J・J・ディロン
2008年
プロフィール
リングネームJ・J・ディロン
ジェームズ・J・ディロン
ジム・ディロン
ジム・デュラン
本名ジェームズ・モリソン
ニックネーム極悪仕掛人
身長184cm - 187cm
体重108kg - 115kg
誕生日 (1942-06-26) 1942年6月26日(81歳)
出身地 アメリカ合衆国
ニュージャージー州
マーサー郡トレントン
デビュー1962年
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J・J・ディロン(J.J. Dillon、本名:James "Jim" Morrison、1942年6月26日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、マネージャー、ブッカー。ニュージャージー州トレントン出身。
ヒールの悪徳マネージャーとしての実績で知られ、日本では「極悪仕掛人」の異名を持つ[1]。ブッカー業務などエグゼクティブとしても手腕を発揮し、1990年代はWWFとWCWの両団体で要職を務めた[2]。 1962年、地元のニュージャージーでプロレスラーとしてデビュー。ジョニー・バレンタインを意識した金髪の若手ヒールとして売り出される[3]。1968年からはオハイオなど五大湖地区に進出し、以降は1970年代全般にかけて、カナダ大西洋岸の沿海州を本拠地とするイースタン・スポーツ・アソシエーションや、アメリカ合衆国南部のNWA圏(テキサス、フロリダ、ジョージア、ミッドアトランティック)などを転戦[3]。 テキサス西部のアマリロ地区では1974年9月19日にキラー・カール・コックスからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取[4]、テリー・ファンクやディック・マードックともタイトルを争い、プレイング・マネージャーとしてカン・フー・リーとも共闘した[5]。1975年11月から1976年にかけてはテキサス東部のダラス地区において、モンゴリアン・ストンパーやムーンドッグ・ロニー・メインのマネージャーも担当している[3][6]。 選手としても、1979年1月11日にテッド・デビアスを破り、アマリロ地区認定のNWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得[7]。
来歴