K・K・ダウニング
K. K. Downing
1984年
基本情報
出生名Kenneth Keith Downing Jr.
別名K.K.
Ken
生誕 (1951-10-27) 1951年10月27日(72歳)
出身地 イングランド・ウェスト・ブロムウィッチ
ジャンルヘヴィメタル、スピードメタル、ハードロック
職業ギタリスト
担当楽器ギター
活動期間1968年 -
レーベルコロムビア
共同作業者ジューダス・プリースト
公式サイト ⇒KKDOWNING.NET
著名使用楽器
ギブソン・フライングV
K・K・ダウニング(K. K. Downing、本名:ケネス・キース・ダウニング・ジュニア(Kenneth Keith Downing Jr.)、1951年10月27日 - )は、イングランド出身のギタリストである。1970年から2011年まで在籍したヘヴィメタルバンド・ジューダス・プリーストのメンバーだったことで知られる。 幼少期から父親に虐待を受けて育つ。早く逃れたいために15歳で学校を中退し、シェフの見習い住み込みの仕事に就くため、家を出る。 ジミ・ヘンドリックスの演奏をみたダウニングは衝撃を受け、友人とコンサート会場に忍び込みで見に行っていた。大きな影響を受けたダウニングは、自身もギターを始める。ツアーキャラバンの中にいるジミに話をかけたら彼が飲んでいたコーラの瓶をくれたと言う。その三週間後にジミは亡くなった。ヨーロッパのフェスに行くため仕事を長期で休んだため、解雇された。その後もバンドと仕事を両立していたが、次第にバンドがメインになっていく。 Stagecoachというポップバンドに加入し、ライブを行うようになる。地元のバンドでジューダス・プリーストという名のバンドを見て、名前のかっこ良さに憧れてオーディションを受けるが、落選する。1970年、同級生だったイアン・ヒルとジョン・エリスと共にFREIGHTというバンドを結成し、メンバーの事故死などで活動停止状態にあったジューダス・プリーストという名前を引き継ぐ形で改名。現在のジューダス・プリーストが結成された。 1969年から2011年の42年間、ジューダス・プリーストで、グレン・ティプトンとともにリードギターとして活動した。2011年に突如自身のWebサイトにて、脱退を発表。EPITAPHのツアーに参加しないことが明らかになった。後任のギタリストはリッチー・フォークナー。脱退の理由についてダウニングは「やりたくない理由は30はあった」と話しており、友好的な脱退ではなかった。 脱退後は後輩のメタルバンドのプロデュースを行ったり、2012年には自宅の敷地内にゴルフコースとホテルを運営していたが、このゴルフコースとホテルの運営は2017年に破産したことが明らかになった。 2018年、グレン・ティプトンがパーキンソン病を患っていることが明らかになると、ダウニングはジューダス・プリーストが復帰するように声をかけてもらえなかったことに「ショックを受けた」と話し、グレンの代理であるアンディ・スニープの加入に対し「プロデューサー以上の役割を務めた」と最新アルバム、『ファイアーパワー』の出来栄えを評価したつもりだったが、ロブ・ハルフォードから「グレンのアルバム参加を否定している」と誤解され、撤回を余儀なくされた。その後もダウニングは「俺はリッチー・フォークナーより“Sinner”を上手くプレイできる」、「スコットとリッチー、アンディは正式メンバーではない」などバンドメンバーの感情を逆撫でする発言を度々行っている。同年、自身の自伝『Heavy Duty: Days and Nights in Judas Priest』を出版。 2020年2月、プリースト脱退後本格的に音楽活動を再開。同じく元メンバーであるティム・オーウェンズと共に『KK'sプリースト』を結成する。 2022年11月5日、ジューダス・プリーストがロックの殿堂入りを果たす。ダウニングも受賞対象メンバーであることから、米ロサンゼルスのMicrosoft Theaterで行なわれた授賞式に出席し、同じく元メンバーで受賞対象者であるレス・ビンクスや現メンバーと共に「You've Got Another Thing Comin'」「Breaking The Law」「Living After Midnight」を披露した[1]。 2023年7月6日、KK'sプリーストとしての初ライブをイングランド・ウルヴァーハンプトンに自身が所有する「KK's Steel Mill」にて開催[2]。
略歴
作品
ジューダス・プリースト
ロッカ・ローラ - Rocka Rolla
運命の翼 - Sad Wings of Destiny