JBズ
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JBズの初期メンバーには無名のファンクバンドであるザ・ペースメーカーズ出身のベース奏者ウィリアム“ブーツィ”コリンズとその兄でギター奏者のフェルプス“キャットフィッシュ”コリンズの兄弟、60年代のブラウンのバンドから残ったボビー・バード(オルガン)とジョン“ジャボ”スタークス(ドラム)、経験の浅い3人のホーン奏者クレイトン“チキン”ガンネルズ、ダリル“ハサン”ジャミソンとロバート・マコラフ、コンガ奏者のジョニー・グリッグズがいた[1]

この代のJBズは、「セックス・マシーン」、Super Bad、Soul Powerや Talkin' Loud and Sayin' Nothing といったブラウンの最も強烈なファンク録音の幾つかで演奏した[1]。またブラウンのヨーロッパツアーにも同行し(ずっと後になってリリースされるライブアルバム Love Power Peaceをツアー中に録音)、更には2枚組LPの『Sex Machine』を録音、好んでサンプリングされる"The Grunt"と"These Are the J.B.'s"の2枚のインストシングル盤をリリースした。

1970年12月、トロンボーン奏者のフレッド・ウェズリーがJBズのリーダーとなるためにジェームス・ブラウンの組織に戻る。やがてウェズリーに従いメイシオ・パーカーやセント・クレア・ピンクニーといった他のブラウンの元サイドマンたちが復帰すると、コリンズ兄弟[2]や他の「オリジナル」JBズはブラウンのもとを離れてジョージ・クリントンPファンク共同体に合流する。その後はJBズのライナップは頻繁に入れ替わり、1976年、77年はアルバムがリリースされなかった。1978年にJBズは復活アルバムを発表している。

この年代のブラウンのステージとレコードでのバックを務めた以外にも、JBズは自身のアルバムやシングルを録音した。1970年代前半には"Pass the Peas"や"Gimme Some More"などの後年の人気曲を録音し、"Doing It to Death"はR&Bチャートでヒットしている。「フレッド・ウェズリー&ザ・JBズ」名義での"Doing It to Death"は100万枚を売り上げ、1973年7月にRIAAからゴールドディスクが与えられた。[3]

1974年のBreakin' Breadは個性的なアルバムで、殆どの曲の冒頭で録音されたバッキングトラックに、フレッド・ウェズリーが語る回想がオーバーダブされている。これはDoing It to Deathに見られるジェームス・ブラウンのリアルタイム録音主体のスタイルと対局をなしている。1974年のフレッド・ウェズリー&ザ・JBズのアルバム Damn Right I Am Somebody[4]には、ブラウンの語りも入っている。ほとんどのJBズの録音はブラウンによりプロデュースされ、多くはブラウン自身のレーベルである、ピープル・レコードからリリースされた。音楽としてのファンクは、1970年代半ば以降に、ディスコに主流の座を奪われ、音楽としての勢いを失っていった。ファンクの復活は、ディスコ・ブームが終焉した1980年代まで待たなければならなかった。

A.A.B.B.名義では、グループは1975年のアメリカチャートで108位を記録するPick up the Pieces One By Oneをリリースしている。[5] その名前は当時人気のファンクグループアヴェレージ・ホワイト・バンドに因んだAbove Average Black Bandの略である。[5]

多くのジェームス・ブラウンの音楽同様に、JBズの録音はラッパーやヒップホップDJによて発掘された。1980年代から1990年代にかけて、メイシオ・パーカーとフレッド・ウェズリーはアルフレッド“ピー・ウィー”エリスといった元ブラウンのサイドマンたちをひきつれて”ザ・JBホーンズ”名義で継続的にツアーを行っている。JBホーンズはグラマビジョンレーベルに数枚のアルバムを録音し、後にライノレコードより再発されている。また同名義でジェフ・マクレイとリチャード・マズダのプロデュースによるアルバム"I Like It Like That"を残している。

フレッド・ウェズリー、ブーツィ―・コリンズ、ピー・ウィー・エリス、ボビー・バードとクライド・スタブルフィールドを含む形態でのJBズがセント・クレア・ピンクニーへの追悼として1999年に「再結成」アルバム"Bring the Funk on Down"を録音している。このアルバムはPヴァイン・レコードから日本でリリースされ、2002年にインスティンクトレコードよりアメリカで再リリースされた。
ディスコグラフィ
アルバム

Food For Thought (1972)

Doing It to Death
(1973)

Damn Right I Am Somebody (1974) - (as "Fred Wesley & the J.B.'s")

Breakin' Bread (1974) - (as "Fred & the New J.B.'s")

Hustle with Speed (1975)

Jam II Disco Fever (1978)

Groove Machine (1979)

Bring the Funk On Down (1999)

JBホーンズ名義

Pee Wee, Fred and Maceo (1989)

Funky Good Time / Live (1993)

I Like It Like That (1994)

シングル

1970

"The Grunt
, Pt 1" / "Pt2"

"These Are the J.B.'s, Pt 1" / "Pt 2"


1971

"My Brother, Pt 1" / "Pt 2"

"Gimme Some More" / "The Rabbit Got The Gun"


1972

"Pass the Peas" / "Hot Pants Road"

"Givin' Up Food For Funk, Pt 1" / "Pt 2"

"Back Stabbers" / "J.B. Shout"


1973

"Watermelon Man" / "Alone Again, Naturally"

"Sportin' Life" / "Dirty Harry"

"Doing It to Death" / "Everybody Got Soul"

"You Can Have Watergate" / "If You Don't Get It The First Time..."

"Same Beat, Pt 1" / "Pt 2"


1974

"Damn Right I Am Somebody, Pt 1" / "Pt 2"

"Rockin' Funky Watergate, Pt 1" / "Pt 2"

"Little Boy Black" / "Ronkin' Funky Watergate"

"Breakin' Bread" / "Funky Music is My Style"


1975

"Makin' Love" / "Rice 'n' Ribs"

"(It's Not the Express) It's the J.B.'s Monaurail, Pt 1" / "Pt 2"

"Thank You for Lettin' Me Be Myself and You Be Yours Pt 1" / "Pt 2"


1976

"All Aboard The Soul Funky Train" / "Thank You for Lettin'... Pt 1"

"Everybody Wanna Get Funky One More Time, Pt 1" / "Pt 2"


1977

"Music For The People" / "Crossover" - (as the J.B.'s International)

"Nature, Pt 1" / "Pt 2" - (as the J.B.'s International)


1978

"Disco Fever, Pt 1" / "Pt 2" - (as the J.B.'s International)


CDコンピレーション

Funky Good Time: The Anthology (2 CD) (1995)

Food for Funk (1997)

Pass the Peas: The Best of the J.B.'s (2000)

脚注/参照^ a bThe JB's allmusic 2024年5月2日閲覧


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