LDH_(持株会社)
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(清算結了)株式会社LDH
LDH Corporation
種類株式会社
市場情報非上場
東証マザーズ 4753
2000年4月6日 - 2006年4月13日
本社所在地 日本
160-0023
東京都新宿区西新宿七丁目20番1号
住友不動産西新宿ビル26階
設立1997年(平成9年)7月31日
(株式会社オン・ザ・エッヂ)
業種サービス業
代表者代表清算人 石坂弘紀
資本金1億円
(2010年3月31日現在)
売上高連結:267億6914万9千円
単独:1億282万8千円
(2010年3月期)
総資産連結:665億3867万9千円
単独:627億1505万円
(2010年3月31日時点)
従業員数連結:357名、単独:16名
(2010年3月31日現在)
決算期3月31日
主要株主モルガン・スタンレー 27.14%
クレディスイスセキュリティーズヨーロッパリミテッド 8.58%
ビーエヌピーパリバセキュリティサービス 8.38%
ドイツ証券 7.70%(2010年3月31日時点)
主要子会社関連会社の項目を参照
関係する人物平松庚三(元代表取締役社長兼CEO)
外部リンク公式サイト - ウェイバックマシン(2012年12月13日アーカイブ分)
特記事項:2008年3月期は、決算期変更により2007年10月1日から2008年3月31日までの6ヵ月間。
商号変更については概要を参照。
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株式会社LDH(LDH Corporation)は、東京都新宿区にあった清算株式会社である。かつては株式会社ライブドア(: livedoor Co.,Ltd.)として、インターネットメディア金融に関する事業を行っていた日本企業であった。

本項では、社名としての「ライブドア」は、便宜上

最初に無料ISPサービスを提供するために前刀禎明が設立した会社を「ライブドア(前刀)」(詳しくはライブドア (インターネットサービスプロバイダ)を参照)

堀江貴文が設立したオン・ザ・エッヂの流れを汲み、ライブドア(前刀)から事業を譲受した後に社名をライブドアへ変更した会社を「ライブドア(堀江)」(オン・ザ・エッヂ→エッジ→ライブドア→ライブドアホールディングス→LDH)

ライブドア事件後にライブドア(堀江)の一部事業を承継すると同時に出澤剛が初代代表取締役を務めた事業会社を「ライブドア(出澤)」(ライブドア→データホテル→現:NHNテコラス

と表記する。

なお、同名の芸能プロダクションおよびその企業グループとは無関係である。
概要

「ライブドア」ブランドそのものは1999年に前刀禎明らが株式会社ライブドア: livedoor, Inc.)として設立し、広告収入の形態をとることによりインターネット接続サービスを無料で提供するサービスに遡る。その後、ビジネスモデルの崩壊と経営悪化により、2002年に堀江貴文が率いる株式会社オン・ザ・エッヂ(: Livin' on the EDGE Co., Ltd.)にサービスを譲渡し、ライブドア(前刀)は後に解散した。堀江の会社はエッジ株式会社(: EDGE Co.,Ltd.)への商号変更を経て2004年に株式会社ライブドア(: livedoor Co.,Ltd.)に商号変更した。

2006年の有価証券報告書の虚偽記載事件(ライブドア事件)と株式市場の混乱(ライブドア・ショック)を経て、ライブドア(堀江)は持株会社化により株式会社ライブドアホールディングス(のちに株式会社LDHへ商号変更)に変更し、新たにライブドアの事業会社として株式会社ライブドア(出澤)が設立された。2010年にLDHが保有するライブドア(出澤)の全株式をNHN Japanに譲渡し、2012年1月にデータセンターと有料のインターネット接続サービス事業を残し、ポータルサイト「ライブドア」事業をNHN Japan(→LINE)に吸収、株式会社ライブドア(出澤)は株式会社データホテル(→テコラス)に商号変更し、会社名としてのライブドアは消滅した。
オン・ザ・エッヂの設立と急速な事業拡大

1996年、当時東京大学に在学していた堀江貴文ら大学生4人によってウェブサイトの制作請負を手がける「有限会社オン・ザ・エッヂ」として設立される[1]

インターネット関連ビジネスで急成長を遂げ、株式会社への組織変更および東京証券取引所マザーズ市場への上場を果たした。この頃には小室哲哉globeなどのオフィシャルサイトも制作している。

