JAM Project
2008年のフランス・パリで行われたChibi Japan Expoのライブにて
基本情報
出身地 日本・東京都
ジャンルアニメソング
ヘヴィメタル
ハードロック
ロック
活動期間2000年 -
レーベルLantis
(バンダイナムコミュージックライブ)
HS Record
YouTube
チャンネル
JAM Project Official Channel
活動期間2015年 -
ジャンルエンターテインメント
登録者数3万人[1]
総再生回数1756.12万回[1]
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002021-11-26-00002021年11月26日時点。
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JAM Project(ジャム・プロジェクト)は、日本のアニメソング歌手グループ。略称は「JAM(ジャム)」「JAMプロ(ジャムプロ)」など。所属レコード会社は株式会社Earkth(HS Recordレーベル)、所属事務所はHIGHWAY STAR。数々のアニメ・ゲーム・特撮ソングを担当している。 水木一郎の「21世紀へ古き良き“アニソン魂”を残したい」という呼びかけによって、結成された。この背景には、結成当時のアニメ・ゲーム主題歌などに話題のアーティストによるおよそ作品内容にそぐわないタイアップ曲(アニメ・ゲームソングは全て作品とアーティストによるタイアップである)が起用されるという風潮に疑問を感じたことがあげられる。 正式名称は「Japan Animationsong Makers Project(ジャパン・アニメーションソング・メイカーズ・プロジェクト)」である。 初期メンバーにANTHEMやアニメタルで活躍していたさかもとえいぞうがいたことや、ハード路線で活動していた時期もあるレイジーの影山らの影響が強く、多くの楽曲はジャパニーズ・ヘヴィメタルやハードロックにかなり近い。ライヴもテンションが高く、ヘヴィメタルのライヴの熱気に近い。バックバンド経験者も河野陽吾、樋口宗孝、そうる透、横関敦、寺沢功一、福田洋也、ヌーノ・ベッテンコート、高崎晃など、ハードロックやヘヴィメタルに関係する人物が多数存在する。 プロデューサーは井上俊次(ランティス代表でレイジーのキーボーディスト)である。 最近では、世界を周るツアーやアニメタルUSAとの共同ライブを行うなど、日本だけではなく世界でも活躍をしている。 現在のレギュラーメンバー 準レギュラーメンバー 過去メンバー 2000年 2002年 2003年 2005年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年
概要
メンバー
影山ヒロノブ(初期?)
遠藤正明(初期?)
きただにひろし(2002年6月加入)
奥井雅美(2003年3月加入)
福山芳樹(2003年3月加入)
ヒカルド・クルーズ(「熱風!疾風!サイバスター」から不定期参加)
水木一郎(初期?2002年8月「非常勤宣言」、2022年12月に逝去。)
松本梨香(初期?2008年4月「活動休止宣言」)
さかもとえいぞう(初期?2003年3月「卒業」)
年譜
7月17日 渋谷Egg-manにて、水木一郎・影山ヒロノブ・松本梨香・さかもとえいぞう・遠藤正明の初期メンバーでJAM Project設立記者会見が行われる。結成当初は『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)にも何度か出演していた。
6月 きただにひろしが加入する。
8月 水木一郎が非常勤宣言をし、レギュラーメンバーから外れJAM Projectとしての表立った活動から一線を引く。
3月4日 新メンバー発表記者会見が行われ、奥井雅美と福山芳樹が加入する。同タイミングでさかもとえいぞうが活動休止する。自身のサイトでは「卒業」として実質の脱退としている。
12月 新規メンバー加入のためのオーディションが開催される。オーディションの結果は加入者なしだったが、これをきっかけにブラジル在住のヒカルド・クルーズが注目され新規メンバーとして加入する。日本在住でないため、レコーディングやライブも不定期参加の準レギュラー扱いとなっている。
7月10日 Animelo Summer Live 2005 -THE BRIDGE-に参加。以後2006年?2011年、2014年、2018年、2019年に参加した。
4月 TVアニメ『鋼鉄神ジーグ』のOP主題歌「STORMBRINGER」に水木一郎が参加し、非常勤宣言をして以来初のJAM Projectとしての活動をする。
11月 2008年いっぱいをかけて世界ツアーを行うことを発表する。
アニメディアの創刊27周年記念企画として、アルバムのレコーディングにコーラスで参加してもらう人を選ぶ「No Borderオーディション」が開催される。
1月23日 アニメ・ゲーム等のタイアップでは無い初のオリジナルシングル「No Border」が発売される。
2月11日 「JAPAN FLIGHT 2008 No Border 名古屋公演」の帰りの新幹線で、JAM Projectのメンバー・スタッフが、車内でビールを飲んだ後に車内を暴走し大声で騒ぐなどをして乗客に迷惑をかけたとの指摘を受け、公式サイト掲示板にてリーダー影山が謝罪する事件があった。[2]
3月2日 「JAPAN FLIGHT 2008 No Border 東京公演」のアンコールの登場の際に福山芳樹が転倒をし右鎖骨を骨折する。以降の公演も怪我をした状態で参加した。
4月7日 松本梨香がJAM ProjectのサイトにてJAM Projectでの活動の一時休止を表明する。2021年現在、松本はこの日以降、JAM Projectとしての活動を一切していないため、事実上の脱退状態である。(しかし本人は、『またJAMのみんなと歌いたい』と自身のTwitterで発言している。また、2010年9月の松本のブログ、2016年4月のTwitterによると、10周年ライブ、15周年ライブに参戦したい気持ちはあったようだ。)
6月1日 世界ツアー「JAM Project WORLD FLIGHT 2008 No Border」が開始され、台湾大学にて初の海外公演を成功させる。
8月31日 Animelo Summer Live 2008 -Challenge-に参加したが、奥井が帯状疱疹のため不参加。
10月2日 海外限定でベストアルバム「JAM Project WORLD FLIGHT 2008 BEST SELECTION」(LZM-2007)が発売。
6月12日 「Hurricane Tour 2009 Gate of the Future」のツアーファイナルで初の日本武道館でのワンマンライブを行う。約8000人を動員した。
1月1日 結成10周年記念に伴い、初の完全オリジナルアルバム「MAXIMIZER?Decade of Evolution?」[注 1]とツアーライブの情報を公開する。
2月6日 CLUB CITTA'にて結成10周年記念イベント『JAM Party 10周年新年会』を開催する。JAM Projectに関係の深い人物のビデオコメントやクイズコーナー・ミニライブなどが行われた。また「TRANSFORMERS EVO.」の掛け声の部分を観客の声を使って公開収録を行った。
4月30日 JAM Projectの「Only One」北京語バージョンが中国2010年上海国際博覧会2009年度ベスト曲に決定する。
6月9日 「MAXIMIZER ?Decade of Evolution?」が発売され、香港・韓国・台湾と海外でも3公演が決定する。
6月26日?27日 上記MAXIMIZERツアーにて奥井雅美が急性声帯炎を患ったため、ドクターストップにより26日の栃木公演と27日の仙台公演を欠席した[3]。その2公演は奥井を除く男性4人で行い、奥井のパートはメンバー全員が分けて担当した。
9月17日 MAXIMIZERツアー武道館公演一日目にて水木一郎・さかもとえいぞう・ヒカルド・クルーズがゲスト出演した。さかもとがJAM Projectのライブツアーに参加するのは「JAM second mission EVOLUTION」以来8年ぶりである。
1月25日・30日 カタールで開催されたAFCアジアカップ2011準決勝日本対韓国戦(1月25日)および決勝日本対オーストラリア戦(1月30日)において「VICTORY」が日本代表勝利BGMとして使用された[4][5]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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