JIRO
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セカンドシングルである『真夏の扉』では、プロデューサーであった土屋昌巳から、「ピックで(ベース)弾いてるの?駄目だよ、それじゃあ。」と言われたところ、JIROはその場でピックを外したと言う。土屋は「ピックと指とで弾けるようにしろ、という意味でのアドバイスだった」と語っている。影響を受けたベーシストに、元ガンズ・アンド・ローゼズダフ・マッケイガンZIGGY戸城憲夫を挙げている[4]

レッド・ホット・チリ・ペッパーズレディオヘッドニルヴァーナチャットモンチーのファン。GLAYではTERUに次いでメインボーカルを担当することがあり、「SHUTTER SPEEDSのテーマ」「ストロベリーシェイク」「THE BIRTHDAY GIRL」などで自ら歌っている。なお、2005年からは、THE PREDATORSのベーシストとしても活躍。the pillowsのトリビュート・アルバムにも参加経験がある。また、GLAYでもTHE PREDATORSでも、稀に作曲をする。自身が作曲したGLAYの楽曲「SHUTTER SPEEDSのテーマ」は、特にライブでも盛り上がる楽曲となっている。
他メンバーとの関係

GLAYの副リーダー的存在、かつ、最年少メンバー[5]。TAKUROと同じ幼稚園に通っており、小学校もTAKUROが転校するまでは一緒だった。HISASHIとは、なぜか2人きりになると気まずいムードになってしまうことが多いとのこと。ただ、決して仲が悪いわけではない。GLAYのメンバーを呼ぶ際は、TAKUROは「TAKUROくん」、HISASHIなら「トノくん」、TERUなら「テッコくん」と呼んでいる。また元メンバーのAKIRA(上島明)のことは「ウエシマくん」、NOBUMASA(大庭伸公)のことは「オバちゃん」と呼んでいた。

TAKUROから新曲を聴かされた際、TAKUROに対し「古いよ」と意見した事がある。TAKUROはこれまでにない自信作としてメンバーに新曲を聴かせたが、JIROだけが頭を抱えていた。TAKUROが歩み寄り「この歌は俺自身なんだよね」と言いかける寸前に「TAKUROくん、こういうのって古いんだよね」とJIROに言われ、TAKUROは「俺は古いのか?」と気付かされたとのこと。このエピソードは、TAKURO自身が「音楽活動をしていて一番辛かったこと」として語っている。ただし、JIRO本人は「そんな事言ってないよ」と否定している。[6]
経歴

父、母、姉1人、妹2人の6人家族。父は頑固な職人でまさに"亭主関白"であった。子供の頃、JIROの家では父親の言う事は絶対に従わなければならず、口答えをすれば殴られ、テレビのチャンネル優先権も父親が握っていた。JIROは小さいながらも力があり、父親が仕事に出て行くのに付いて行こうとしたのを、とめようとした母親に抑えられ、肩を脱臼したこともある。

中学校でバスケットボール部に入部するが1年程で退部する。時間的に余裕があったJIROは音楽に興味を持ち、エレキギターをもっている友人にギターを借りる。しかし、母親に「そんな高価なものはすぐに返しなさい」と叱られ、渋々ギターは返した。だがこのことがJIROに「何が何でもギターを買う」という決心をもたせ、新聞配達アルバイトで金を貯め、やがてギターを買った。その後、友人と「ネクストビート」というバンドを結成。さらに高校入学後には「セラヴィ」というバンドにギターとして加入した。高3の頃にベースに転向、「ピエロ」に加入した。理由は「ピエロに入れるならベースでもいい。」ということから。友人の持っているベースと自分の持っているギターを交換した。その後、1年早く上京していたGLAYが帰郷した際に対バンする。その打ち上げでTAKURO東京へ行くことを薦められ、高校卒業後はピエロのメンバーと上京することになった。しかし上京したものの、「ピエロ」は解散。その後はいくつかのバンドを渡り歩くこととなった。そして1992年8月、TAKUROに誘われ、GLAYに加入。当初は「社交辞令程度の軽い気持ち」だったようだ。しかし、持ち前の積極的な行動力によりGLAYの人気は次第に上がっていた。
メジャーデビュー以降

1994年5月、GLAYのベーシストとしてシングル「RAIN」でメジャーデビュー。デビュー時のJIROはバンド内で唯一短髪で髪も逆立てない普通の格好をしていたが、90年代後半は奇抜なヘアメイクと派手な衣装を着るようになる。特に1998年辺りの「アロエヘア」(当時出されたアルバム『pure soul』と掛けて“pure soulヘア”とも呼ばれる)はとても特徴的なものとなった。1999年2月、音楽雑誌『WHAT's IN?』で連載していたものをまとめた、初の単行本『キャラメルブックス』を発売。2000年のGLAY ARENA TOUR 2000 “HEAVY GAUGE”の頃、精神的に参っていた時期があった。ライブ中もずっと下を向くなどの行為が目立ち、ファンからも心配の声が上がった。TAKUROも「解散してもいいからJIROを休ませてあげたい」と発言するほどであったが、その時期を乗り越え現在に至る。その時期を支えてくれた、JIROが毎月連載していた音楽雑誌『WHAT's IN?』の編集者と同年12月に結婚。翌2001年7月には『キャラメルブックス』の続編、『キャラメルパビリオン』を発売した。

2004年

the pillowsトリビュート・アルバムシンクロナイズド・ロッカーズ』に参加。


2005年

the pillows山中さわおストレイテナーのナカヤマシンペイと共にTHE PREDATORSを結成。

7月6日 - インディーズレーベルよりミニアルバム『Hunting!!!!』を発売。

7月19日 - 横浜BLITZでのフリーライブを皮切りに、『FM802 MEET THE WORLD BEAT 2005やRISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in Ezo』に出演した。



2006年

THE PREDATORSとして『ARABAKI ROCK FEST. 06』に出演。


2008年

THE PREDATORSの活動を再開。

10月15日-セカンドミニアルバム『牙をみせろ』を発売。

SHOOT THE MOON TOURを開催。



2009年

2月4日『LIVE DVD-SHOOT THE MOON TOUR 2008.11.4 Zepp Zokyo』を発売
参加作品

発売日タイトルアーティスト名備考規格
1996年3月15日SPEED BALL
D.I.E.「CLOCKWORK LOVE #1」「CLOCKWORK LOVE #2」にベースで参加。CD
1996年11月30日Mind DrumTOSHI NAGAI「Inguz」にTERUがドラム、HISASHIがギター、JIROがベースで参加している。CD
1998年4月1日FRAGILED.I.E.「ANGEL'S BACK」にベースで参加。CD
1999年7月21日D.O.S.DrumTOSHI NAGAI「Laissez-moi Tranquille!」にTAKURO、HISASHIがギターで、JIROがベースで参加。CD
1999年7月31日明日に架ける橋JUNKO「明日に架ける橋」にTAKUROがギター、オルガンで、HISASHIがギター、サウンドプロデュース、ミックス、JIROがベース、TOSHI NAGAIがドラム、D.I.Eがピアノ、キーボードで参加。VHS
2004年9月16日SYNCHRONIZED ROCKERSV.A.「Sad Sad Kiddie」にYUTA.TOSHI.CHIHO and JIRO'S SESSION名義で参加。ベースを担当。CD
2006年10月20日IN THE MOOD氷室京介「SAY SOMETHING」にTAKURO、JIRO、Toshi Nagaiと共に演奏で参加。TERUもコーラスで参加している。CD
2016年4月6日STROLL AND ROLLthe pillows「カッコーの巣の下で」「STROLL AND ROLL」にベースで参加。CD

使用ベース

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2010年10月)

GLAYのプロデューサー佐久間正英が立ち上げたブランド、TopDog(SGCraftsのベースでのブランド名)のベースを主に使用している。

TopDog JRO-01 JB Type "初号機"
JIROが最初に入手したTopDogのベース。'95年(アルバム「BEAT out!」の頃)に入手して以降愛用し続けており、JIRO自身「初号機の代わりになるベースは絶対にありえない」と語るほど。佐久間が自身が所有する1972製のフェンダー・ジャズベースを手本として製作したもの。シリアルナンバー#008。ボディはアルダー製で、カラーはシースルー・ロイヤル・ブルー・フィニッシュ(佐久間の手塗りによる)。ピックガードはパーロイド板。ネックはメイプル製で、指版もメイプルの21F 864mm ロングスケール。ピックアップはフロントがセイモア・ダンカン SJB-1n(From SGCraft BBS 1781)、リアはセイモア・ダンカン SJB-1b。ペグはゴトー(Gotoh) GB-2、ナットはGraph Tech TASQ #1000-00。ブリッジはゴトー GEB201。長年 使用しているため塗装は色褪せ、剥がれた箇所も多いのだが、塗り直しなどは全くされていない。

TopDog JRO-02 PB Type

TopDog JRO-03 JB Type
3種類所有しており、シリアルナンバー#000003のもの、#000068のもの、フレットレスのものがある。#000003は、元々はJRO-01よりも濃い青色(ヘッド部分も同色に塗装されていた)だったが、シルバーフレーク(銀色のラメ)に再塗装した。その際、ピックアップをリンディー・フレーリン製からセイモア・ダンカン製に変更している。ライブ中に投げて落とした事によりボディを破損。修理したものの音が変わってしまったため、内部サーキット等はそのままでボディのみを新しくした。新しいボディは、ラメが大粒に変更されている。

TopDog JRO-04 Silver PJ Type

TopDog JRO-07改
黒のボディに目玉のデザインのピックガードが特徴。


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