その後、インターネット広告事業やインターネットデータセンター事業にも参入。2002年2月には電子メールソフトEudora日本語版の開発販売をするなど、ソフトウェアの代理店も手がけていた。電子決済サービスのビットキャッシュやソフトウェア販売のプロジーなど企業の買収も同時期に始め、同年11月には経営破綻した(初代)株式会社ライブドアから同社のインターネット無料接続サービスとライブドアのブランドを譲り受けた。

2003年には事業の主軸をポータルサイト「ライブドア」に移行し、「エッジ株式会社」に商号変更。さらに2004年2月には「株式会社ライブドア」に商号変更、本社機能を東京都渋谷区から六本木ヒルズ森タワーに移転(登記上の本店はデータホテルのサーバがあった東京都新宿区歌舞伎町)。その後もLinuxディストリビューションの開発販売を手がけるターボリナックスと会計ソフトの開発販売を手がける弥生の完全子会社化、電子掲示板のしたらばJBBSやインターネットラジオねとらじの営業権を譲受するなど急速的に拡大を続けた。

2005年2月には通信と放送の融合を目指してAMラジオ放送会社であるニッポン放送の発行済み株式の35%を取得し筆頭株主になったことで、同社の子会社で株式公開買い付け (TOB) を行なっていたフジテレビジョンとニッポン放送の株をめぐる騒動が起きるも4月18日には和解。ライブドアが保有するニッポン放送の株式を段階的にフジテレビジョンへ譲渡した。同年6月にはライブドア(前刀)から譲り受けた無料接続サービスを終了し、中古自動車販売のジャック・ホールディングス(ライブドアオートを経てカーチス)及び通信販売会社のセシールを買収した。

2005年4月に自社の検索エンジンからGoogleのものに切り替えた[2]
ライブドア事件「ライブドア事件」も参照

2006年1月16日、証券取引法違反(有価証券報告書虚偽記載)により東京地方検察庁特別捜査部の捜索を受けたことがきっかけで、翌日から同社と系列会社の株の売り注文が殺到、18日には東京証券取引所の売買システムの処理可能件数に迫ったことで、全銘柄取引停止という異例の措置が取られるまでに至った(ライブドア・ショック)。23日には堀江や同社の財務担当を務めた宮内亮治ほか4名が証券取引法違反で逮捕された。25日に堀江は社長を辞任し、後任として熊谷史人が代表取締役に、平松庚三が取締役でないまま社長(執行役員社長)に就任する。翌月22日に堀江ら3名を有価証券報告書の虚偽記載で再逮捕、熊谷も新たに逮捕され、代表取締役は山崎徳之に交代した。平松が社長でありながら代表権がなく取締役でもなかった事情は、平松は同社の上級副社長ではあったが元々取締役ではなく、また急な就任であった為取締役として指名されるのに必要な株主総会を経ていなかったことによる。よって、平松が取締役に指名されるまでの間の代表権は既に取締役であった熊谷と山崎が担当することになった。

3月13日、証券取引等監視委員会から2004年9月期の連結決算を粉飾した疑いがあるとして、堀江、宮内、熊谷ほか5名とライブドア社は東京地検特捜部に告発され、東京証券取引所はライブドア株および子会社のライブドアマーケティング社の株式を4月14日に廃止することを決定し、予定通り上場が廃止された。

6月14日に株主総会で社長の平松庚三ほか執行役員2名が取締役に就任したと同時に、直後の取締役会で平松と副社長の清水が共に代表取締役となった。前代表取締役の山崎は取締役から退きライブドアを離れた。
再編、NHN Japanとの統合へ

2007年、ライブドアオートとして運営してきたカーチスを筆頭に子会社の売却を進めると同時に持株会社への移行も進み、2007年(平成19年)4月1日に「株式会社ライブドアホールディングス」へ社名変更し、ライブドアの事業会社として新たに株式会社ライブドア(出澤)を設立した。ライブドア(堀江)から社名変更したライブドアホールディングスの社長は平松が継続し、事業子会社のライブドア(出澤)の初代代表取締役社長には出澤剛が就任した。同年中にライブドアホールディングスはライブドアグループ各社の売却及び清算をたて続けに行い、年末に平松は代表取締役社長を退任した。


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