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西日本旅客鉄道広島支社(にしにほんりょかくてつどうひろしまししゃ)は、広島市東区上大須賀町にある西日本旅客鉄道(JR西日本)の支社の一つである。現在は中国統括本部の下部組織。 かつての日本国有鉄道(国鉄)広島鉄道管理局を継承し発足した。広島駅を中心とした路線群を広島シティネットワークと命名し、都市間輸送網を構築している。 経営の立て直しを目的とした合理化の一環として、広島支社・岡山支社・米子支社の総務部門を広島に新たに設置する「中国統括本部(仮称)」に集約する(運行部門と窓口は各支社に残す)方針であることが報じられていた[3][4]。 2022年8月1日のプレスリリースで、10月1日からの組織再編の概要が発表された[5]。
支社所在地
広島支社
広島市東区上大須賀町15番20号国鉄時代から長らく広島駅正面の広島市東区二葉の里3丁目8番21号に所在していたが、建物の老朽化と広島駅新幹線口駅前の再開発事業に伴い、以前から自社所有地であった広島駅西側の現在地に新支社ビルを建設した。2020年から段階的に移転させ、同年11月末に完全移転した[1][2]。なお、中国統括本部発足後は同本部と広島支社がこのビルに同居する形となった。
広島支社山口エリア統括部(山口支社)
山口県山口市小郡下郷2278-5 小郡第6ビル
概要
中国統括本部を新設し、岡山支社・広島支社・米子支社を下部組織化。米子支社は山陰支社に名称を変更
岡山・広島・米子の指令所の上部組織として中国総合指令所を設置
広島・米子支社管内の鉄道部を中国統括本部直轄化
各支社は規模を大幅に縮小し、地域共生・部門間連携・異常時への対応を行う
沿革
1950年(昭和25年)8月1日:広島鉄道管理局が発足。
1987年(昭和62年)
4月1日:広島鉄道管理局を継承し、西日本旅客鉄道 広島支社が発足。
7月25日:岩日線が廃止(錦川鉄道錦川清流線に転換。岩徳線への片乗り入れは継続)。
10月1日:山陰本線 飯浦駅(構内を除く) - 長門三隅駅間が米子支店から移管される[6]。
1988年(昭和63年)
3月13日:山陽新幹線に東広島駅が開業。
4月3日:山陽本線に宮内串戸駅が開業。
1989年(平成元年)8月11日:山陽本線に中野東駅と阿品駅が開業。
1990年(平成2年)
6月1日:山陰本線 益田駅(構内を除く) - 飯浦駅間、山口線 益田駅(構内を除く) - 本俣賀駅間が米子支社から移管される[7]。
9月27日:岩徳線に欽明路駅が開業。
1991年(平成3年)
4月1日:芸備線 備後落合駅(構内を除く) - 塩町駅間が岡山支社から移管される[8][9]。
1992年(平成4年)3月19日:呉線に呉ポートピア駅が開業。
1994年(平成6年)
8月20日:可部線に大町駅が開業。
10月1日:呉線に安芸長浜駅が開業。
1997年(平成9年)4月1日:美祢線 南大嶺駅 - 大嶺駅間が廃止[10]。
1999年(平成11年)2月7日:呉線にかるが浜駅と水尻駅が開業。
2001年(平成13年)4月1日:三江線 口羽駅 - 三次駅(構内を除く)間が米子支社に移管される。
2000年(平成12年)3月11日:山陽本線に前空駅が開業。
2002年(平成14年)
3月23日:呉線に新広駅が開業。
4月:福塩線 府中駅(構内を除く) - 塩町駅間が岡山支社から移管される[11]。
2003年(平成15年)
10月1日:小郡駅を新山口駅に改称[12]。
12月1日:可部線 可部駅 - 三段峡駅間が廃止[13][14]。
2004年(平成16年)3月13日:山陽本線に天神川駅が開業[15][16]。
2005年(平成17年)10月1日:九州旅客鉄道エリア内との在来線定期普通列車の相互直通運転を廃止。
2006年(平成18年)6月23日:広島新幹線運転所は乗務員区所のみを残し、博多総合車両所広島支所として福岡支社に移管される。
2007年(平成19年)
7月1日:広島新幹線運転所や広島車掌所(現在の広島新幹線車掌所)をはじめとした広島支社管内の新幹線現業機関が、同日より発足した新幹線管理本部(現在の新幹線鉄道事業本部)に移管される(エリア内の駅の管理は継続)。