アポロ15号、16号、17号での重要な科学的発見はなし得なかったし、我々の現在の月の進化の理解も実現できなかっただろう」と述べた[14]

LRVに小さな不具合が生じることはあった。アポロ16号のLRVの後部のフェンダーは、ジョン・ヤングチャールズ・デュークを助けるためにLRVをぶつけた際、失われてしまい、車輪から出た塵が乗組員やコンソールや通信装置を覆った。これによりバッテリーの温度が高くなり、そのため消費電力が多くなった。修理は行われなかった。

アポロ17号のLRVのフェンダーは、ハンマーを持ったユージン・サーナンとたまたまぶつかった際に破損した。サーナンとシュミットはテープで貼って戻したが、表面が塵で汚れていたため接着が悪く、1時間の走行でフェンダーは失われ、宇宙飛行士は塵をかぶることとなった。2度目の船外活動の際、船外活動地図とダクトテープ、月着陸船のクランプを用いて、代替のフェンダーが作られ、取り付けられた。帰還の際、必要なクランプを回収するためにこの代替品は分解された。地図は地球に持って帰られ、現在は国立航空宇宙博物館に収蔵されている。塵による摩耗は、間に合わせのフェンダーの一部であった証拠である[16][17]1971年発行のアメリカ合衆国の切手に描かれたLRV

LRVの前面に取り付けられたカラーのテレビカメラは、地上のミッションコントロールセンターから、旋回、傾け、拡大等の遠隔操作を行うことができた。これにより、以前のミッションよりもはるかに良い画像を撮影することができた。

LRVは、ソビエト連邦ルノホート1号ルノホート2号と同様に、月面に残され、月にある人工物の1つとなっている。
性能と仕様月面でLRVのテストを行うユージン・サーナン

アポロのLRVは、低重力真空環境で月面を横断し、アポロの宇宙飛行士の行動範囲を広げるために設計されたバッテリー式電動輸送機器であった。3台のLRVが月面で使われ、アポロ15号ではデイヴィッド・スコットジェームズ・アーウィン、アポロ16号ではジョン・ヤングとチャールズ・デューク、アポロ17号ではユージン・サーナンとハリソン・シュミットが乗り込んだ。それぞれミッションコマンダーが運転手となり、左のシートに乗った。以下の諸元は、Morea[13]、Baker[18]、Kudish[19]らの論文による。
質量とペイロード

LRVの質量は210kgで、月面での重量は35.0kgwになる。月面上でさらに490kgを運ぶことができるペイロードを備えている。フレームの長さは3.0mで、ホイールベースは2.3m、車高は1.1mである。フレームは2219本のアルミニウム合金のチューブで作られ、3つのシャーシが中央で蝶番で接続されているため、折りたたむことができる。シートもアルミニウムのチューブにナイロンの網を貼った構造で折りたたむことができる。シートの間にはアームレストが設置され、それぞれのシートには、調節可能なフットレストと面ファスナーのシートベルトが備えられた。大きなメッシュのアンテナがLRVの前面中央に設置された。
車輪と電源車輪のクローズアップ

車輪はゼネラルモーターズの防衛研究所によって作られた。フェレンツ・パヴリックスは、弾力性のある車輪を開発するため、NASAから特別な承認を与えられた[20]。この車輪は、アルミニウムのハブと直径81cm、幅23cmのタイヤで構成される。タイヤは、0.84mm径の亜鉛でメッキされた鉄でできた織物から作られた。摩擦を大きくするため、チタン製の板が接地面の50%を覆う。タイヤの中には、ハブを保護する直径65cmの衝突防止枠が設けられ、さらに塵除けが車輪の上から被せられた。それぞれの車輪には、デルコ・エレクトロニクス製の1万rpm、0.25馬力の電子モーターが取り付けられた。

運転は、前部と後部に配されたそれぞれ0.1馬力のモーターによって行われる。四輪操舵で、回転半径は3mになる。

電源は、2つの36ボルトの銀-水酸化亜鉛カリウム一次電池から供給され、それぞれが121 A・hの電力を持ち、92kmの範囲を走ることができた[15]。これらはモーターを動かすのに使われ、これとは別に36ボルトの電源がLRVの前面外側に取り付けられ、通信装置とテレビカメラの電源となっている。運転の間、ラジエーターはマイラー樹脂製のブランケットによって塵から守られているが、停止した際には、ブランケットを開けて積もった塵を手で払わねばならなかった。
コントロールとナビゲーションLRVの構造の略図(NASA)

2つのシートの間のT型のコントローラーによって、4つのドライビングモーターと2つのステアリングモーター、ブレーキが制御された。スティックを前に動かすとLRVは前に進み、左や右に倒すと、LRVも左や右に曲がる。後ろに引くとブレーキがかかる。スティックを引く前にスイッチを押すと、LRVは後ろ向きに進む。ハンドルの前面にはディスプレイがあり、速度、向き、勾配、電力、温度等の情報が表示される。

ナビゲーションは、方位指示計とオドメーターを用いて方位と距離を常に計測、記録し、このデータをコンピュータに送ることによって、出発地点からの軌跡を計算することによって行われる。また、太陽の影から太陽に対する方角を計算する装置も備えられた。
利用

3度のミッションでは、それぞれのLRVが用いられた。

ミッション合計距離合計時間1度の運転での最長距離月着陸船からの最長距離
アポロ15号 (LRV-001)27.76 km3時間02分12.47 km5.0 km
アポロ16号 (LRV-002)26.55 km3時間26分11.59 km4.5 km
アポロ17号 (LRV-003)35.89 km4時間26分20.12 km7.6 km

LRV運用上の制約として、もしLRVが船外活動中に故障した場合、宇宙飛行士は歩いて月着陸船に戻らねばならなかった。そのため、月着陸船からの最遠距離は、生命維持装置を使い果たす前に歩いて戻れる範囲になる。この制限は、LRVと宇宙服の信頼性が向上したことにより、アポロ17号の際には緩和された。BurkhalterとSharpの論文は、LRVの利用に関して詳細な情報を与えてくれる[21]
現在の位置ルナー・リコネサンス・オービターによるアポロ17号着陸地点の画像

これまで4台のLRVが製造され、そのうち3台が月を訪れ、月面に残された。最後の1台は、中止されたアポロ18号のために作られた。アポロ15号のLRVは、アペニン山脈のハドリー谷(26.10 N, 3.65 E)に、アポロ16号のLRVはデカルト高原(8.99 S, 15.51 E)に残されている。アポロ17号のLRVは、タウルス・リトロー(20.16 N, 30.76 E)に残され、2009年と2011年のルナー・リコネサンス・オービターの通過の際に観測されている。

また、いくつかのLRVが試験、訓練、検証のために製造された。それらのモックアップは、シアトルの飛行博物館、ワシントンD.C.の国立航空宇宙博物館、ハンツビルのマーシャル宇宙飛行センター、ヒューストンジョンソン宇宙センターケープカナベラルケネディ宇宙センターに展示されている[22]。またレプリカがフロリダ州ペンサコーラ国立海軍航空博物館オレゴン州マクミンビルのEvergreen Aviation & Space Museum、カンザス州ハッチンソンのKansas Cosmosphere and Space Centerに展示されている。またスミソニアン博物館から貸与されたレプリカがフロリダ州オーランドウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートエプコットにあるミッション:スペースというアトラクションに展示されている[22][23]
メディア

LRVを操縦するアポロ16号のジョン・ヤング

地球で訓練するデイヴィット・スコットとジェームズ・アーウィン


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