J-WAVE
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2021年6月からは健栄製薬が平日10時・15時の、霧島酒造が平日18時のスポンサーに就き、前者では永瀬廉による「手ピカジェル」のCM[26]、後者ではジョン・カビラによる「黒霧島」のCM[注釈 22]が流れた後に時報告知サウンドが流れるようになっている。2022年10月から2023年3月までは平日10時のみJVCケンウッドがスポンサーに就いている。

また、週末に関しては土曜の16時台 - 21時台・日曜の16時台 - 23時台はスローな音楽と英語のナレーションで時刻を知らせる「TIME CLOCK」(タイム・クロック)を採用し、概ね正時の15秒前から流し、正時に次の番組が始まるようになっている。

通例、ラジオ放送では時報前にステーションブレイクまたは時報CM(「○○が、○時をお知らせします」等)を入れ、時報後に番組に戻るパターンが多いが、J-WAVEの場合、特にワイド番組同士の間はCMを挟まず(ステーションブレイクレス編成という)、前の番組のエンディングからそのまま次の番組に入るケースが多い。更には、開局当初から長らく、ナビゲーター(DJ)同士が喋りながら番組を引き継いでいくスタイルだったため、タイムテーブル上の時間ちょうどに番組が始まることはほとんど無く、時として番組開始のアナウンスが大きくずれ込むこともあった(クロスプログラムの亜種ともいえる)。

例として、以前平日7時から9時に放送していた『TOKIO TODAY』のジョン・カビラと、9時放送開始予定の『ANTE MERIDIEN』のデーヴ・フロムが8時57分ごろから話し始め、8分近くも喋り続けたため、ANTE MERIDIENの番組開始アナウンスが9時5分ごろになされたことがある。

2024年4月現在ではこうした番組間の引き継ぎは金曜日の11時半前後(2016年10月以降の『?JK RADIO?TOKYO UNITED』(ジョン・カビラ)から『ALL GOOD FRIDAY』(LiLiCo稲葉友))に残るのみとなっており、それ以外の番組は開始時刻ちょうどにスタートするようになっている。
沿革

1987年昭和62年)12月10日 - 株式会社エフエムジャパン(本社・演奏所:東京都港区西麻布四丁目17番30号 西麻布三井ビル内)設立。西武百貨店パルコ西友など当時のセゾングループが設立に深く関わる。

1988年(昭和63年)

8月1日 - 周波数81.3MHz、出力1kWで送信所西麻布三井ビルより試験放送を開始('AZ'-STATION J-WAVE参照)。

10月1日1時 - 2か月間の試験放送に幕。試験放送終了と本放送開始告知のアナウンスは、ジョン・カビラが行っていた。

10月1日5時 - 周波数81.3MHz、出力10kW、送信所東京タワーよりFMでは全国28番目(FM長野と同日)、民放FM局として東京で2番目に開局。本放送開始を告げるアナウンスは日本語は遠藤泰子、英語はジョン・カビラであった[27]。当時は音楽を多用するFM局が少なかった中、アメリカの音楽専門ラジオ局のような"More Music Less Talk"(トークよりもよりたくさんの音楽を)路線を打ち出した。


1989年(昭和64年)1月7日 - 昭和天皇崩御に伴い、通常の番組・CMを休止し、クラシック音楽を2日間にわたって放送した。

番組と番組の間に、AZ-WAVEというノンストップで快適な音楽をかけるプログラムをはさんだり英米のポピュラー音楽を中心にヒーリング系・ジャズなどの選曲を重視、歌謡曲や演歌はかけず、日本ヒット音楽も極力かけないというスタイルで大人気に[注釈 23]

邦楽の中でも、J-WAVEの選曲スタイルにあった曲はJ-POPと定義づけてかけるようになる。対するJFN系ではかなり広範囲のジャンルを包括する「Japanese Pops(日本のポップス)」という概念であったが、後に両者は融合したような捉え方となる。もともとJ-POPという言葉はJ-WAVEが起源。また、いわゆる「渋谷系」アーティストの曲もよく流していた。

ところが不況の影響などから次第に番組の傾向が変化した。スポンサーが、営業に直接的に結びつかないイメージ重視の広告を次々に取り止めたことがその変化の最大の要因であった。そして1995年頃から新人ナビゲーター(ディスクジョッキー)を募集[注釈 24]、その頃から選曲の面では従来の「J-POP」に当てはまらない一般的な邦楽もかけ始めるようになり、専門番組も登場した。この変化は、スポンサーの望む顧客層と実際の聴取者とのギャップを埋めることが社内の必達事項になったことが原因である。ちなみにこの頃はバブル景気が崩壊し「失われた30年」が始まった時期とほぼ一致する。


1995年(平成7年) - 文字多重放送(アラジン)開始。コールサインはJOAV-FCM。

1997年(平成9年)4月 - 改編時に、従来の"More Music Less Talk"路線上の番組はほぼ姿を消し、音楽よりもトークを重視した番組編成が主体になった。むしろ「コミュニケーション・タイム」と呼ばれるゲストとの会話、リスナーとのやりとりや電話が重視され始めた。

