J-27
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J-27

基本情報
艦種潜水母艦
同型艦2隻 後に3隻
前級剣埼型潜水母艦
次級-
要目
基準排水量12,479トン
常備排水量13,700トン
全長水線長:177m
最大幅水線幅:20.5m
吃水7.05m
機関方式ディーゼル機関4基(17,000馬力)、2軸
速力21ノット
航続距離10,000カイリ / 16ノット
燃料自艦用 1,400トン
補給用 2,805トン(軽油を含む)
乗員本艦乗員:516名
潜水戦隊員:654名
計:1,170名
兵装12.7cm連装砲2基4門
25mm機銃 連装4基8挺
その他真水:自艦用227トン、補給用500トン
糧食庫:補給用710m2
冷蔵庫:自艦用150m2、補給用400m2
他に補給用の弾薬、魚雷、機雷を積載
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J-27は、日本海軍の計画した潜水母艦。3隻の建造が計画されたが建造には至らなかった。
概要

1940年(昭和15年)頃の日本海軍の潜水母艦の状況は、迅鯨長鯨の2隻が艦齢15年を超えており、将来は練習艦として活用されることが計画されていた。残りの3隻(大鯨剣埼高崎)では平時は良いが戦時体制での艦隊拡張、または修理の際には隻数が足らない見通しであった。そこで民間徴用商船改造の特設潜水母艦でその場を凌ぐと共に、新たな潜水母艦が1942年(昭和17年)度の軍備充実計画(D計画)で2隻(仮称第863、864号艦)が、またその後のミッドウェー海戦による改D計画へ変更で、若干の設計改正を行ったうえで1隻増の3隻(仮称第5034、5035、5036号艦)が計画された。計画番号はJ-27、計画線表ではV27と呼ばれた。

優秀な居住・補給・整備・通信能力を有していたとされ、空母改造を前提とした大鯨とは異なる、かつ理に適った本格な潜水母艦であると考えられる。3隻とも三菱長崎造船所での建造、1番艦は1945年(昭和20年)より建造開始、引続き2・3番艦が起工され、最終艦は1948年(昭和23年)末に竣工する予定だった。しかし、その後の戦局の悪化で着工には至らず計画のみに終わった[1]
参考文献

雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』(
光人社、1990年) ISBN 4-7698-0463-6 p100

福井静夫『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』(KKベストセラーズ、1982年) ISBN 4-584-17023-1

編集部「幻の潜水母艦「5034号艦」」

海人社『世界の艦船』1991年11月号 No.443 p114?p116


福井静夫「わが潜水母艦を偲ぶ」 『日本潜水艦物語』(光人社、1994年) ISBN 4-769-80657-4 p249 - p252

脚注^ 性能諸元のデータは主に『写真 日本の軍艦 第13巻』による。不足分(乗員、その他の補給物資のデータ)を『海軍艦艇史 3』と「幻の潜水母艦「5034号艦」」から補った。

関連項目

大日本帝国海軍艦艇一覧

潜水母艦










大日本帝国海軍潜水母艦、潜水艦母艇
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潜水母艦

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