英: J. D. Tippit
J・D・ティピット
1963年、ダラス警察にて撮影
生誕J. D. Tippit[1]
1924年9月18日
アメリカ合衆国
テキサス州アンノーナ
J・D・ティピット(英: J. D. Tippit、1924年9月18日 - 1963年11月22日)は、ダラス警察(英語版)で11年にわたって職務に当たったアメリカ合衆国の警察官である。1963年11月22日、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディがダラスで暗殺されたおよそ45分後に、テキサス州ダラス近郊の住宅地オーク・クリフ(英語版)で銃殺された。リー・ハーヴィー・オズワルドがティピット殺人犯として逮捕され、その後ケネディ大統領の暗殺犯として再逮捕された。オズワルドは逮捕直後に両件の犯人と目されたが、どちらへの関与も否認した。オズワルドは事件から2日後にジャック・ルビーによって射殺され、オズワルドの訴追は不可能となった。
前半生(英語版)近郊の街で生まれた[5]。彼は2女5男の7人きょうだいの長男で[6][7]、父エドガー・リー・ティピット[注釈 4](1902年 - 2006年)は分益小作人の綿花農家だった[7]。母はリジー・メイ・メイ・バグ・ティピット(旧姓ラッシュ、1905年 - 1990年)[注釈 5]だった[1][5][8][9]。ティピット家とラッシュ家はどちらもイングランド系で、先祖は1635年にイングランドからバージニア州に移り住んできた人々だった[10]。ティピットのファーストネームである「J・D」は、しばしば「ジェファーソン・デイヴィス」の略称だと言われるが、実際のところこの2文字には特に意味は無いとされている[11]。ティピットは10年生まで公立学校で学び、バプテストとして育てられ、その後もこの信仰を守った[9]。15歳になった1939年の秋、家族はテキサス州テキサス州(英語版)から6マイル (9.7 km)南西にあるベイカー・レーン (Baker Lane) へ転居したが、辺り一帯は道の舗装もされていないような場所だった[1]。ティピットは1944年7月21日にアメリカ陸軍へ入隊し、第17空挺師団(英語版)の第513空挺歩兵連隊(英語版)へ配属された。1945年3月に行われたライン川渡河作戦であるヴァーシティー作戦に参加してブロンズスターメダルを与えられ[12][13]、1946年6月20日まで任に当たった。