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をお願いします。(2013年6月)JanJanサタデー
ジャンル情報バラエティ
出演者三上寛
とよだきしこ
小森まなみ
ミスターK
ラサール石井
斉藤満喜子
大森うたえもん
西尾拓美
松原桃太郎
酒井美紀
ほか
製作
制作静岡第一テレビ
放送
放送国・地域 日本
三上寛のJanJan金曜日
放送期間1981年(昭和56年)4月3日 - 1982年(昭和57年)3月26日
放送時間金曜日17:15 - 18:00
JanJanサタデー
放送期間1982年(昭和57年)4月3日 - 1993年(平成5年)3月27日
放送時間土曜日17:10 - 18:00
(初期は17:15 - 18:00)
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『JanJanサタデー』(ジャンジャンサタデー)は、1982年(昭和57年)4月3日から1993年(平成5年)3月27日まで静岡第一テレビで放送された若者向けの情報番組である。略称は「Janサタ」(ジャンサタ)。なお、ここでは1981年(昭和56年)4月3日から1982年(昭和57年)3月26日まで同局で放送された前身番組『三上寛のJanJan金曜日』(みかみかんのジャンジャンきんようび)についても記述する。 静岡県内最後発の静岡第一テレビ(以下「SDT」と略す)が視聴者にアピールできる自社制作番組を作りたいということで、それまで放送されていた「主婦向け情報番組」に変わる新番組の検討がなされた。この際に引き続き「主婦向け」で行くか、視点を変えた「若者向け」で行くかが社内で議論され、その結果あえて「若者向けで1時間の生番組」を制作することが決まったという。 新番組は「若者向け番組」と決まったものの、静岡は若者向け番組が定着しにくい土地柄と言われていたため、折角立ち上げる番組をどう定着させ、長続きさせるかが、次の議論の的となった。この過程で番組司会者についても検討がなされ、予算面を考慮しながらも「メッセージ性を持っていること」「制作スタッフと世代が近いこと」などを条件としてフォーク歌手の三上寛に絞り、出演を受諾してもらったという[1]。 番組名の由来は、静岡の方言「きれいじゃん」「やったじゃん」など「?じゃん(=だろう)」から来ている説と、「じゃんじゃんやろう!」という“呼びかけ”から来ているという2つの説があるという。これらを踏まえ「(消極的とされる)静岡の人(たち)よ、何でもじゃんじゃんやろうじゃないか」という意味合いを番組タイトルに込めたと言われている。 【注意】ここに列記されている人名は、生出演だけではなく、VTRでのコーナー出演なども含む。
番組立ち上がりの経緯
番組名の由来
歴史
1981年(昭和56年)4月 - 『三上寛のJanJan金曜日』としてスタート。開始当初の放送時間は、毎週金曜日午後5:15 - 6:00の45分間だった。
1982年(昭和57年)4月3日 - 放送時間を土曜日夕方に移動し、『JanJanサタデー』にタイトル変更。当初の放送時間は、毎週土曜日午後5:15 - 6:00の45分間だった。この日から、小森まなみが正式に番組レギュラーに加わる。
1982年(昭和57年)7月 - 放送時間が5分繰り上がって拡大し、午後5:10 - 6:00の50分番組となる。この改編以降、JR(当時は国鉄)静岡駅ビル「パルシェ」から月1回の公開生放送を開始した。
1986年(昭和61年)3月 - 番組スタート時からアシスタントを務めたとよだきしこ
1987年(昭和62年)3月 - 番組メイン司会者の三上寛が番組を降板。
1987年(昭和62年)4月 - 三上寛降板を受け、新たなメイン司会者としてラサール石井、同時に局アナ(新人の嬉須海加奈子
1988年(昭和63年)3月 - 番組スタート時からのレギュラーだったミスターKが番組を降板。
1989年(昭和64年)1月7日 - 昭和天皇崩御に伴う特別編成により番組休止。
1989年(平成元年)9月 - 「JanJanサタデー」スタート時からのレギュラーだった小森まなみが番組を降板。
1989年(平成元年)10月 - 小森まなみ降板を受け、新たなレギュラーとして元おニャン子の斉藤満喜子が加入(最終回まで見届ける)。
1990年(平成2年)3月31日 - 2代目メイン司会者のラサール石井、アシスタントの嬉須海加奈子(当時局アナ)が番組を降板。この日は旧社屋増築部のお披露目[2]を中心に、いわゆるバックヤード(主調整室やVTR編集室)やこの時期に運用を開始したSNG(衛星中継)システムの紹介を行った。
1990年(平成2年)4月 - 『JANJANサタデー』(アルファベット大文字)にタイトル変更。ラサール石井にかわり、3代目メイン司会者として大森うたえもん、アシスタントとして新人局アナの山崎温子が加入。
1991年(平成3年)3月 - 3代目メイン司会者の大森うたえもんが番組を降板。
1991年(平成3年)4月 - 4代目メイン司会者として、CHA-CHAメンバーであった西尾拓美と松原桃太郎のコンビが加入。同時に番組マスコットガール兼アシスタントとして酒井美紀も番組に加入。
1992年(平成4年)9月 - 局アナアシスタントとして出演していた山崎温子が、静岡第一テレビ退職のため番組を降板。これにより、局アナのレギュラー出演がなくなる[3]。
1993年(平成5年)3月 - 番組終了。『JANJANシリーズ』は12年の放送に幕を閉じた。
司会者・レギュラー出演者
三上寛(1981年4月 - 1987年3月)
とよだきしこ(1981年4月 - 1986年3月)
ミスターK(1981年4月 - 1988年3月)当時SDTアナ→フリー
小森まなみ(1982年4月 - 1989年9月)
ラサール石井(1987年4月 - 1990年3月)[4]
嬉須海加奈子(1987年4月 - 1990年3月)当時SDTアナ、クレジットは「きすみかなこ」と表記[4]
石井克明(1987年4月 - 1988年3月)
奥野国英(学習院奥野)(1987年4月 - ?)当時SDTアナ
大森うたえもん(1990年4月 - 1991年3月)
斉藤満喜子(1989年10月 - 1993年3月)[4]
山崎温子(1990年4月 - 1992年9月)当時SDTアナ
西尾拓美(1991年4月 - 1993年3月)
松原桃太郎(のち「松原ひとし」に改名、1991年4月 - 1993年3月)
マリオ中村(1988年4月 - 1991年3月)
せのおたくま(1985年頃と思われるが詳細不明)
アシスタント
とみたゆうこ(1988年4月 - 1990年3月)※歌手のとみたゆう子とは別人
酒井美紀(1991年4月 - 1993年3月)
ゲスト出演の経験がある有名人(順不同)