KID_(ゲームブランド)
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(旧)株式会社キッド
KID corp

種類株式会社
本社所在地 日本
140-0011
東京都品川区東大井二丁目13番8号
ケイヒン東大井ビル 6F
本店所在地143-0025
東京都大田区南馬込四丁目43番1号
設立1988年(昭和63年)5月12日
(登記簿上は1980年(昭和55年)12月11日
業種情報・通信
事業内容コンシューマゲームソフトの企画、開発、販売、輸出入
代表者破産管財人 櫻井喜久司
資本金16,090万円
売上高92,900万円
2006年3月現在)
従業員数41名
決算期3月
関係する人物市川久祥(元代表取締役)
外部リンク ⇒www.kid-game.jp/
特記事項:2006年12月8日破産手続開始決定、2007年3月8日破産廃止。
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KID(キッド)は、2007年2月 - 2012年サイバーフロントにより運営されていたコンシューマーゲームのブランド。また、株式会社キッドは、2006年11月末まで運営していた企業。同社の自己破産、倒産によりサイバーフロントへと継承されることとなった。KIDとは「Kindle Imagine Develop」の略。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
概要

シューティングゲームアクションゲームを制作していた時期もあったが、1990年代後半以降のゲームの大半は恋愛アドベンチャーゲームをはじめとするギャルゲー乙女ゲームで、アダルトゲームコンシューマー機への移植にも積極的に取り組んでいた。また、『Memories Off』や『infinity』などの自社の人気シリーズをWindowsに移植し、旧キッドの手により自社通販などで販売していた。

旧キッドの本社所在地は東京都品川区東大井の京急本線の線路沿いにあり、音楽館のゲーム『Train Simulator Real THE 京浜急行』および『Train Simulator 京成・都営浅草・京急線』にも登場する。

旧キッドの代表取締役と制作部取締役がどちらも市川姓であったため、しばしば同族経営の企業と勘違いされたが、両名は親戚ではなく偶然名前が一致していただけである[1]
歴史

株式会社キッドの創業は1988年[1]。当初は大手ゲームソフトメーカーの下請けで開発を行っており『サマーカーニバル'92 烈火』などを開発、1991年発売のFM TOWNS用『雷電伝説』(販売は電波新聞社)と翌1992年発売の『デスブレイド』で自社のブランド名を出した。このころのゲーム誌では「シューティングゲームやアクションゲームが得意」と紹介されていた[2]

1990年代半ばにいわゆる「次世代ゲーム機」が登場してゲームで扱われる容量が激増すると、それに応じて研究費やスタッフ教育費もかさむようになり、下請けのままでは資金を捻出できなくなった。これを機にキッドは開発から販売までを手掛けるメーカーとして独立し[1]、1996年の『きゃんきゃんバニー プルミエール』を皮切りに、主にセガサターンに向けて移植した美少女ゲームソフトを発売するようになった[3]。当時はまだ高価で一般に普及しきっていなかったパソコンのゲームを、セガサターンのユーザー層であるゲーム少年の手にも届くようにしようという意図によるものである[1]。移植作品の代表作としては、『きゃんきゃんバニー プルミエール』のほか、『ONE ?輝く季節へ?』や『プリズム・ハート』が挙げられる[3]

PlayStationに向けた移植版の制作が大半を占めるようになってからは[4]ポケットラブ』などのオリジナルタイトルも手掛けるようになり、『Memories Off』や『infinity』のような看板作品が出現したことでギャルゲー市場を席巻することに成功した[3]

また、双六のようなボードゲームのシステム作りも行っており、タカラのSFC及びSS、PSソフトの「人生ゲーム」シリーズの初期の作品の開発を担当し、ゲーム中の固有名詞やEDテロップ内にも同ブランド名が見られる。同社がこの時の技術を元にSS・PS用に開発・販売した「ゲームで青春」や「テナントウォーズ」などは後に「SuperLite1500シリーズ」として復刻されている(ゲームタイトルが変更になったものもある)。

2001年から2003年にかけて、都営バスの各路線にてラッピングバスが登場し、知名度を上げる。2005年、フジテレビ系ドラマ『電車男』の制作にスポンサーとして協力、KIDの制作したゲームソフトのポスターが同ドラマ内にも登場した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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