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株式会社InterFM897[1]
InterFM897 CO.,LTD.
2024年から本社が入居するFMセンタービル(TOKYO FM本社)
種類株式会社
本社所在地 日本
〒102-0083[1]
東京都千代田区麹町1丁目7番地 FMセンタービル9F[1]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度37分15.7秒 東経139度44分47.1秒 / 北緯35.621028度 東経139.746417度 / 35.621028; 139.746417
InterFM897[1]
InterFM897 CO.,LTD.
種別FM
放送対象地域東京都の特別区の存する区域を中心として同一の放送番組の放送を同時に受信できることが相当と認められる区域として総務大臣が別に定める区域[5]
系列JFN(特別加盟局)系
略称なし
愛称interfm[6]
コールサインJODW-FM[1]
開局日1996年4月1日
本社〒102-0083[1]
東京都千代田区麹町1丁目7番地 FMセンタービル9F[1]
北緯35度37分15.7秒 東経139度44分47.1秒 / 北緯35.621028度 東経139.746417度 / 35.621028; 139.746417座標: 北緯35度37分15.7秒 東経139度44分47.1秒 / 北緯35.621028度 東経139.746417度 / 35.621028; 139.746417
演奏所本社と同じ
親局 / 出力東京 89.7MHz[1] / 10[1]kW
主な中継局横浜 76.5MHz(300W)[1]
公式サイトhttps://www.interfm.co.jp/
特記事項:日本の外国語FM局では2番目に開局。
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株式会社InterFM897(インター・エフエム・はちきゅうなな、英: InterFM897 CO.,LTD.)は、関東広域圏内の外国語放送実施地域である東京都区部、さいたま市、千葉市、横浜市、川崎市、成田国際空港を放送対象地域とするFMラジオ放送の特定地上基幹放送事業者である。
全国FM放送協議会(JFN)の特別加盟局である[7]。かつては外国語放送の全国ネットワークである「メガロポリス・レディオ・ネットワーク(愛称:MegaNet(メガネット)」のキー局であった。
旧商号はエフエムインターウェーブ株式会社 (FM Inter-Wave Inc.) で、キャッチコピーは「Find Your Colors」[6]、コールサインはJODW-FMである。
本記事は主に、法人の株式会社InterFM897と関東広域圏の放送局「interfm」(インター・エフエム)[6]について記述する。2014年(平成26年)4月1日に開局し、2016年(平成28年)11月まで同社で運営していた中京広域圏の放送局の「InterFM NAGOYA」および「Radio NEO」についても一部記述する。 1995年(平成7年)に、阪神・淡路大震災発生がきっかけで外国人に対する情報を提供するための外国語放送局の設立が課題となり、大阪と東京に周波数が割り当てられた。大阪はAPEC大阪会議の開催に間に合わせるべく10月16日に関西インターメディア(FM COCOLO・現在はFM802が運営)が開局した。 東京は、ニフコを中心に傘下の英字新聞ジャパンタイムズを率いた連合と、カシオ計算機等が中心となって結成された連合が競願で申請すると、既にジャパンタイムズを持つニフコ連合が認可された。局舎を港区芝浦の「ジャパンタイムズ・ニフコビル」に置き、愛称は「InterFM」、コンセプトを「Tokyo's No.1 Music Station」として平常時は音楽中心の放送局と定めた。開局以来、首都圏の聴取率調査で最下位が続き、売り上げも不振であった。 技術的にも、外国人向きでない周波数設定(#周波数の変更を参照)、関東で最後に開局したラジオ局ゆえに東京タワーの送信アンテナが低位置なため、広域放送でありながら他局に比べて受信範囲が狭いなどの不利な要素を多く持っていたが、前者は周波数変更、後者はradikoでの配信開始によって一応解消されている。また開局から10年目に当たる2006年(平成18年)辺りから、機器の更新やスタジオ移転を行い、音質が改善された。 外国語放送局の特徴として地方自治体の広報 (Public Service Announcement、PSA) などを放送し、朝鮮語、中国語、タガログ語、タイ語、インドネシア語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語計10か国語が中心。社会情勢に応じて他の言語(ウクライナ語など)が追加されることもある。 