JUN_SKY_WALKER(S)
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レコード会社をEPIC/SONY RECORDSに移籍。

5月、8thアルバム『DAYS』を発売。

1995年


5月、9thアルバム『nine』を発売。

1996年


7月、10thアルバム『EXIT』を発売。

1997年


1月、解散を発表し、最後のベスト・アルバム『MY GENERATION』を発売。

6月、解散ツアー『HELLO』の最終日である日比谷野外音楽堂でのライブにて解散した。

1997年 - 2006年(ソロの活動については各個人の項目を参照)


宮田和弥は、ソロ名義で2枚のアルバムを発表したのち、UNICORN川西幸一らと共に新バンド「ジェット機」を結成。

森純太は、プロデュース業やAi Bandなどを経て、自身がフロントを務めるバンド「BARBIE ATTACK DOLL(S)」を結成。

伊藤毅は、再びディレクターとしての活動をしつつ、宮田のソロライヴにベーシストとして参加するなどしていた。2006年には自身が参加していたバンドTHE VANILAを再結成する。

小林雅之は、POTSHOTへの加入・解散後はフリーのドラマーとして活動。

2007年


5月、かつて活動していた渋谷La.mamaが25周年、名古屋E.L.Lが30周年記念ということもあり、JUN SKY WALKER(S)の2夜限りの再結成ライブが実現した。

9月2日、解散以来10年ぶりに1年間の期間限定で再結成することを発表。

11月から全国4ヶ所で『J(S)W 20th ANNIVERSARY PRE FESTIVAL』を行う。

2008年


1月、寺岡主催の音楽イベント『Golden Circle Vol.11』に出演。

2月 - 5月、『J(S)W 20th ANNIVERSARY TOUR "MY GENERATION"』で全国32箇所のライブハウスを回った。

7月 - 8月、サマーソニックライジング・サン・ロックフェスティバルなどのフェスに出演。

9月、約12年ぶりの12thシングル「青春」を発売。

9月 - 10月、『J(S)W 20th ANNIVERSARY LAST TOUR "THANK YOU"』で全国16箇所を回るツアーを開催。

12月、寺岡主催の音楽イベント『Golden Circle Vol.12』でJUN SKY WALKER(S)の活動を終える。 

2011年


4月、東北地方太平洋沖地震を受けて、チャリティライブを開催するため、活動再開することを発表。

10月、2012年からJUN SKY WALKER(S)としての再活動を発表。東北6県ツアー『Walk to TOHOKU』を開催。

10月25日・26日、19年振りにUNICORNとの対バンを『Golden Circle』として日本武道館にて開催。

12月、アイビーレコードからの移籍第一弾作品としてシングル「シンフォニー」をTSUTAYAレンタル限定で発売。

2012年


1月、再録ベスト・アルバム『B(S)T』を発売。

2月 - 4月、ライブツアー『JUN SKY WALKER(S) TOUR 2012 “B(S)T”?完全復活?』を開催。

4月、16年ぶりの11thアルバム『LOST&FOUND』を発売。

6月 - 7月、ライブツアー『J(S)W TOUR 2012 “LOST&FOUND” FIRST STAGE』を開催。

11月、ライブツアー『TOUR 2012 “LOST&FOUND” SECOND STAGE』を開催。

12月、TSUTAYAレンタル限定CD「マザー/BEAUTIFUL WORLD」を発売。

2013年


1月、13thシングル「虹」を発売。

2月、12thアルバム『FLAGSHIP』を発売。

3月 - 5月、ライブツアー『J(S)W 25th TOUR ?Anniversary?』を開催。

5月21日、25周年スペシャルライブ『?この日から僕らは歩いてきた? J(S)W 25周年スペシャルライブ』を渋谷公会堂で開催。元メンバーの伊藤、デビュー前から親交のあるニューロティカやメンバーが尊敬するKODOMO BANDうじきつよしをゲストに迎えた[1]

2014年


1月11日、『25TH ANNIVERSARY LIVE BEST of JUN SKY WALKER(S)』を日本武道館で開催[2]。武道館公演は、2011年10月にユニコーンと対バンライブを行っているが、単独では活動再開後初となる[1]

2015年


11月、13thアルバム『BACK BAD BEAT(S)』を発売。

2016年


9月、14thアルバム『FANFARE』を発売。

2017年


ドリーミュージックに移籍することを発表[3]

2018年


1月、カバーアルバム『BADAS(S)』発売。

5月、メジャーデビュー30周年を記念したベストアルバム『ALL TIME BEST?全部このままで?1988-2018』発売。

11月、ミニアルバム『白いクリスマス 2018』発売。

2019年


3月、メジャー・デビュー日が1988年5月21日であることから、5月21日を『JUN SKY WALKER(S)の日』として、日本記念日協会に正式に記念日として認定された[4]

5月19日、『JUN SKY WALKER(S)の日認定記念スペシャルイベント』が開催。

10月29日、西東京市PR親善大使に任命される[5]

2021年


1月27日、寺岡の卒業を発表[注 3]

