J・C・R・リックライダー
[Wikipedia|▼Menu]

J・C・R・リックライダー

生誕 (1915-03-11) 1915年3月11日
アメリカ合衆国 ミズーリ州セントルイス
死没1990年6月26日(1990-06-26)(75歳)
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州アーリントン
国籍 アメリカ合衆国
別名Joseph Carl Robnett Licklider
Lick
"Computing's Johnny Appleseed"
教育セントルイス・ワシントン大学
ロチェスター大学
著名な実績人工知能
サイバネティクス
「銀河間コンピュータネットワーク」(インターネット)
テンプレートを表示

ジョゼフ・カール・ロブネット・リックライダー(Joseph Carl Robnett Licklider、1915年3月11日 - 1990年6月26日)はコンピュータの歴史上重要な役割を果たした人物[1]。J・C・R・リックライダーまたは「リック」と呼ばれる。

現代のコンピュータネットワークについてのコンセプトを作り上げたという点でも重要な人物であり、その分野の開発での彼の役割の重要性が広く認められるようになってきた。単なる計算の道具ではない汎用的な道具としてのコンピュータという観点での開発にも深く関わっており、今日のインターネットに繋がる考察でも有名である。彼は通信におけるコンピュータの重要性と民主主義における大衆への情報伝達の重要性を理解していた。
目次

1 経歴

2 業績

2.1 音響心理学

2.2 コンピューティング

2.3 SAGE

2.4 人間とコンピュータの共生

2.5 地球規模のコンピュータネットワーク

2.6 Project MAC


3 著作

4 脚注・出典

5 参考文献

6 外部リンク

経歴

1915年ミズーリ州セントルイスに生まれた[2]。父親はバプティスト派の牧師[3]で、一人っ子だった。幼いころから工学の才能を見せ、模型飛行機をよく組み立てていた。また、自動車いじりを生涯の趣味としている。

セントルイス・ワシントン大学で学び、1937年物理学数学心理学で学士号、1938年に心理学で修士号を取得した。1942年ロチェスター大学音響心理学の博士号を取得している。

1943年から1950年までハーバード大学音響心理学研究所で働き、その頃からコンピュータにも興味を持つようになる。1950年マサチューセッツ工科大学 (MIT)準教授。MITでは、リンカーン研究所設立に関与し、工学部の学生向けの心理学プログラムの確立に尽力した。1957年、Society of Engineering Psychologists から Franklin V. Taylor Award を授与された。1958年、アメリカ音響学会会長に選出される。1960年に論文Man-Computer Symbiosis(人間とコンピュータの共生)を発表した。 SAGE操作端末

一方で、コンピュータを利用した防空システムを構築する冷戦下のプロジェクトであるSAGEに携わった。1957年BBNの副社長となり、PDP-1の1号機を購入してタイムシェアリングシステムの公開デモンストレーションを実施した。

1962年10月、アメリカ国防総省ARPA の研究部門IPTOの部長に任命され、1963年にはARPAの指揮・指令系統の行動科学研究機関の指揮を任された。1963年4月に、タイムシェアリングシステムやコンピュータネットワークについてのメモ[4]をARPAの同僚に送信した。ARPANETはこのメモに記述されたビジョンから生まれ、のちにインターネットへと発展した。

1968年、MIT電気工学科教授となり、Project MAC の責任者となった。Project MACはリックライダーの元で、世界初のタイムシェアリングシステムであるCTSSや、Multicsを開発した。MulticsはUNIX開発のきっかけとなったことでも知られている。

1985年に引退し、名誉教授となる。1990年マサチューセッツ州アーリントンで死去。同年、Common Wealth Award for Distinguished Serviceを受賞。[5]
業績
音響心理学

音響心理学の分野では、1951年の論文 Duplex Theory of Pitch Perception でよく知られており[6]、この論文は数百回も引用された実績がある[7]。1979年には本に再録された[8]音高知覚の現代的モデルの基礎となった論文である[9]
コンピューティング

リックライダーは早くからコンピューティングに興味を持っていた。ヴァネヴァー・ブッシュと同様、J・C・R・リックライダーのインターネットへの貢献は具体的な発明ではなく概念的なものである(これが誰の言かは不明だが、ブッシュの功績には微分解析機など、電子式ディジタルコンピュータ以前のコンピューティングなどに具体的な成果があるのを見落としてはいる)。彼は簡単なユーザインタフェースを持つネットワーク接続されたコンピュータの必要性を予測していた。

彼が予測したものとしては、グラフィカルな情報処理、ポイント&クリックによるインタフェース、デジタル・ライブラリ、e-コマース、オンライン・バンキング、ネットワーク上に存在して必要に応じて転送されるソフトウェアなどがある。彼は「コンピューティングのジョニー・アップルシード」と呼ばれている。デジタル時代にコンピューティングの種を植えた人物という当然のニックネームである。

リックライダーは、現代のパーソナルコンピュータやインターネットをもたらすことになった研究を考案し、出資し、管理するという役目を果たした。彼の論文 Man-Computer Symbiosis(人間とコンピュータの共生)は対話型コンピューティングを予見したもので、タイムシェアリングシステムとそのアプリケーション開発に早くから尽力した。彼はまたダグラス・エンゲルバートに助言と資金を与え、それによってエンゲルバートはスタンフォード研究所内に Augmentation Research Centerを設立し、有名なNLS(oN-Line System)を開発した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef