JC・シャゼイ
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JC・シャゼイ
JC Chasez
別名JC
生誕 (1976-08-08)
1976年8月8日(47歳)
アメリカ合衆国ワシントンD.C.
出身地 アメリカ合衆国・メリーランド州ブーイ
ジャンルポップR&B
職業シンガーソングライター音楽プロデューサーダンサー俳優
担当楽器ピアノギター
活動期間1991年 - 現在
レーベルジャイヴ・レコード  (-2007年)
共同作業者イン・シンクマシュー・モリソンジミー・ハリーダラス・オースティンA.J.BTベースメント・ジャックスデヴィッド・アーチュレッタ

JC・シャゼイ (ジョシュア・スコット・シャゼイ/Joshua Scott Chasez, 1976年8月8日 - )は、アメリカ合衆国の男性シンガーソングライター音楽プロデューサー俳優ジャスティン・ティンバーレイクと並んで男性ポップグループイン・シンクのリード・シンガーとして活躍。グループ在籍時から作曲家やプロデューサーとしても活動し、2002年からソロ活動を開始した。近年は俳優としてのキャリアも積んでいる。身長180cm。
来歴

1976年8月8日、ワシントンD.C.にて誕生。5歳の時にシャゼイ家に養子として引き取られ、以後はメリーランド州ブーイで育つ。3人きょうだいの長男で、妹と弟がいる。

12歳の時、友人たちとダンスグループを組んでタレントコンテストに出場し、優勝。ステージに立つことへ興味を抱く。その後テレビ番組「ミッキー・マウス・クラブ」のオーディションに合格し、1991年から95年まで同番組の中心的人物として活躍する。(この頃からJC・シャゼイという芸名を使い始める。これは「ミッキー・マウス・クラブ」に出演し始めた頃既に'Joshua'という名前の共演者がいたためであり、混同を防ぐためにイニシャルをとってJCと名乗り始めた。)

1995年、「ミッキー・マウス・クラブ」で共演したジャスティン・ティンバーレイクの紹介でイン・シンクに加入し、リード・シンガーとして活躍。楽曲制作やプロデュースにも積極的に参加しており、特にアルバム「ノー・ストリングス」では表題曲を含め4曲を、続く「セレブリティ」でも4曲を制作した。

インシンク活動休止後、2002年よりソロ活動を開始。映画「ドラムライン」のサウンドトラックをプロデュースしていたダラス・オースティンの誘いにより、同映画にソロデビュー曲となる「Blowin' Me Up (With Her Love)」を提供。その後リリースした「Some Girls (Dance With Woman)」をリードシングルとして、2004年2月24日に1stソロアルバム「Schizophrenic(スキッツォフレニック)」をリリース(日本での発売は2004年3月10日)。しかしイン・シンク時代からの大幅な路線変更とプロモーションの失敗も相まって、USチャート最高位17位(全米での売り上げは約12万枚)と奮わなかった[1]

2005年より2ndソロアルバム「The Story Of Kate」の制作を開始するも、2007年夏に発売キャンセル。同年9月をもってイン・シンク時代より所属していたジャイヴ・レコードを離れたことを公表した[2]。以後は特定のレーベルに所属することなく、様々なクリエイターとの共作で楽曲提供やプロデュースを行っている。これまでに楽曲提供をした主なアーティストは、バックストリート・ボーイズガールズ・アラウドマシュー・モリソンデヴィッド・アーチュレッタマクフライなど。

2008年以降は映画やテレビへの出演が多くなる。特に2008年から2012年までは、オーディション番組「America's Best Dance Crew(アメリカズ・ベスト・ダンス・クルー)」にて審査員を務めていた。

2012年よりジミー・ハリーと共に女性アイドルグループGirl Radical(ガール・ラディカル)[3]をプロデュース。同グループは2014年まで活動した。

2014年にはミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」のピラト総督役に抜擢され、同年6月からの北米アリーナ・ツアーへの出演が決定。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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