JOHNNYS'_ジュニア・スペシャル
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Jr.SP」とは異なります。

JOHNNYS' ジュニア・スペシャル
別名ジュニア・スペシャル
出身地 日本
ジャンルJ-POP
活動期間1974年 - 1978年
レーベルCBS・ソニー
事務所ジャニーズ事務所
共同作業者ジャニー喜多川

旧メンバー

板野俊雄(トシちゃん)

林正明(マーちゃん)

畠山昌久(チャーリー)

山縣孝良(タカ坊)

井上純一(ジュン)

JOHNNYS' ジュニア・スペシャルは、1974年夏に「ジュニア・スペシャル」の名で結成され、ジャニーズ事務所に在籍していた男性アイドルグループ1970年代の中期に活躍。表記は「JOHNNY'S」ではなく「JOHNNYS'」(「ジャニーの」ではなく「ジャニーズの」の意)が正しい。愛称は頭文字を取って「JJS」。旧グループ名は「ジュニア・スペシャル」。後に「VIP」(後述)というグループとなった。
メンバー

板野俊雄(リーダー。愛称・トシちゃん。
1957年4月26日[1] - )

山口県徳山市(現:周南市)出身[1]。身長168cm。51kg(1976年2月)[1]堀越高等学校卒業。元・郷ひろみの付き人。一時期「板野としお」と名乗っていた。1980年6月1日ジャPAニーズ加入。


林正明(はやし まさあき、愛称・マーちゃん、ドラキュラ。1958年8月30日[1] - 2016年5月26日(死去判明日)[2]横浜市保土ケ谷区出身 川崎市出身[1])身長175cm。53kg(1976年2月)[1]

堀越高等学校卒業。


畠山昌久(愛称・チャーリー、チャリ坊。1958年2月9日[1] - 2003年5月31日。東京都立川市出身[1]

堀越高等学校卒業。父親はスパニッシュダンスの先生。


脱退メンバー

(前身グループ「ジュニア・スペシャル」のみに参加したメンバー)

山縣孝良 (愛称・タカ坊、1957年
5月4日 - 、東京都出身)

1972年11月、渋谷公会堂に『ロッテ歌のアルバム』を観覧しに行った際、ジャニーズ事務所の副社長・メリー喜多川によってスカウトされた。堀越高等学校卒業。


井上純一 (愛称・ジュン、1958年8月14日 - 、東京都世田谷区出身)

山縣孝良の脱退後に参加したが、すぐに同じく脱退。その後は、映画の主役デビューや、ソロレコードデビューなどの活躍をした。


概要

1974年夏、「ジャニーズ・ジュニア第1期生」が2つのグループに分割された。一つはフォーリーブスのコンサートのバックダンサーチームとして作られた3人組の「ジュニア・スペシャル」(板野俊雄、林正明、山縣孝良)。もう一方はジャニーズ・ジュニアの名義のまま、郷ひろみのコンサートのバックを担当した(小坂まさる、畠山昌久、近藤純市、鈴木寛、吉田義久、柏木孝夫)。

夏のコンサートを終えた同年9月、小坂と近藤が共にジャニーズ事務所からの脱退を宣言し、それまで住んでいたジャニーズの合宿所を退所する。その為、山縣がスペシャルから元のジャニーズ・ジュニアへ異動となり、同年10月に山縣、畠山、鈴木、吉田、柏木の5名に対して「ジャニーズ・ジュニア・エース」というグループ名が与えられたが、翌11月には山縣、鈴木、吉田、柏木の4名もジャニーズ事務所を退所してしまい、エースはわずか一ヶ月で消滅した。

その後、ジュニア・スペシャルには井上純一が加入。すぐに続いて畠山昌久も加入して4人組になるが、井上が脱退し、最終的に「板野・林・畠山」という構成に落ち着いた。 一方、ジャニーズ事務所を辞めた6名のJr.はバーニングプロダクションへ移籍し、新グループ「メッツ」を結成してレコードデビューした。

1975年2月21日、グループ名も正式に「ジュニア・スペシャル」から「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」となり、『ベルサイユのばら』でレコードデビュー。

日本テレビ系の早朝子供番組『おはよう!こどもショー』にレギュラー出演。 「JJSの親子ゲームコーナー」というレギュラーコーナーを持ち、板野がレフェリー、林が紅組キャプテン、畠山が白組キャプテンの役だった。 また、番組内で歌も数曲披露しており、持ち歌には『パイの歌』、『らっぱっぱ』、『またですか?』、『ねずみ小僧次郎吉』などがあった。 同番組には、メリー喜多川の愛娘・藤島ジュリー景子も一緒に出演していた。

1978年にはJOHNNYS' ジュニア・スペシャルとしてテレビ番組出演等はあったものの、新譜のリリースはなかった。その後同年7月、「VIP」(後述)として再デビューし、JOHNNYS' ジュニア・スペシャルとしての活動は終了した。

エピソード

3人の中では林が一番人気があった。雑誌では、林と
手塚さとみツーショット[要曖昧さ回避]対談なども行われている。また、『月刊明星』の1975年4月号では桜田淳子と共に表紙も飾った。

ファンによる親衛隊も多く誕生した。代表的なグループは「ガッツ」、「チーパー」など。「ガッツ」は最も大きいグループで、東京と大阪に存在した。また、ステージ用の応援コールも作られた(「J・U・N・I・O・R・ジュニア JJSファイト?!」など)。

女優の大島さと子は、かつて林正明の追っかけをしていた。放送作家山田美保子も、大学時代はJJSの追っかけだった事実を自著で告白している。森公美子もファンであったことを公言している[3]

ディスコグラフィ
シングル

#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲最高順位規格品番
CBS・ソニー
11975年
2月21日A面ベルサイユのばら山口洋子鈴木邦彦馬飼野康二12位SOLB-215
B面愛しのオスカル
21975年
5月2日A面愛のちかい44位SOLB-276
B面白鳥
31975年
8月21日A面さよなら愛穂口雄右67位SOLB-303
B面恋はサフラン
41975年
12月5日A面ハートの夢安井かずみ井上忠夫馬飼野康二64位SOLB-349
B面感じる夕暮れ
51976年
2月21日A面愛の飛行船に乗って山本寛太郎あかのたちお80位SOLB-363
B面新しい君を知るために
61976年
4月21日A面サタデー・ナイト北公次B.Martin
P.Coulter宮本光雄83位SOLB-411
B面J.J.Sのテーマ石原信一あかのたちお
71976年
7月21日A面サンデー・キューピット伊藤アキラ井上忠夫田辺信一圏外06SH-36
B面絵本の少女
81976年
10月21日A面太陽のあいつ岩谷時子いずみたく06SH-77
B面焔のカーブ石原慎太郎三保敬太郎
91976年
12月21日A面憧れのベイ・シティ・ローラーズ伊藤アキラT.Modernいしだかつのり06SH-114


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