K-Pg境界
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鳥類(新鳥類)は多様性を維持していたので、無事生き残った[注釈 6]

それ以外に両生類・昆虫類・恐竜以外の爬虫類(トカゲ類・カメ類・ワニ類・ヘビ類)などの被害も軽微だったが、今なお理由は不明である[18]

K-Pg境界直後の陸上植物の特徴としてシダ類の異常な繁茂があげられる。地質時代の広範囲な植生状況を調べる手段として、堆積物中の花粉や胞子の化石を調べる方法がある。北アメリカにおける化石の研究では、白亜紀の花粉や胞子の化石中のシダ胞子の比率は約25%だったのが、K-Pg境界直後では96-99%がシダ胞子となっている[19]。シダ類は噴火による溶岩や火山灰によってすべての植物が消滅した荒地に最初に繁茂することが確認されている[注釈 7]が、K-Pg境界事件の直後に広がった荒地をシダ類が覆ったと想定されている。この顕著な現象はシダスパイク(英語版)と呼ばれ、K-Pg境界直後のプランクトンがいなくなった海中で堆積した複数の地層からも見つかっている。このことは広範囲にわたる地上の植生の荒廃と海洋の絶滅が同時に生起したことを意味する[21]

シダ類の優占した期間は短く、次に河畔林などを作る(荒地に適性のある)被子植物が繁茂し始めたが植物多様性の回復は遅れ、最終的に白亜紀レベルの多様性まで回復したのは約150万年後であった[22]
白亜紀最後のマストリヒシアンに生息していた生物の復元想像図

トリケラトプス、白亜紀最後の北米に生息していた、体長9m

ティラノサウルス、肉食恐竜、白亜紀末にて絶滅、体長11-13m

巨大な海生爬虫類モササウルスの一種ゴロニオサウルス、体長7m

翼長11mに達した翼竜ケツァルコアトルス、翼竜として最大であった。

石頭恐竜とも呼ばれるパキケファロサウルス、体長8m

大絶滅の原因をめぐる議論

地質学の分野では、19世紀以来チャールズ・ライエルが提唱した「過去に起こったことは現在観察されている過程と同じだろう」と想定する斉一説が基本とされてきた。この考え方に基づけば、「天変地異を原因とする生物の大量絶滅」は地質学者の間で考慮されることはなかった[23]。下記の「隕石説」が提起されるまで恐竜絶滅の原因として、「夜間も活発に活動する哺乳類の台頭によって、恐竜の卵が食べつくされた」、「あまりに巨大化した恐竜は、種としての寿命が尽きた」、「白亜紀末期に出現した被子植物に対応できなかった」等の説があったが、いずれも客観的な証拠が欠けていた[注釈 8]
巨大隕石衝突説の登場アメリカワイオミング州で採取されたK-Pg境界を含む岩石。中央の白い粘土層は上下の白亜紀・新生代第三紀に比べて千倍のイリジウムを含んでいる

1980年、アメリカカリフォルニア大学の地質学者ウォルター・アルバレス(アルヴァレズ)とその父でノーベル賞受賞者でもある物理学者ルイス・アルバレスおよび同大学放射線研究所核科学研究室の研究員2名が、K-Pg境界における大量絶滅の主原因を「隕石」とする論文を発表した[25]

アルバレス父子はイタリアのグビオに産するK-Pg境界の薄い粘土層を、彼らの研究室にしかなかった「微量元素分析器」を使って分析し、他の地層と比べ20 - 160倍に達する高濃度のイリジウムを検出した[26]。イリジウムは、地表では極めて希少な元素である反面、隕石には多く含まれること、デンマークに産出する同様の粘土層からも同じ結果を得たことで、イリジウムの濃集は局地的な現象ではなく地球規模の現象の結果であると予測されることから、彼らはその起源を隕石に求めた。またこの論文では「巨大隕石の落下によって発生した大量の塵が地上に届く太陽光線を激減させ、陸上や海面の植物の光合成が不可能となって、食物連鎖が完全に崩壊した結果大量絶滅をもたらした」とした[注釈 9]。衝突直後の昼間の地上の明るさは満月の夜の10%まで低下し、この状況が数か月から数年続くと推定した[28]

