K-Pg境界
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白亜紀に繁栄していた植物プランクトンの円石藻類の85%が絶滅、また同様に海中に大量に生息していた有孔虫類は一部の例外を除きほとんど絶滅した[注釈 3]

アンモナイトはデボン紀に出現して以降、3度の大量絶滅を経てもなお多様性を維持していたが、K-Pg境界は乗り越えられず絶滅した。

二枚貝類、腕足類コケムシ類の多くの種が絶滅した。特に厚歯二枚貝サンゴ類に代わって中生代の海を象徴する造礁生物だったが、K-Pg境界で全て絶滅した。

魚竜はジュラ紀に大隆盛を迎えてからは急激に衰退しはじめ、白亜紀の半ばには既に絶滅しており、首長竜も同時期に多様性を減少させていたが、K-Pg境界で絶滅した。

モササウルス類、淡水性サメ類[注釈 4]が絶滅した。

珪藻類魚類の被害は比較的少なかった。

白亜紀の名の元は、当時の海洋に多数生息していた円石藻類や有孔虫類の炭酸カルシウムの殻が堆積したチョーク(白亜)である[12]。海洋でのK-Pg境界を記録した地層では、有孔虫類が激減したため境界をはさんだ上下でプランクトンの種類がほぼ全て変化しており、その違い(有孔虫の化石の有無や地層の色の違い)が肉眼でも確認できる[13]
陸上での状況

陸上では恐竜がことごとく全滅し、他の生物にも莫大な影響があった。(ただし、鳥類及び小型の獣脚類の一部を除くとアラモサウルスなどのごく僅かな種類が、K-Pg境界の上から見つかった報告例があることから、その後もしばらく生き延びていた可能性が化石から示唆されている)[14]

翼竜類はジュラ紀に最盛期を迎えるが、白亜紀以降は鳥類の台頭と入れ替わりに衰退して多様性を減らしていき、K-Pg境界で絶滅した。

恐竜類のうち、鳥類(鳥類は小型の獣脚類の一種である)を除く全ての竜盤類(竜脚形類も含む)及び鳥盤類が絶滅。ケラトプス科のように北アメリカで多様性を得たり、ティタノサウルス類のように巨大化しながらも衰退して個体数も多様性も減らしていた種はK-Pg境界で全て絶滅した[注釈 5]

哺乳類の被害は比較的軽微だったが、それでも少なくとも種の35%が絶滅した。特に全長が1m以上の大きさで恐竜の子供など小動物を主食にしていた肉食の種はほぼ全て絶滅した可能性が高く[16]、15?20cm程度で昆虫やミミズ、種子を主食にした雑食の種は被害が少なかった。

北アメリカの植物種の79%が絶滅した。

エナンティオルニス類などの現生鳥類の姉妹群のほとんどが絶滅した。鳥類(新鳥類)は多様性を維持していたので、無事生き残った[注釈 6]

それ以外に両生類・昆虫類・恐竜以外の爬虫類(トカゲ類・カメ類・ワニ類・ヘビ類)などの被害も軽微だったが、今なお理由は不明である[18]

K-Pg境界直後の陸上植物の特徴としてシダ類の異常な繁茂があげられる。地質時代の広範囲な植生状況を調べる手段として、堆積物中の花粉や胞子の化石を調べる方法がある。北アメリカにおける化石の研究では、白亜紀の花粉や胞子の化石中のシダ胞子の比率は約25%だったのが、K-Pg境界直後では96-99%がシダ胞子となっている[19]。シダ類は噴火による溶岩や火山灰によってすべての植物が消滅した荒地に最初に繁茂することが確認されている[注釈 7]が、K-Pg境界事件の直後に広がった荒地をシダ類が覆ったと想定されている。この顕著な現象はシダスパイク(英語版)と呼ばれ、K-Pg境界直後のプランクトンがいなくなった海中で堆積した複数の地層からも見つかっている。このことは広範囲にわたる地上の植生の荒廃と海洋の絶滅が同時に生起したことを意味する[21]

