この項目では、日本のポピュラー音楽の総称について説明しています。その他の用法については「J-POP (曖昧さ回避)」をご覧ください。
J-POP(ジェーポップ、英: Japanese Popの略で、和製英語である)は、日本で制作されたポピュラー音楽を指す言葉であり、1989年頃にその語と概念が誕生した後、1993年頃から青年が歌唱する曲のジャンルの一つとして広く認識されるようになった。J-POP以前と以後の違いは、BPMの早さや洋楽の影響を受けたメロディ,コード進行,リズムにある。特に、昭和歌謡の時代の邦楽と比較して、歌詞の構造が解体された代わりにグルーヴが洗練された作品は増加した。尚、一般的な音楽ジャンルとは異なり、先に「J-POP」と言う言葉を定義し、それに既存の楽曲を当てはめる所から入っていったもので、自然発生した音楽ジャンルではない。目次
1 歴史
1.1 1988年
1.2 1990年代
1.3 2000年代
1.4 2010年代
1.5 2020年代
2 同義語
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
歴史
1988年 1986年に、アルバム『J.BOY』を発表した浜田省吾
1988年、10月に開局したばかりの東京のFMラジオ局、J-WAVEが「J-POP」の発祥となった。J-WAVEは「多文化的」「スタイリッシュ」な町六本木に存在しており、当初は邦楽を全く放送していなかった[1]。しかし1988年の年の暮れ[2]、同社の斎藤日出夫常務(2012年より社長)がレコード会社の邦楽担当者らと共に、J-WAVEで邦楽を流そうと言う企画が発足する。レコード会社側も「洋楽しか流さないJ-WAVEが流した邦楽には希少性があり、それを集めたコンピレーションアルバムを出す」などと言った目論見もあったという[3]。
この際に「日本のポップス」をどう呼称するのかが検討された(斉藤によれば、いつまでも和製○○などと言っていてはいつまでもオリジナルを越えられないと言う[4])が、ジャパニーズ・ポップス、ジャパン・ポップス、シティー・ポップス、タウン・ポップスなどが検討された(「シティ・ポップ」はウィキペディア日本語版の項目として存在する)が、「ジャパニーズ・ポップスにせよ、ジャパン・ポップスにせよ、頭文字はJだ。そしてここは、J-WAVEだ」と言う意見が出され、Jの文字を用いることとされた。ジャーナリストの烏賀陽弘道によれば、当時、1986年に浜田省吾がアルバム『J.BOY』を発表、1987年に日本国有鉄道が分割民営化されJRに、1985年に日本専売公社がやはり民営化され日本たばこ産業、すなわちJTになった時代であり、日本を表す「J」と言う文字が定着してきた時期であったことも一因とされるのではないかとしている[5]。いずれにせよこれが「J-POP」と言う語の誕生の瞬間であり、この時点ではあくまでJ-WAVE内部のみでの呼称であった[6]。関係者の証言により異なるが、1988年末か1989年初頭頃のことである[6][7]。
このジャンルは、マスメディア側が先導する形で音楽カテゴリーのひとつとして誕生し、それにふさわしい音楽を売り手側が分類しているという点において、グラム・パンク・グランジ・オルタナティブ・ロック・ヒップホップなどといった他の音楽ジャンルと異なる、大きな特徴といえる[8]。斉藤によれば当初の部類は多分に感覚的であり、演歌はだめ、サザンオールスターズや松任谷由実はOK、アリスやCHAGE and ASKAは違う、などとされていたが、明確な根拠などはなかった。しかし洋楽の何かに影響を受けたとわかる音楽、洋楽と肩を並べられる音楽が選ばれたと言う[9]。そして1989年秋には、J-WAVEで「J-POP・クラシックス」のオンエアが開始される[9]。
一般に使用されるようになるまでにはしばらくの歳月を要し、定着したのは1993年から1995年頃とされる(例外的にタワーレコード心斎橋店で、1990年にJ-POPコーナーが設置されている)[10]。
なお、1993年という年は日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が始まった年であり、これの存在もJ-POPと言う語の普及にとって無視できない要素である[11]。