この項目では、2005年に尼崎市で発生した事故について説明しています。
1991年に福知山市で発生した事故については「日本の鉄道事故_(1950年から1999年)#福知山線岡踏切事故」をご覧ください。
1995年に藍本駅で発生した事故については「日本の鉄道事故_(1950年から1999年)#福知山線藍本駅脱線事故」をご覧ください。
JR福知山線(宝塚線)脱線事故
脱線した207系電車(塚口側)
発生日2005年(平成17年)4月25日
発生時刻9時18分頃 (JST)
国 日本
場所兵庫県尼崎市久々知
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度44分29秒 東経135度25分36秒 / 北緯34.74139度 東経135.42667度 / 34.74139; 135.42667
事故車両と同型の207系電車(同形は321系導入の際、塗装が変更された。)JR神戸線(東海道本線)・福知山線の宝塚駅・尼崎駅付近路線図事故から4日後の現場(周囲が青いビニールシートで覆われ脱線車両が残っている 2005年4月29日撮影)
JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。乗客と運転士合わせて107名が死亡、562名が負傷した[1]。
なお、JR西日本では、「福知山線脱線事故」ではなく「福知山線列車事故」と呼称している[2]。マスコミなどでは、「JR宝塚線脱線事故」や「尼崎JR脱線事故」などとも呼称される[3][4]。
概要先頭車両の損傷事故現場の空撮写真
2005年(平成17年)4月25日(月)午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市久々知にある福知山線塚口駅 - 尼崎駅間の制限速度70 km/hの右カーブ区間[5](曲率半径304 m。塚口駅の南約1 km、尼崎駅の手前約1.4 km地点、尼崎駅起点上り約1.805 km地点)を宝塚発JR東西線・片町線(学研都市線)経由同志社前行き上り快速(列車番号5418M、7両編成[注 1])が116 km/hで進入し、その列車の前5両が脱線した。
脱線したうち前4両は、線路から完全に逸脱。先頭の2両は線路脇の分譲マンション「エフュージョン尼崎」(2002年竣工)に激突。先頭車は1階ピロティ部の駐車場へ突入し、2両目はマンション外壁へ横から激突しさらに脱線逸脱してきた3 - 4両目と挟まれて圧壊。外壁にへばりつくような状態で、1 - 2両目は原形をとどめないほどに大破した。また、3 - 4両目は反対側の下り線路を支障していた[6][7]。
事故列車は、4両編成と途中の片町線(学研都市線)京田辺駅で切り離す予定だった3両編成を連結した7両編成で運転していた。前から1・4・5・7両目の運転台のある車両に列車の運行状態(非常ブレーキ作動の前後5秒間)を逐一記録する「モニター制御装置」の装備があり、航空・鉄道事故調査委員会が解析を行ったところ、前から5両目(後部3両編成の先頭車両)と7両目に時速108 kmの記録が残されていた[注 2]。先頭車両が脱線、急減速した影響でジャックナイフ現象によって車列が折れ、連結器部分で折り畳まれるような形になったために、側面から玉突きになって被害が拡大した。
当時、事故車両の1両目は、片輪走行で左に傾きながら、カーブ開始点付近の線路そばにある電柱に接触し[8]、マンション脇の立体駐車場と同スペースに駐車していた乗用車を巻き込むとともに左に横転、マンション1階の駐車場部分へと突入し奥の壁に正面から激突した。