J.J.レート
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J.J.レート

基本情報
フルネームユルキ・ユハニ・ヤルヴィレヘト
国籍 フィンランド
出身地同・エスポー
生年月日 (1966-01-31) 1966年1月31日(58歳)
F1での経歴
活動時期1989 - 1994
所属チーム'89-'90オニクス
'91-'92スクーデリア・イタリア
'93,'94ザウバー
'94ベネトン
出走回数62
タイトル0
優勝回数0
表彰台(3位以内)回数1
通算獲得ポイント10
ポールポジション0
ファステストラップ0
初戦1989年ポルトガルGP
初勝利-
最終勝利-
最終戦1994年オーストラリアGP
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J.J.レート(J.J. Lehto、1966年1月31日 - )は、フィンランドの元レーシングドライバー1988年イギリスF3チャンピオン。ル・マン24時間レースを2度制している。

本名はユルキ・ユハニ・ヤルヴィレヘト(Jyrki Juhani Jarvilehto)で、ヨーロッパ圏では発音が難しいものだったため、同郷のケケ・ロズベルグが「覚えやすいように」との理由で「JJ」を名乗るよう指示した[1]というエピソードがあるが、これは愛称でもある。
プロフィール
F1前

1972年、母国フィンランドで6歳のときにカートを始める。ミカ・ハッキネンミカ・サロらとはジュニアカート時代からのライバルだった。

1981年に2輪のモトクロスレースに出場し好成績だったことから、以後3年はモトクロスを中心に活動する。しかし、競技中の事故によりを負傷し、モトクロスの着地における衝撃吸収が困難となったため活動継続を断念する[2]。4輪転向を考え始めた当初はラリードライバーになることを考えていたが、ラリーデビュー直前でスポンサーが降りてしまい話が流れてしまった。

1985年に4輪レースに転向。フィンランドフォーミュラ・フォード(FF)1600にデビューしチャンピオン争いを展開するが、最終戦でクラッシュし王座は逃した。

1986年、EFDAヨーロッパFF1600、スカンジナビアFF1600、フィンランドFF1600の各選手権でチャンピオンを獲得。学業では大学数学課程を修了する。

1987年、イギリスFF2000にステップアップしパシフィック・レーシングに所属。11勝を挙げる圧倒的な速さでチャンピオンを獲得。ヨーロッパFF2000でも6勝を挙げチャンピオンに輝く。この年には大きな転機が訪れており、イギリスに渡って3レース目・レートが圧勝したシルバーストーン・サーキットでのFF2000レースを同胞の1982年F1ワールドチャンピオン、ケケ・ロズベルグが現地で見ていた[3]。ケケは「J.Jのことは前年から話に聞いていたが、初めて実際に見てとにかく凄い速さだった。光り輝く原石を見た衝撃だよ。話をしたら性格も良いし、若いフィンランド人ドライバーを育てるのは現役引退後の計画でもあったから面倒を見たいと思った」[3]と、レース活動のプロモーション一切を任せてほしいとマネージャーに名乗り出る。こうしてレートはケケが設立者であるスポーツプロモーション企業「ユーロ・プロモーション」のクライアントとなった。以後明確にプロのレーシングドライバーを目指すことになり、同年からマールボロのサポートを受ける契約ドライバーにもなった。

1988年にイギリス・フォーミュラ3選手権にステップアップ。パシフィック・レーシングのレイナード・883-トヨタを駆り8勝、ポールポジション6回、ファステストラップ11回でシリーズを制圧しシリーズチャンピオンを獲得した。なお、ランキング3位にはデイモン・ヒル、以下4位マーティン・ドネリー、5位エディ・アーバインのほかローランド・ラッツェンバーガージル・ド・フェランなどのちのトップカテゴリードライバーとなる若手が多く参戦していた中でのチャンピオン獲得であった。

1989年にはパシフィック・レーシングから国際F3000選手権へとステップアップ、レイナード・89D-無限の25号車をドライブした。これまでのフォーミュラカーキャリアでは順調に結果を出しつづけていたが、このF3000参戦時は時折速さを見せるにとどまり最高位はポー市街地コースでの4位であった。しかし、師匠であるケケと、チームをスポンサードしていたマールボロのプッシュもあり、フェラーリのテストドライバーに抜擢される[4]フィオラノのテストコースでフェラーリ・640の熟成・開発と、新搭載されていたセミオートマチックトランスミッションの開発に携わった[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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