この論文は、地質学者の激しい抵抗で迎えられた[注釈 10]。反論のなかで最も有力だったものが、イリジウムの起源を火山活動に求めた火山説である。地表では希少なイリジウムも地下深部には多く存在する。それが当時起こっていた活発な火山活動(インドのデカン高原を作った面積100万平方km[30]に広がる洪水玄武岩デカントラップ」により地表に放出されたとするのが「火山説」であり、隕石説に反対する多くの地質学者がこの説を支持した。巨大な洪水玄武岩の噴火は、K-Pg境界より規模の大きな大絶滅であったP-T境界事件の原因と推定されており、生物界に大きな影響を及ぼすと考えられる[注釈 11]
巨大隕石落下の証拠K-Pg境界:チクシュルーブ・クレータ (Chicxulub Crater)「チクシュルーブ・クレーター」も参照

アルバレス論文では、イタリアとデンマークのイリジウムに富む薄い粘土層が分析されたが、論文発表の直前にニュージーランドのK-Pg境界層でもイリジウムの濃集が確認された。引き続き同様のイリジウム濃集層がスペイン・アメリカ各地・中部太平洋・南大西洋の海成堆積岩層のK-Pg境界に相当する部分[32]や地上で堆積したK-Pg境界の泥岩層から確認された[33]。これらの特徴的なK-Pg境界層の厚さは、ヨーロッパでは約1cmであったが、北アメリカのカリブ海周辺やメキシコ湾岸では厚さが1mを超える上、構造や成分の異なる2層が観察され、衝突の結果形成されたクレーターが付近に存在すると考えられた[34]

北アメリカのK-Pg境界の粘土層中には、高熱で地表の岩石が融解して飛び散ったことを示すガラス質の岩石テクタイトとそれが風化してできたスフェルール、高温高圧下で変成した衝撃石英も発見されており、これらはすべて、隕石衝突時の衝撃により形成されたと考えられている[注釈 12]

1980年の論文では、全世界にまき散らされたイリジウムの量やK-Pg境界層の厚さを元に落下した隕石の大きさを計算し 直径10±4km程度と算出した[28]。しかし、落下したことの最も確実な証拠であるクレーターは当時発見されなかった。調査が進むにつれて、K-Pg境界層の厚さから北アメリカ近辺に落下したらしいという点と、カリブ海周辺およびメキシコ湾周辺のK-Pg境界層で津波による堆積物が多く見つかることから、落下地点はこの近くにあると推定されるようになった[37]

1991年、巨大隕石による衝突クレーターと見なされる「ユカタン半島北部に存在する直径約170kmの円形の磁気異常と重力異常構造」がヒルデブランドらによって発見された[38]。この環状構造は石油開発関連の調査から導かれたもので、一部の関係者は把握していたが 1991年まで広く知られることはなかった。1975年には「古い火山中央部と見られる環状構造」、1981年には「噴出物を伴う衝撃孔」と報告されていたが、K-Pg境界と関連付けた報告ではなく大きな注目を受けなかった。これらの報告に使われたデータは「メキシコ石油開発公団」(ペメックス)が石油探査のために行った調査によるものであった[37]。ヒルデブランドらがペメックスが採取していたボーリングサンプルを再調査したところ、クレーターの形成年代がK-Pg境界と一致すること、含まれる岩石成分が周囲に飛び散ったテクタイトと一致することが判明し[39]、「K-Pg境界で落下した巨大隕石によるクレーター」であると確認した。

確認されたクレーターは現在のメキシコユカタン半島の北西端チクシュルーブで、直径約200km・深さ15 - 25kmのチクシュルーブ・クレーターと見積もられた(写真参照)(クレーターの直径についてはその後1995年に直径約300kmという説も発表された[40]が、現地での地震探査の結果2009年の時点では「直径200km」が妥当とされている[41])。また、隕石落下地点は当時石灰岩層を有する浅海域だったと推定され、隕石落下により高さ300mに達する巨大な津波が北アメリカ大陸の沿岸に押し寄せたと推定される[42]

火山説については 1999年にフランスの地質学者クロード・アレグレールらが、白亜紀末に該当するデカン洪水溶岩の年代について「6660万年前、誤差プラスマイナス30万年」と推定した。この年代値はイリジウムの濃集した堆積層よりも明らかに古く、隕石衝突に先行して噴火が起こったとしている[43]


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