J.J.ハーディ
J.J. Hardyボルチモア・オリオールズ時代
(2011年4月6日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地アリゾナ州ツーソン
生年月日 (1982-08-19) 1982年8月19日(41歳)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手
プロ入り2001年 MLBドラフト2巡目
初出場2005年4月4日
最終出場2017年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
サビノ高等学校
ミルウォーキー・ブルワーズ (2005 - 2009)
ミネソタ・ツインズ (2010)
ボルチモア・オリオールズ (2011 - 2017)
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ジェームズ・ジェリー・ハーディ(James Jerry Hardy, 1982年8月19日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州ツーソン出身の元プロ野球選手(遊撃手)。右投右打。
父親がプロのテニス選手、母親がプロゴルファーとしてプレイしていたことがある[1]。そして、息子のJ.J.は、プロの野球選手という、スポーツ一家に育っている。
略歴
プロ入りとブルワーズ時代ミルウォーキー・ブルワーズ時代
(2008年7月20日)
2001年のMLBドラフト2巡目でミルウォーキー・ブルワーズから指名を受け、プロ入り。入団時から能力は非常に高く評価されていた[2]。
2005年4月4日の開幕戦で球団史上1978年のポール・モリター以来となる開幕戦でメジャーデビューとなった[3]。しかし、7月17日まで打率が2割を下回っていたが[4]、9月には打率.327をマークした[5]。
2006年は5月16日のフィリーズ戦で右足首を痛めて故障者リスト入りとなり、手術が必要なためこの試合を最後にシーズンを終えた[2]。
2007年は4月19日から5月19日にかけて13本塁打を記録し、メディアで盛んに取り上げられた[1]。その後、オールスターゲームに初めて選出された。シーズン26本塁打を記録し、9月22日のブレーブス戦では球団新記録となるチーム217本目の本塁打を放った[6]。
2008年は打率.283、24本塁打、74打点を記録した。
2009年は打率.229、11本塁打、47打点と振るわなかった。 2009年11月6日にカルロス・ゴメスとのトレードでミネソタ・ツインズへ移籍した。 2011年7月18日にオリオールズと総額2250万ドルの3年契約に合意した[8][9]。この年は129試合に出場し、30本塁打80打点、打率.269だった。 2012年は158試合に出場し、22本塁打68打点、打率.238だった。オフの10月30日には自身初となるゴールドグラブ賞・遊撃手部門を受賞した[10]。 2013年は自己最多の159試合に出場し、25本塁打76打点2盗塁、打率.263だった。オフの10月29日には2年連続でゴールドグラブ賞を受賞[11]。11月6日にはシルバースラッガー賞を受賞した[12]。 2014年は141試合に出場し、9本塁打52打点、打率.268だった。10月9日にオリオールズと総額4000万ドル+出来高の3年契約[13](2018年・1400万ドルのベスティング・オプション付き[14])を結んだ[15][16]。
ツインズ時代
オリオールズ時代とのトレードで、ブレンダン・ハリスと共にボルチモア・オリオールズへ移籍した[7]。