2022年


5月、15thアルバム『BRAND NEW WORLD』を発売。

2023年


1月1日、TOY'S FACTORYとの再々契約を発表。

エピソード
結成

中学時代ギターを弾いていた森純太が、ベースを弾く1学年下の伊藤毅に声をかけ、週末などにセッションを行なう。セッションして行く内に、ドラムを入れたいという話になり、丁度その時に小林雅之が叩きたいと言って来て、メンバーになる。3人でセッションして行く内に、やはりボーカルも欲しいという話になる。小林を通じて宮田和弥が歌いたいと言いオーディションを受けた所、森が気に入りメンバーとなった。結成当時は地元のライブハウスで活動。多くの人に聴いて欲しいという思いもあり、ホコ天でのライブを思い付いた。ホコ天でライブを繰り返す内に次第に有名になり、多くのファンが集まるようになっていった。ホコ天でライブをしていた頃、弟を通じてジュンスカの存在を知った寺岡呼人がファンになりスタッフとして同行するようになった。
バンド名の由来

森純太が所有していた"JUN"という服飾メーカーのTシャツに印字された"SKY WALKER"というロゴプリントをメンバーが気に入り、響きがいいのでそのまま採用した。

グループ名の末尾の(S)は、高校時代にJUN SKY WALKERというバンド名で活動時、英語の教師から「ローリング・ストーンズビートルズも、有名なグループには複数形の『S』が付いているから名前を変えてはどうか」と提案されたことによる。また、英語の教師から「グループであるからには、複数形のSをつけるか、冠詞の a が付かなければおかしい」と指摘されたためとも回答している場合もある。(s)になっているのは、他人に指摘されたことでグループ名を変えたくないというささやかな反抗からであったが、BOOWYの「O」のように目立つから良いということになり、「(S)」が正式名称になった。
解散

リーダーの森純太は、結成当時からジュンスカをずっと続けて行きたいという思いがあった。しかし後期に出したアルバム「nine」のツアーが終わった頃、宮田和弥がジュンスカを辞めたいと言い、宮田は森に「ジュンスカを続けたいなら代わりのメンバーを入れてやってくれ」と言ったり、森も宮田を引き留めるのに何度も話し合いをしたが、宮田の気持ちは変わらず、「バンドの顔であるボーカルの宮田がいなくなるならジュンスカじゃない」と森は1997年1月に解散を発表した。その後、解散ツアー「HELLO」を開催、最終日である6月14日に日比谷野外音楽堂でのラストライブをもって解散した。
再結成

ドラム担当であった小林雅之『La.mamaの25周年、ELLの30周年の記念イベントがあるんだけど、そこにジュンスカで出ないか?』、残りのメンバー3人に言い出したのが、再結成のきっかけとなった。小林は再結成の話をしに、宮田とファミレスで会ったが、小林「事前に寺岡には承諾を得ている。宮田が快諾してくれれば、森にも話しするつもりだ」と宮田に提案し、宮田「二人がOKならいい」と快諾した。再結成は当初、La.mamaのイベントのみで考えていたが、ライブ終了後に話が盛り上がり、また2008年がメジャーデビュー20周年ということもありツアーを敢行、それ以後も活動することとなった。

また、ベースをオリジナルメンバーである伊藤ではなく寺岡にしたのは、「伊藤ではダメ」ということでは無く、「全部このままで」、「ひとつ抱きしめて」、「歩いていこう」を作ったメンバーでやるのが、ファンにとってもいちばんいいだろうと思い、寺岡を選んだ[7]。伊藤はメジャー・デビュー25周年、30周年の節目のライブにゲスト出演している。
アーティストとの関わり

この節の加筆が望まれています。 (2022年12月)

Mr.Children
Mr.Childrenがヒットする以前にもジュンスカライブに前座で出ていた事があった。また、ボーカルの桜井和寿はベースの寺岡と仲が良く、たびたび『Golden Circle』に桜井がゲストとして参加している。
スピッツ
ボーカルの草野マサムネが音楽を始めた頃、森純太の元に何度かデモテープを聴いてもらいに通っていたとのこと。
ディスコグラフィ
カセット・テープ

HEY CRAZY(1984年頃)
南無妙法蓮華経

Rock'N Roll City

NIGEL

ALWAYS ON THE STREET

どっとFEEL

13日の金曜日


PRIVATE ONE(1986年8月)
SHAKES BAD BOYS

言葉につまる

テレフォンナンバー

ON THE ROCKS


PRIVATE TWO(1986年9月)
MY GOOD BYE

LONELY GIRL

HEY HEY HEY

ぶっとばせ


カセット・マガジン BAD MORNING(1986年12月1日)
SEXY EMBLEM

BAD MORNING

SUICIDE DAY

CHI-GA-U

I WANNA DANCE

STREET ONE BOY


PRIVATE III(1987年5月)
カギは誰が・・・

NO NO BOY

JACK & BETTY

いつも二人で


クリスマス無料配布カセットEve & Love(1986年)

J(S)W クリスマス・カセット 白いクリスマス(1987年)


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