J・G・バラード
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ジェームズ・グレアム・バラード
James Graham Ballard
誕生 (1930-11-15)
1930年11月15日
中華民国上海
死没 (2009-04-19) 2009年4月19日(78歳没)
職業小説家、SF作家
国籍イギリス
ジャンルSFディストピア
文学活動ニュー・ウェーブ
代表作クラッシュ
太陽の帝国
残虐行為展覧会
デビュー作プリマ・ベラドンナ
ウィキポータル 文学
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ジェームズ・グレアム・バラード(James Graham Ballard, 1930年11月15日 - 2009年4月19日)は、上海中華民国)生まれのイギリス小説家SF作家
生涯
生い立ち

少年時代を上海共同租界で過ごすが、第二次世界大戦開戦後、一家は日本軍捕虜収容所(龍華収容所)に収容された。[1](このときの体験は後に小説『太陽の帝国』としてまとめられることとなる。ただし、小説では家族と分かれて収容所で暮らしたとなっているが、実際は家族と一緒に収容されていた[2]。)
イギリスに帰国

1946年、単身でイギリスに帰還し、祖父母の家に住んだ(父母はしばらく上海に残り、国共内戦中の1949年中国共産党軍の侵攻により裁判にかけられたが、逃れてイギリスに帰国)。バラードは帰国直後、「話と本でしか知らなかった」、初めて体験する「母国」イギリスに、非常なカルチャーショックを感じたと語っている。

ケンブリッジ大学キングズ・カレッジで医学を学ぶが、途中でロンドン大学クイーン・メアリー・カレッジに移り文学を専攻。[3]そこも中退後、広告代理店のコピーライターや百科事典販売業に従事。のちイギリス空軍に入隊し、ナイアガラの滝に近い王立カナダ空軍基地で飛行訓練を受け、そこでSFと出会う。訓練終了後に英国空軍のハイ・ワイコム基地に戻り、そこで除隊してイギリスに戻り、広告代理店のコピーライターや雑誌編集者をしながらSFの創作を始めた[4]。英国空軍に入隊する一ヶ月前に知り合ったメアリー・マシューズと1955年9月に結婚。当時、メアリーは既に妊娠三ヶ月だった。
作家

1956年、『サイエンス・ファンタジー』誌から、のちに短篇集『ヴァーミリオン・サンズ』に収められる「プリマ・ベラドンナ」でデビュー。60年代には『ニューワールズ』誌を中心に「思弁小説(スペキュラティブ・フィクション)」と呼ばれる新しいSFの形式を呼びかけ、自らも多く発表。ニュー・ウェーブSFの中心人物の1人となる。バラードは、当時の『ニューワールズ』誌の編集者テッド・カーネルを評価している。

そして、「破滅三部作」と呼ばれる、『沈んだ世界』『燃える世界』『結晶世界』で、破滅していく美しい世界を描きだした。60年代後半には自ら“濃縮小説”と名付けた、断片・断章からなる短篇群を書き、『残虐行為展覧会』にまとめられた。70年代には『クラッシュ』『コンクリート・アイランド』『ハイ-ライズ』の「テクノロジー三部作」によって、科学技術の産物と人間との関係を追求した。

『太陽の帝国』、『女たちの優しさ』などの自伝的な作品も発表している。『太陽の帝国』では、テクノロジーへの憧憬と魅惑的な破滅する世界が描かれており、「バラードの『異様な小説の世界』は、少年時代の彼の体験そのものであった」という事実が判明した。
死去

2009年4月19日(日曜日)朝に、長期闘病の末逝去したことが、エージェント(関係代理人)から発表された。78歳であった。
家族

妻メアリーは1964年に、スペインでの休暇中に肺炎で若くして逝去。バラードは、ひとりで3人の子供を育てあげている[5][2]。メアリーは抜群のスタイルを誇ったブルネット美人で、バラードは胸の谷間をあらわにした妻の写真を自伝に残している[6]
作風

バラードの有名な宣言に「もし誰も書かなければ、私が書くつもりでいるのだが、最初の真のSF小説とは、アムネジア(健忘症、あるいは記憶を失った)の男が浜辺に寝ころび、錆びた自転車の車輪を眺めながら、自分とそれとの関係の中にある絶対的な本質をつかもうとする、そんな話になるはずだ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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