株式会社オークラニッコーホテルマネジメント
Okura Nikko Hotel Management Co.,Ltd.本社のあるホテルオークラ東京
種類株式会社
本社所在地 日本
〒105-0001
東京都港区虎ノ門二丁目10番4号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分1.1秒 東経139度44分38.5秒 / 北緯35.666972度 東経139.744028度 / 35.666972; 139.744028
株式会社オークラニッコーホテルマネジメント[2](英語: Okura Nikko Hotel Management Co.,Ltd.)は、ホテルオークラグループのホテルチェーン運営会社である。
元は日本航空が出資設立したが、2010年(平成22年)8月よりホテルオークラグループに属しており、2015年(平成27年)10月にはホテルオークラのチェーン運営部門も継承し、株式会社JALホテルズから現商号に変更した[3]。 3つのホテルブランドを展開している。『オークラ ホテルズ & リゾーツ』は国内17か所、海外9か所の計26か所、『ニッコー・ホテルズ・インターナショナル(NHI)』は国内4か所、海外15か所の計19か所、『ホテルJALシティ(HJC)』は国内14か所で、店舗数は3ブランドを合わせて計56か所にのぼる(2022年10月1日現在)。 1970年(昭和45年)に日本航空開発株式会社として設立され、最盛期の1980年代には、ニューヨーク(エセックスハウス)やメキシコシティ、バンコクやビバリーヒルズ、アトランタなど世界各地にホテル網を築いたが、バブル景気の崩壊後の1990年代以降にその多くを手放し、アジア圏内や国内にホテル網を拡大していく方向に転換した。 特にバブル期のホテル拡張は、高金利で資金を調達(エセックスハウス買収に伴う融資資金は年12%と当時としてもリスクマネーに位置する)して買収する強引な経営戦略をとっていたことから、何らかのキックバックの道具として用いられたと見る向きもある。欧米部門は1990年代初頭のJALの経営不振の原因のひとつでもあった。 一方で世界都市博覧会(1995年に白紙撤回)の開催を見込んで1996年(平成8年)に臨海副都心で開業した、リゾートホテル形態のホテル日航東京(現ヒルトン東京お台場)は、有利子負債などに悩まされ、2004年(平成16年)に民事再生法を申請。日本航空や米エートス・キャピタルの金融支援によって経営再建を図った。 1996年(平成8年)、日本航空開発株式会社から株式会社JALホテルズに商号変更している。 親会社である日本航空と関係会社が2010年(平成22年)1月に会社更生法を申請(事実上の倒産)したが、JALホテルズは申請していない。JALグループの中でも業績好調な優良子会社であるとされ、2009年(平成21年)9月に鳩山由紀夫内閣において設置された「JAL再生タスクフォース」の計画で、日本航空がJALホテルズを売却させるとの憶測報道が10月中旬に流れたが、両社とも否定。タスクフォースは同月末に解散した。 2010年(平成22年)5月28日、「日本航空が航空事業に経営資源を集中するため、旅行業などの子会社約50社を売却・清算する方針によりJALホテルズをホテルオークラに売却する方向で最終調整に入った」「ホテルオークラに売却後、日航のブランド名を残すかどうかは不明である」との報道があったが、同日日本航空およびJALホテルズは「当社の発表したものではない」、ホテルオークラは「現時点において決定された事項はない」とのプレスリリースを出している。 2010年(平成22年)8月6日、日本航空は9月30日に日本航空インターナショナルが保有しているJALホテルズの株式90.7%のうち、79.6%をホテルオークラに売却すると発表した。 2014年(平成26年)、中華人民共和国に『ホテル・ニッコー広州』(NHI、411 室)を、2015年(平成27年)には『ホテル・ニッコー蘇州』(NHI、475室)を開業した。
概要
歴史