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この項目では、主に2代目のアルファベット表記の企業について説明しています。その他の用法については「カドカワ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
(2代目)株式会社KADOKAWA
KADOKAWA CORPORATION
角川本社ビル
種類株式会社
機関設計指名委員会等設置会社
市場情報東証プライム 9468
(2代目)株式会社KADOKAWA KEY-PROCESS種類株式会社
市場情報東証1部 9477
1998年11月26日 - 2014年9月26日
本社所在地 日本
〒102-8177
東京都千代田区富士見二丁目13番3号
設立1954年4月2日
(株式会社角川書店)
業種情報・通信業
法人番号1010001013874
事業内容組版・製版・電子書籍製作、重版時修正・製版再調整、マルチユース品の製作等
代表者伊藤正人
資本金50百万円(2023年3月)
売上高265億37百万円
(2020年3月期)[5]
営業利益△109万9千円
(2023年3月期)[6]
経常利益△109万9千円
(2023年3月期)
純利益△9万77千円
(2023年3月期)
純資産11億4018万7千円
(2023年3月期)
総資産11億4055万8千円
(2023年3月期)
主要株主株式会社KADOKAWA 100%
主要子会社(株)ビルディング・ブックセンター
外部リンクhttps://keyprocess.kadokawa.co.jp/
特記事項:2019年7月1日に株式会社KADOKAWA(初代)から社名変更、2023年12月1日に株式会社KADOKAWA Future Publishingから社名変更
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KADOKAWAが運営する文化複合施設ところざわサクラタウン(2020年3月3日撮影)
株式会社KADOKAWA(カドカワ、英: KADOKAWA CORPORATION)は、出版・IP創出事業、アニメ・実写映像事業、ゲーム事業、webサービス事業、教育・EdTech事業、MD(ライツ・マーチャンダイジング)事業、IP(知的財産権)体験施設の運営事業などを行う日本の総合エンターテインメント企業。
初代・KADOKAWAは、1954年に設立された株式会社角川書店(後の角川ホールディングス、角川グループホールディングス)が2013年に角川グループホールディングスから社名変更して発足され、2019年に初代・KADOKAWAから株式会社KADOKAWA Future Publishing社名変更し、2023年に再び社名変更し株式会社KADOKAWA KEY-PROCESS(2代目)となった。
2代目・KADOKAWAは、2014年に設立された株式会社KADOKAWA・DWANGO(後のカドカワ)が2019年に初代・KADOKAWAの事業を継承およびカドカワから社名変更して発足された。
両社とも1945年に創設された角川書店を創業とする企業である。 1945年、国文学者の角川源義により角川書店として創業。 出版第1号は佐藤佐太郎歌集「歩道」。角川の鳳凰のマークは、1946年創刊の飛鳥新書で使用したことに始まる[7]。1949年創刊の「角川文庫」と1952年発刊の「昭和文学全集」が成功し、文芸出版社として基礎を確立する。1956年「角川国語辞典」を刊行し、辞典分野に進出。1957年には高等学校の国語教科書に参入[8]。1972年に富士見書房を設立。源義時代の角川では、漫画と女性の裸とスキャンダル(週刊誌)はやってはいけないという掟が存在した[9]。 1975年に角川春樹が社長就任後、角川文庫を文芸路線から横溝正史を初めとする一般大衆向けに路線転換し、翌年には『犬神家の一族』で映画製作に進出。1979年に角川レコードを設立し、音楽産業へ参入。自社発行書籍を原作として映画を製作し、テレビコマーシャルを利用して大々的に宣伝し、原作書籍と自社グループ製作の映画・音楽を販売する出版と映像と音楽のメディアミックスを成功させ、日本映画界に角川映画旋風を巻き起こした。 1982年にテレビ情報誌の「ザテレビジョン」創刊以降、ゲームソフト情報誌「コンプティーク」やアニメ情報誌「Newtype」、ビデオ情報誌「ビデオでーた(現・DVD&動画配信でーた)」、都市情報誌「東京ウォーカー」などの各種メディア対応の情報誌を立て続けに創刊。 1983年に映画『幻魔大戦』でアニメ製作に参入。1984年角川ビデオを設立し、ビデオグラムの製作に参入。 1985年に少女コミック誌「ASUKA」を創刊し、コミック出版に本格進出。後発参入だった角川は、アニメやゲームといった近接ジャンルのプロや同人誌卸売会からスカウトした同人作家を漫画家・漫画原作者として起用することで先行する出版社にはないタイプの作家や作品が生まれる[10]。 1988年に「富士見ファンタジア文庫」と「角川スニーカー文庫」を創刊し、ライトノベルというジャンルが確立されて以来、電撃文庫・MF文庫Jなどをあわせてライトノベル市場の国内最大手となる[11]。
略歴