その後、番組・選曲も大きく変わり、開局当初の面影を残す番組は完全に無くなった。往時を知らない世代や流行邦楽に抵抗のない聴取者からは、なお一定の支持があるが、FM聴取率(首都圏)の方では開局当時から比べると低迷している。ただし、ラジオそのものに対する「媒体の価値」「媒体のチカラ」そのものを表す「セッツ・イン・ユース」そのものも低下している点は否めない。

この数年における状況を当時の編成局長・久保野永靖氏は「当時は音のインテリアをめざしていたのだと思います。部屋にある家具や絵画のように、音で空間を満たしていく」と語るように、スローガンに沿って音楽を聴かせることを第一義とし、ヒット曲を優先しない選曲とバイリンガルDJで、おしゃれなラジオとしていたとされる[28]

この路線転換について久保野は「J-WAVEって何だろう? と、もう一度考えた時に、“われわれは都市生活者のためのメディアである”という発想転換がありました」と語る。この頃から日本人の意識がドメスティックになり、海外の楽曲や情報に対するニーズが低くなる代わりに聴かれるようになったのがJ-POP(この「J-POP」はあくまで「邦楽」という意味であり、言葉の発祥でありながら当初の定義づけも変わってしまう。この前後には邦楽という意味の「J-POP」が定着している)。音楽が流れてさえいればいい、という要求は影を潜め、「Talk」が「Less」ではなくなる転換点を迎えることになる[29]


2003年(平成15年)10月1日 - 商号を株式会社J-WAVEに変更。本社・演奏所を港区六本木六丁目の六本木ヒルズ森タワー33階に移転、キャンペーン"LOOK! MUSIC COMES"を移転後1か月に渡り行う。この際、六本木ヒルズ森タワーの空きフロア西側に放送と連動する照明を取り付け、サウンドインジゲーターとして使う"J-WAVE SINGING TOWER"を実施した。

この際、「エフエムジャパン」から「ジェイ・ウェーブ」に称号が変わったことで、会社名から「エフエム」が消えたものの、呼出符号のきまりとして「事業者の名称などの次に「エフエム」または「エフエムほうそう」の文字を付する」があることから、オープニング・クロージングのみ『ジェイ・ウェーブ・エフエム』と呼称する。


2004年(平成16年) - このからは再び音楽重視路線への回帰が見られ、土曜早朝の『Smooth Air』や、平日夜の『J-WAVE LOUNGE』などといった番組が登場している。

2005年(平成17年)8月 - J-WAVEの着メロ・うた・ボイスサービスJ-WAVE SOUNDS開始

2006年(平成18年)

5月29日 - 日本国内で初の音楽番組専門インターネットストリーミングラジオ「Brandnew J “Just Like Radio”」のベータ版サービスを、10月2日10時に本放送を開始。12月にはW-ZERO3を主な対象とした「J-WAVE Brandnew J(Beta)]を配信。


8月 - 主に首都圏を対象としたインターネットサービスプロバイダ事業「J-WAVE@NET」開始。

2008年(平成20年)10月1日 - 開局20周年を迎えて9時から24時間連続の記念特番『VISIONARY WORLD』を放送した。特番はDJが時間ごとに総出演した。

2010年(平成22年)

3月15日 - ほかの在京ラジオ6局と共同でインターネットでのサイマル放送radiko」を試験的に開始(南関東1都3県限定)[30][31]

9月26日 - 文字多重放送(アラジン)終了。

10月1日 - ウェブサイトをリニューアル。同時にUstreamにブランドチャンネルを開設。

12月1日 - ほかの在京ラジオ6局と共同でインターネットでのサイマル放送「radiko」の本放送を開始(試験放送では、南関東限定だったが、リニューアルに伴い北関東でも利用可能に)。


2011年(平成23年)

3月11日14時46分 - 東日本大震災東北地方太平洋沖地震)発生。報道特番に切り替えたほか、通常の番組も内容の一部変更を実施。また当日の18時台から翌12日の8時台までJ-WAVEが幹事局となり、ラジオ災害情報交差点を在京局で同時放送。発足後初めての実放送となった。放送では昭和天皇崩御のときのように、通常の番組・CMを休止し、クラシック音楽を13日5時まで放送した。間で『HEADLINE NEWS』『WEATHER INFORMATION』『TRAFFIC INFORMATION』を随時放送。13日5時以降はほぼ通常編成に戻りつつも内容は大幅に変更した。

各種LIFE INFORMATIONでは「NEWS」では東北や北関東を中心とした被害状況を、「TRAFFIC」では首都圏の道路と鉄道の情報を通常の倍以上の時間をかけて放送した。なおBGMなどは通常のもの(入りアナウンスなども通常時間帯ナビゲーターのもの)を使用。

3月15日 - auの携帯電話向け配信サービス「LISMO WAVE」で全国向けにサイマル配信を開始。

3月31日27時 - インターネットストリーミングラジオ「Brandnew J」の配信終了。


2012年(平成24年)

4月22日25時10分 - 東京タワーからの放送を終了。東京タワーからの最後の番組は25時からの『VISION特別版 ありがとう東京タワー』(通常2分の所4分に拡大)で、その後"Across The View"のロングバージョンをかけた後、ジョン・カビラによる日本語・英語でのコールサイン・周波数・出力・実効輻射電力と東京タワーからの放送終了のアナウンスで締められた。

4月23日 - 送信所を東京タワーから東京スカイツリーに移転、同時に出力を7kWに減力[13]


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