Je_suis_Charlie
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標準的なスローガンのレイアウト(シャルリー・エブド紙のウェブサイトより)アメリカサンフランシスコデモの様子(2015年1月7日)チェコプラハでのデモの様子(2015年1月8日)

"Je suis Charlie" (ジュスィ・シャルリー、フランス語発音: [?? s?i ?a?.li]、訳:私はシャルリー)は、フランスパリにある週刊風刺新聞「シャルリー・エブド」で12人が死亡した2015年1月7日テロ事件後、表現の自由を支持する人たちによって掲げられたスローガンである。テロで亡くなった犠牲者への連帯を示すものから転じて、広義では表現の自由への支持や武力への反対を意味するものとなっている。ジャーナリストの一部はこのスローガンを自己表現の自由を求める叫びと捉えている[1]。「シャルリー・エブド襲撃事件」も参照
経過

Twitterで発信されたのを期に、このスローガンはインターネットを通じて、世界中に広く拡散した。テロ攻撃後まもなく閉鎖されたシャルリー・エブド紙のウェブサイトでも、サイト復活後に、背景色を黒にした「Je suis Charlie」という文が掲載されている[2]。この表現はあらゆるところで引用され、Twitter上ではハッシュタグ 「#jesuischarlie」や「#iamcharlie[3]」が生成されて拡散[4]追悼集会やデモ行進では、この表現を元にした手作りのプラカードシールを掲げる人や、携帯画面に「Je suis Charlie」を表示しキャンドル代わりにする人も現れた。またニュースサイトを中心とした世界中の多くのウェブサイトでもこの表現が用いられている。

テロ攻撃の2日後には、このスローガンはTwitter史上、最も使用されたハッシュタグの一つとなった[5]

1月12日、「Tout est pardonne(すべて赦される)」という見出しのもと、「Je suis Charlie」と書かれたカードを持って涙を流した預言者ムハンマドが描かれたシャルリー・エブド紙の表紙絵が公開された。テロ事件から1週間後の1月14日に発行されている[6]
含意

「Je suis Charlie」が広まったのは、フランス人ジャーナリストであるジョアシャン・ロンシャン(: Joachim Roncin)のTwitterへの投稿がきっかけである。彼は「Je suis Charlie」と書かれた画像を制作し、テロ攻撃があった約1時間後にTwitter上に投稿した。地元のスタイリスト誌では音楽・美術部門も担当しているロンシャンは、このイメージ画像を作った理由を「言葉だけでは伝わらないから」と述べている。さらに彼は「Je suis Charlie」のスローガンは彼の息子によく「Ou est Charlie(シャルリーはどこ?:仏版『ウォーリーを探せ』)」を読み聞かせていたことが影響して、自然と頭に浮かんだフレーズであったことを明らかにした[7]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}また「Charlie」はもちろん襲われた新聞社の名前だが、チャーリー・チャップリンのファーストネームでもあり、新聞社の名前も彼の風刺精神にちなんで命名したものである。デモの参加者のなかには、同じプラカードを掲げたスカーフ姿のイスラム教徒の若い女性たちも多く見かけられたという[要出典]。

今回の「Je suis Charlie」は、過去の多くのスローガンと同様に、犠牲者との即時的な連帯感を呼び起こす機能があると報じられている。たとえばアメリカのオンラインニュースサイト「スレート」のライターであるアマンダ・ヘス(Amanda Hess)は、「私は」や「我々は」という言葉を用いたスローガンを通して「我々は、犠牲者のアイデンティティーと同化し、共感や怒り、そして恐怖を表現している」と記した[8]

またフランスの多くのメディアが「今夜、我らは皆アメリカ人だ (: Ce soir, nous sommes tous Americains) 」というフレーズとの類似性を指摘している。これは2001年9月11日アメリカ同時多発テロ発生時、当時テレビ局「France 2」のレポーターであったニコール・バシャラン(Nicole Bacharan)が夕方のニュースで述べた台詞である。この台詞は当時フランス国内で話題を呼び[7]、翌日発行された仏紙ル・モンドの表紙の一面を飾るほどであった。同様に連帯感を生んだフレーズとして、冷戦時の「私はベルリン市民である: Ich bin ein Berliner)」という言葉が比較としてあげられている[9]。これは1963年6月26日ドイツ西ベルリンで開催されたベルリン封鎖15周年を祝うセレモニーで、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が述べた台詞である。

ほかにもメディアでは、スパルタクスの反乱を描いた小説を元にした1960年の米映画「スパルタカス」の劇中で、スパルタカスを守るために仲間たちが次々と発する「私がスパルタカスだ!」という有名な台詞を引き合いに出したり[10]2011年?2012年の「ウォール街を占拠せよ」運動における「私たちは残りの99%だ(We are the 99%)」や2012年のフロリダ州黒人少年射殺事件での「私がトレイヴォン・マーティンだ(I am Trayvon Martin)」、2014年のニューヨーク州黒人青年窒息死事件での「息ができない(I can't breathe)」などの近年使われたスローガンやハッシュタグと比較したりしている[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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