シダ類の優占した期間は短く、次に河畔林などを作る(荒地に適性のある)被子植物が繁茂し始めたが植物多様性の回復は遅れ、最終的に白亜紀レベルの多様性まで回復したのは約150万年後であった[22]
白亜紀最後のマストリヒシアンに生息していた生物の復元想像図

トリケラトプス、白亜紀最後の北米に生息していた、体長9m

ティラノサウルス、肉食恐竜、白亜紀末にて絶滅、体長11-13m

巨大な海生爬虫類モササウルスの一種ゴロニオサウルス、体長7m

翼長11mに達した翼竜ケツァルコアトルス、翼竜として最大であった。

石頭恐竜とも呼ばれるパキケファロサウルス、体長8m

大絶滅の原因をめぐる議論

地質学の分野では、19世紀以来チャールズ・ライエルが提唱した「過去に起こったことは現在観察されている過程と同じだろう」と想定する斉一説が基本とされてきた。この考え方に基づけば、「天変地異を原因とする生物の大量絶滅」は地質学者の間で考慮されることはなかった[23]。下記の「隕石説」が提起されるまで恐竜絶滅の原因として、「夜間も活発に活動する哺乳類の台頭によって、恐竜の卵が食べつくされた」、「あまりに巨大化した恐竜は、種としての寿命が尽きた」、「白亜紀末期に出現した被子植物に対応できなかった」等の説があったが、いずれも客観的な証拠が欠けていた[注釈 8]
巨大隕石衝突説の登場アメリカワイオミング州で採取されたK-Pg境界を含む岩石。中央の白い粘土層は上下の白亜紀・新生代第三紀に比べて千倍のイリジウムを含んでいる

1980年、アメリカカリフォルニア大学の地質学者ウォルター・アルバレス(アルヴァレズ)とその父でノーベル賞受賞者でもある物理学者ルイス・アルバレスおよび同大学放射線研究所核科学研究室の研究員2名が、K-Pg境界における大量絶滅の主原因を「隕石」とする論文を発表した[25]

アルバレス父子はイタリアのグビオに産するK-Pg境界の薄い粘土層を、彼らの研究室にしかなかった「微量元素分析器」を使って分析し、他の地層と比べ20 - 160倍に達する高濃度のイリジウムを検出した[26]。イリジウムは、地表では極めて希少な元素である反面、隕石には多く含まれること、デンマークに産出する同様の粘土層からも同じ結果を得たことで、イリジウムの濃集は局地的な現象ではなく地球規模の現象の結果であると予測されることから、彼らはその起源を隕石に求めた。またこの論文では「巨大隕石の落下によって発生した大量の塵が地上に届く太陽光線を激減させ、陸上や海面の植物の光合成が不可能となって、食物連鎖が完全に崩壊した結果大量絶滅をもたらした」とした[注釈 9]。衝突直後の昼間の地上の明るさは満月の夜の10%まで低下し、この状況が数か月から数年続くと推定した[28]

この論文は、地質学者の激しい抵抗で迎えられた[注釈 10]。反論のなかで最も有力だったものが、イリジウムの起源を火山活動に求めた火山説である。地表では希少なイリジウムも地下深部には多く存在する。それが当時起こっていた活発な火山活動(インドのデカン高原を作った面積100万平方km[30]に広がる洪水玄武岩デカントラップ」により地表に放出されたとするのが「火山説」であり、隕石説に反対する多くの地質学者がこの説を支持した。巨大な洪水玄武岩の噴火は、K-Pg境界より規模の大きな大絶滅であったP-T境界事件の原因と推定されており、生物界に大きな影響を及ぼすと考えられる[注釈 11]
巨大隕石落下の証拠K-Pg境界:チクシュルーブ・クレータ (Chicxulub Crater)「チクシュルーブ・クレーター」も参照

アルバレス論文では、イタリアとデンマークのイリジウムに富む薄い粘土層が分析されたが、論文発表の直前にニュージーランドのK-Pg境界層でもイリジウムの濃集が確認された。


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