放送する音楽は原則として洋楽のみで構成していたが、2014年(平成26年)11月から邦楽も放送される。一日全体の選曲をサウンド・ディレクターが選択して曲順などを構成する。夜間や週末はヒップホップやクラブミュージック、ハワイアン、ワールドミュージック、K-POPなどに特化した番組がある。DJが椅子に座らず曲のセットからミキシングまで一人で行う「ワンマンDJスタイル」など、日本では実例の少ない放送スタイルを導入した。2002年(平成14年)の改編で、諸外国の放送に習い平日日中の3番組は番組名を設けず、「番組名=DJ」を採用した。 グラミー賞の生中継に加え、1998年(平成10年)からフジロック・フェスティバルなどの放送権を所有し、毎年7月下旬に苗場スキー場で催されるフジロック・フェスティバルのオフィシャルメディアとして毎年会場からライヴ音源を生中継し、開催後も頻繁に音源を放送する。 外国人向けの「外国語放送局」として開局した経緯から、トークを含めて放送の大部分が英語で、日本語はCM程度に留まっていた。当時はヨドバシカメラの英語CMも放送されていた。深夜は中国語やタガログ語など非英語圏の言語の番組、日本人大学生による英語でのディベートなど、言語を生かした独特の番組が多かった。 2004年(平成16年)から2007年(平成19年)にかけてタイム広告が減少してタイアップの一社提供番組が増え、番組の共同制作や委託を始めるなどの試行錯誤が始まる。ブルームバーグ・日刊工業新聞・吉本興業・MOOCSなど業種は様々で、音楽雑誌やレコード会社とタイアップやミニ番組の制作などを手がけるが1年以上の継続は難しい。2008年(平成20年)度はTBSグループのクラシック専門インターネットラジオ・OTTAVAの録音による遅れネットも実施した。 夜間帯を中心にアーティストDJ番組も増加し、従来と異なり海外の音楽や文化への造詣の有無を問わずに邦楽の選曲が増えた。 2005年(平成17年)頃からそれまでの編成・コンセプトに変化が生じ、番組が頻繁に入れ替わる。ラジオは4月と10月に大改編、1月と7月に小改編が多く行われるが、InterFMは毎月のように改編され、「ラジオパーソナリティが突然『今日が最終回です』と言うだけの簡略化された告知をする」場合もあれば、「ラテ欄ですら新番組・最終回のマーク表記がない」場合もある。開局時から続く長寿番組である『BARAKAN BEAT』もこの措置に巻き込まれ、2006年(平成18年)4月末を以って唐突的に打ち切られた後、2012年に再開した。外国語ニュースを除いて日本語の番組が中心になり、J-POPの選曲も増えた。 経営が好転しない中、2006年(平成18年)にニフコ並びにジャパンタイムズは経営から退き、保有株式をテレビ東京の関連会社であるテレビ東京ブロードバンド(TXBB)に売却した。これ以降、「ジャパンタイムズ・ニフコビル」からテレビ東京に近い港区虎ノ門へ機能を徐々に移転した。 地上デジタルラジオの実用化試験放送は、参入意欲はあったが参加しなかった[8]。 2007年(平成19年)10月に平日夜間の大規模改編があり、フリーマガジン「music UP's」とタイアップ、アップフロントワークス・テレビ東京アナウンサー・エス・オー・プロモーション[注釈 1]所属のDJが出演する番組がそれぞれ始まる。 海外ラジオ番組の放送にも取り組み、2005年(平成17年)からウルフマン・ジャックの番組を再編集で2006年(平成18年)3月まで放送し、第2期を2009年(平成21年)10月から放送。2008年(平成20年)から1年3か月間、アメリカの『American Top 40』を放送。2009年(平成21年)4月に配給会社ウエストウッドワンから海外のラジオ番組を購入して4番組を開始したが、『Out of Order』と『Absolute Live』が終了して10月は土曜昼の『The Beatle Years』のみとなった。 2009年(平成21年)2月に、TXBBはニフコが残有する株式のすべてを譲受して連結子会社化し、3月に保有する全株式をテレビ東京に譲渡し、InterFMはテレビ東京の連結子会社となった[9]。テレビ東京は2009年6月に、大和証券グループ本社、エフエム東京など残る株主が保有する全株式を追加取得して、InterFMの第三者割当増資に応じる事を発表[10]し、7月に株式の追加取得と第三者割当増資に成功してテレビ東京の完全子会社になった事を発表[11]し、9月14日にテレビ東京天王洲スタジオ7階へ本社機能を移転した。 同年には堀内尚子
概要
外国語放送局として
歴史
試行錯誤
ニフコ・ジャパンタイムズの撤退・テレビ東京から木下グループの傘下へ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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