K5計画の立案者は、カンプチア人民共和国駐留ベトナム軍(PAVN)司令官レ・ドゥック・アイン将軍であった。将軍はクメール・ルージュのカンボジアへの再浸透に対し、カンボジア防衛に関する主要な5点を定式化した。「K5」のKとは、クメール文字で「防衛」を意味するkar karpierに由来し、そのクメール語の頭文字はKであった。「5」という数字は、レ・ドゥック・アインの防衛計画の5点を表す。タイとの国境封鎖は第2点であった[2]。しかしこの作戦に従事した者の多くは、「K5」が何の略かを知らなかった[4]。
K5計画は1984年7月19日に始まった[5]。熱帯樹林の密に生える莫大な数の木々を倒したり、背の高い植物を伐掃して根こそぎ引き抜くこと、長い区画でこれらを行うのは膨大な作業となった。目的はタイ国境を見晴らし、地雷原とする広大な場所を設けることであった。
実際には、タイとの国境沿いにおおむね長さ700キロ、幅500メートルのK5包囲網が設けられ、そこには対戦車地雷や対人地雷が1キロの土地に約3,000個敷設された[6]。 環境的な観点から見たならば、大規模な森林伐採は、深刻な森林破壊や種の危機をもたらした。さらにこれは広大な浸食地域を残す環境災害
結果
この作戦の立案者にとっては想定外の軍事的な観点から、K5計画はPRKにとっても危険なものになった。効果的に長い国境を警備するのは不可能であるため、ここを横断するクメール・ルージュ戦闘員を阻止できなかった。さらにジャングルを伐採しても、熱帯の気候の中では、一年もすれば人間の背丈ほどに植物が成長し、みすぼらしい藪になってしまう。包囲網の管理・維持は困難であった[7]。
K5作戦はPRKのイメージにとり逆効果であった。というのも共和国は、ポル・ポトの統治下において彼のカンプチア共産党がカンボジアで破壊したものの再構築に熱中したからである。努力の大きさにもかかわらず全ての計画は最終的に不成功に終わり、結局、新しい親ハノイ共和国の敵の利益を招きかねない結果となった。数千のカンボジア農民たちは怒りを感じた。彼らはベトナムがカンボジアへ侵攻してきたにもかかわらず、カンボジアを支配してきたクメール・ルージュが従来彼らの営んできた農業へ干渉することから解放されたこと、そしてPRK政府の下での税の不在を歓迎した人々であった[2]。こうした農民達は、ジャングルの伐掃に時間を使わせる命令が、彼らの農場を放置させることを憤った。それは重労働で、しかも彼らが看破したように無効で無益であった[7]。殺されることは無かったものの、彼らはこれがクメール・ルージュの専制政治中に経験したことと非常に近しい強制労働であると悟り、憤慨は時と共に高まった[8]。進入が難しい地域での非衛生な状況、また大量の蚊といった問題、さらにK5作戦では労働者が貧しい食糧事情や悪い住環境で従事させられたことから、彼らはマラリアや極度の疲労の犠牲者になった[9]。
広大で長い地域を危険なものとする大量の地雷は今も残置されている。K5地域は、内戦終了後のカンボジアにおける大きな地雷問題の一部であった。1990年だけで、地雷による怪我の結果として脚(足)を失ったカンボジア人は、約6,000名に達した[10]。
関連項目
カンプチア人民共和国
カンプチア人民革命軍
タイ国境へのベトナム侵攻
脚注^ ⇒Kelvin Rowley, Second Life, Second Death: The Khmer Rouge After 1978, Swinburne University of Technology
^ a b c d Margaret Slocomb, The People's Republic of Kampuchea, 1979-1989: The revolution after Pol Pot ISBN 9789749575345
^ ⇒Puangthong Rungswasdisab, Thailand's Response to the Cambodian Genocide
^ Esmeralda Luciolli, Le mur de bambou, ou le Cambodge apres Pol Pot. ISBN 2905538333
^ ⇒Chronologie du Cambodge de 1960 a 1990 - from Raoul M. Jennar, Les cles du Cambodge
^ Landmine Monitor Report 2005
^ a b Soizick Crochet, Le Cambodge, Karthala, Paris 1997, ISBN 2-86537-722-9
^ Margaret Slocomb, The K5 Gamble: National Defence and Nation Building under the People's Republic of Kampuchea Journal of Southeast Asian Studies (2001), 32 : 195-210 Cambridge University Press
^ Craig Etcheson, After the killing fields: lessons from the Cambodian genocide, ISBN 978-0275985134
^ ⇒NewScientist - The killing minefields of Cambodia
参考文献
Evan Gottesmann, Cambodia After the Khmer Rouge: Inside the Politics of Nation Building, ISBN 978-0300105131
外部リンク
⇒Comment on Esmeralda Luciolli, Le mur de bambou, ou le Cambodge apres Pol Pot.
Sok Udom Deth, The Geopolitics of Cambodia During the Cold War Period, Ohio University