(清算結了)株式会社LDH
LDH Corporation種類株式会社
市場情報非上場
東証マザーズ 4753
株式会社LDH(LDH Corporation)は、東京都新宿区にあった清算株式会社である。かつては株式会社ライブドア(英: livedoor Co.,Ltd.)として、インターネット、メディア、金融に関する事業を行っていた日本の企業であった。
本項では、社名としての「ライブドア」は、便宜上
最初に無料ISPサービスを提供するために前刀禎明が設立した会社を「ライブドア(前刀)」(詳しくはライブドア (インターネットサービスプロバイダ)を参照)
堀江貴文が設立したオン・ザ・エッヂの流れを汲み、ライブドア(前刀)から事業を譲受した後に社名をライブドアへ変更した会社を「ライブドア(堀江)」(オン・ザ・エッヂ→エッジ→ライブドア→ライブドアホールディングス→LDH)
ライブドア事件後にライブドア(堀江)の一部事業を承継すると同時に出澤剛が初代代表取締役を務めた事業会社を「ライブドア(出澤)」(ライブドア→データホテル→現:NHNテコラス)
と表記する。
なお、同名の芸能プロダクションおよびその企業グループとは無関係である。 「ライブドア」ブランドそのものは1999年に前刀禎明らが株式会社ライブドア(英: livedoor, Inc.)として設立し、広告収入の形態をとることによりインターネット接続サービスを無料で提供するサービスに遡る。その後、ビジネスモデルの崩壊と経営悪化により、2002年に堀江貴文が率いる株式会社オン・ザ・エッヂ(英: Livin' on the EDGE Co., Ltd.)にサービスを譲渡し、ライブドア(前刀)は後に解散した。堀江の会社はエッジ株式会社(英: EDGE Co.,Ltd.)への商号変更を経て2004年に株式会社ライブドア(英: livedoor Co.,Ltd.)に商号変更した。 2006年の有価証券報告書の虚偽記載事件(ライブドア事件)と株式市場の混乱(ライブドア・ショック)を経て、ライブドア(堀江)は持株会社化により株式会社ライブドアホールディングス(のちに株式会社LDHへ商号変更)に変更し、新たにライブドアの事業会社として株式会社ライブドア(出澤)が設立された。2010年にLDHが保有するライブドア(出澤)の全株式をNHN Japanに譲渡し、2012年1月にデータセンターと有料のインターネット接続サービス事業を残し、ポータルサイト「ライブドア」事業をNHN Japan(→LINE)に吸収、株式会社ライブドア(出澤)は株式会社データホテル(→テコラス)に商号変更し、会社名としてのライブドアは消滅した。 1996年、当時東京大学に在学していた堀江貴文ら大学生4人によってウェブサイトの制作請負を手がける「有限会社オン・ザ・エッヂ」として設立される[1]。 インターネット関連ビジネスで急成長を遂げ、株式会社への組織変更および東京証券取引所マザーズ市場への上場を果たした。この頃には小室哲哉やglobeなどのオフィシャルサイトも制作している。 その後、インターネット広告事業やインターネットデータセンター事業にも参入。2002年2月には電子メールソフトEudora日本語版の開発販売をするなど、ソフトウェアの代理店も手がけていた。電子決済サービスのビットキャッシュやソフトウェア販売のプロジーなど企業の買収も同時期に始め、同年11月には経営破綻した(初代)株式会社ライブドアから同社のインターネット無料接続サービスとライブドアのブランドを譲り受けた。 2003年には事業の主軸をポータルサイト「ライブドア」に移行し、「エッジ株式会社」に商号変更。さらに2004年2月には「株式会社ライブドア」に商号変更、本社機能を東京都渋谷区から六本木ヒルズ森タワーに移転(登記上の本店はデータホテルのサーバがあった東京都新宿区歌舞伎町)。その後もLinuxディストリビューションの開発販売を手がけるターボリナックスと会計ソフトの開発販売を手がける弥生の完全子会社化、電子掲示板のしたらばJBBSやインターネットラジオねとらじの営業権を譲受するなど急速的に拡大を続けた。
概要
オン・ザ・エッヂの設立と急速な事業拡大