Intel_4004
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Intel 4004
生産時期1971年11月15日から1981年まで
生産者Intel
CPU周波数740 kHz から 750 kHz
命令セット4-bit BCD oriented
パッケージ16 pin DIP
次世代プロセッサIntel 4040
トランジスタ2250
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4004(よんまるまるよん、と読まれることが多い)は、日本のビジコン米国インテルによって共同開発された、民生用としては世界初の1チップのマイクロプロセッサ[1]であり、軍用のMP944[2]とほぼ同時期の、世界最初期のマイクロプロセッサのひとつである。周辺ファミリICを含めてMCS-4 Micro Computer Set、あるいは略し単にMCS-4とも呼ぶ。

1971年発表、4ビットマイクロプロセッサである。クロック周波数は、500kHzから741kHz[3]である。回路構成はクロック同期設計で、pMOSプロセスで3mm×4mmのチップ(ダイ)の上に2,300個のトランジスタを集積、10μm (0.01mm) ピッチのプロセス・ルールで製造された。当時のICとして標準的な16ピンDIPパッケージに収納するため、物理的に4ビット幅のバスを、アドレスとデータで時分割で使用している。
歴史4004を初めて組み込んだ電卓「ビジコン 141-PF」。国立科学博物館の展示。[4]

4004は日本ビジコン社とインテルによる共同開発である。

1969年、ビジコンはプログラム制御[5]電卓を計画し、インテルにそのためのチップセットの開発を依頼していた。ビジコンの当初案では、マクロ命令による制御で、10個前後[6][7]のチップが必要というものだった。これは電卓としては汎用(プログラム次第でいろいろな電卓ができる)だが、電卓用という意味では専用のチップ、というものであった。

これに対し、当時のインテルの規模ではそれだけ多くの種類のチップを同時に開発するのは手に余るため、インテルの技術者テッド・ホフは、ワード長が4ビットであることを除けば、汎用のコンピュータそのものという構成を提案した。複数桁の演算処理は、1桁(4ビット)の演算の反復で置き換えればよく、また、外部機器の制御も、ソフトウェアによる制御に置き換えればよい、というのである。これにより開発するチップの種類を削減した。1969年8月末のことで、マイクロプロセッサの原点となった。

このアイディアにもとづき、嶋正利フェデリコ・ファジンが中心となって、嶋が論理設計しファジンが物理設計(回路設計とマスクレイアウト)を行い、4004は完成した。もともとの開発日程では、1970年7月から10月にかけて、4001から4004までが量産されるはずであったが、ファジンが配属になった初日に日程を見た彼は「あごが落ちた(びっくりした、の意)」とされ(CPUを含む4つのチップの設計期間が6カ月もなかった)、そのすぐ後に進捗確認のため渡米した嶋が開発の遅れを知って激怒し、(intelがより多くのエンジニアを雇う一方で)嶋がそのまま6ヶ月設計に携わった結果である[8]

当初の契約では、このチップはビジコンに対する専売となっていたが、チップの汎用性に気付いたインテルが他への販売を希望し、一方でビジコン側は会社の運転用のつなぎ資金の要求が常にあった事から、契約金の一部をビジコンに払い戻すことでインテルはチップの販売権を得て、1971年11月15日に4004として出荷が開始された。
特徴内部ブロック図ピン配置図

最高動作周波数 741kHz。ただし、命令アドレス出力に3クロック、命令読み出しに2クロック、命令実行に3クロックの計8クロックを要する。

プログラムのメモリ空間とデータのメモリ空間の分離(ハーバード・アーキテクチャ)。近年のキャッシュのそれのような性能目的による物理的なバスの分離ではなく、命令セットアーキテクチャ的(論理的)にそれぞれの空間が異なる、というものである。

また、ピン数の節約のため、以下の信号は単一の4ビット物理バスを共用(時分割多重化)し、またデータ以外はそれぞれ順次送り出す方式である。

12ビットのアドレス

8ビットの命令

4ビットのデータ


46種の命令がある(うち41種は8ビット長、5種は16ビット長)[9][10][11][12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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