LOVE_LOVE_あいしてる
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LOVE LOVE あいしてる
ジャンル
音楽番組 / バラエティ番組
監督武部聡志(音楽監修)
演出城野智則
司会者KinKi Kids
堂本光一堂本剛
吉田拓郎
出演者篠原ともえ
坂崎幸之助THE ALFEE
ブラザー・トム
LOVE LOVE ALL STARS
オープニングKinKi Kids「全部だきしめて」 (#001?#143,#193?)
KinKi Kids「好きになってく愛してく」 (#144?#192)
製作
プロデューサーきくち伸CP
制作フジテレビ

放送
音声形式ステレオ放送
放送国・地域 日本
放送期間1996年10月19日 - 2001年3月31日
放送時間土曜日 23:30 - 翌0:00
放送分30分
回数214
LOVE LOVE あいしてる SUMMARY

LOVE LOVE あいしてる 16年ぶりの復活SP
放送期間2017年7月21日
放送時間金曜日 23:00 - 23:58
放送分58分
回数1

LOVE LOVE あいしてる
最終回・吉田拓郎卒業SP
放送期間2022年7月21日
放送時間木曜日 20:00 - 21:54
放送分114分
回数1
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『LOVE LOVE あいしてる』(ラブラブあいしてる)は、フジテレビ系列1996年10月19日から2001年3月31日まで放送されていた音楽バラエティ番組。毎週土曜日 23:30 - 翌0:00(JST)に放送されていた。 『堂本兄弟』の前身番組に当たる。

レギュラー放送終了後も2006年、2017年、2022年の計3回特別番組として放送された(詳しくは#特番時代を参照)。
概要

当番組は、毎週1組のゲストを迎え、トークコーナーと音楽コーナーで構成される[1]スポンサーは前番組の流れから引き続き、松下電器産業(現:Panasonic)の一社提供で、歴代番組と同様にKinKi Kidsが同社製品「デジカム」などのCMに出演しており、KinKi Kidsの楽曲がタイアップされたこともある。ゴールデンタイムプライムタイムでも不定期で特別番組が数回放送され、主にトークコーナーの総集編などがメインだった。

スタート当初、あまりにも喋らない吉田拓郎を喋らせるためにつくったギター教室のコーナー(「カムカム GUITAR KIDS」)で、KinKi Kidsの二人は初めてギターと出逢い、吉田やLOVE LOVE ALL STARS等、大物ミュージシャンからギターの教えを請い、結果的にこれが彼らの音楽的な才能を大きく成長させる流れともなり、キンキは音楽イメージの強いアイドルとして認知されるようになった[2]

なお、1999年の大晦日から2000年元旦まで、この番組を軸とした年末長時間番組枠『ワールドカウントダウンスーパースペシャル24時間まるごとライブLOVE LOVE2000?世界中の子供たちに僕らが愛でできること』を行っている。音楽番組であるのにもかかわらず、明石家さんま志村けんら大御所芸人もゲスト出演している(とはいえ、さんまは当時のレギュラー番組『明石家マンション物語』、志村も当時の特別番組『志村けんのバカ殿様』の各番宣で、吉田拓郎と縁があることがきっかけとして出演したものである)。また番組内の31日23:00 - 1日5:30には『めちゃ2イケてるッ!』とのコラボ番組『めちゃ2あいしてるッ!-I LOVE you very much!-』を放送した。
番組成立の経緯

前番組である『めちゃ2モテたいッ!』が『めちゃ2イケてるッ!』としてリニューアルし土曜20時枠へ昇格することに伴い、その空いた23時30分の枠(通称:Panasonic枠)で、KinKi Kidsで愛をテーマにした音楽番組をやらないかとプロデューサーのきくち伸が編成から打診されたのがこの番組のきっかけである[1][3][4]

当初、KinKi Kidsと組む予定だったのは玉置浩二であったが[4]スポンサーPanasonicとのプレゼンテーションで「玉置浩二はソニーのアーティストでは」とパナソニック側が難色をしめしたため[3][4]プロデューサーのきくち伸が、とっさの思いつきで自身がファンだった「吉田拓郎ならどうでしょうか?」と言ってしまい「吉田拓郎ならいいんじゃないか」ということになったのが吉田の起用の経緯だった[3][4][5]。ちなみに当時、吉田が所属していたレコード会社は、自身も起ち上げに加わったフォーライフ・レコードだった。

元々、きくちは新米AD時代に携わった1987年12月30日放送の『夜のヒットスタジオDELUXE』で[6]、吉田拓郎と井上陽水が共演するのを見て、雷に打たれたようなショックを受けて以来、いつか自分の手がける番組に吉田拓郎に出てもらうことを使命のように感じていた[3][4]。吉田も『ザ・ヒットパレード』のような音楽番組をやってみたい、自分も"踊るバンドマスター(バンマス)"スマイリー小原になりたいという希望があった[4][7]。しかし、吉田にはテレビに対する恐怖心があり、出演交渉は難航した[3][8]。きくちはそれを除くのに苦心したという。きくちは「吉田拓郎さんを追っかけて、本当に追っかけて」と、吉田のライブのほとんどを制覇する程の拓郎の大ファンで[8][9]、フジで音楽番組に関わるようになると吉田のライブの打ち上げにも顔を出し[8]森下愛子とも顔馴染みになっていた[8]。しかし吉田は当時はCDデビューもしていなかったジャニーズJr.のKinKi Kidsと組まされることにも抵抗した[3][4]。吉田と番組出演の初交渉の際、吉田にKinKi Kidsの参考資料としてTBSテレビドラマ若葉のころ』を渡した[4][8]。森下から「この子たちすごくいい子たちなのよ」という助言もあり[4][8]、結局KinKi Kidsありきの番組で、きくちからも「拓郎さんひとりでは数字がとれない」とはっきり言われるなどして説得された[3][4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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