I/O_(雑誌)
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またI/O別冊として発行された『マイコン徹底研究』も3刷で1万部を超えた[2]

当初はマイコンの応用として、ロボットなどメカの記事もあったが、マイコン活用がソフトウェアに移ると、徐々にマイコン専門雑誌となっていった。1980年前後には、『I/O』、『月刊アスキー』、『月刊マイコン』、『RAM』が4大マイコン雑誌と呼ばれ、この中で『I/O』は投稿雑誌的な色合いが強かった。特にゲームは月に300本の投稿があった中から面白かったものだけを厳選して掲載して[4]誌面の中心に据えると[8]、マイコン雑誌としてはトップの人気を誇った[9]

誌面にはBASIC機械語のプログラムリストが何ページにも渡って掲載された。ゲームについては、BASICよりも遥かに高速で実行され、アクションゲームにも有利な機械語で作成されたものがほとんどで[10]、0からFまでの十六進数の数字が並んだ膨大なダンプリストが何ページにも渡って掲載された[11]。この入力が大変だったことから、読者投稿プログラムをコンパクトカセットテープに収録し、COMPAC(コムパック)というブランドにより3,000円程度でパッケージ販売も行った[12]。プログラムの作者には1割から2割の印税を支払っていた[13][14]。PC-8001による機械語ゲームの投稿によって、芸夢狂人、次いで中村光一を輩出している。当時高校生だった中村光一が投稿で得たロイヤルティ収入は130万円を超えていたという[15][16]

ゲームは、オリジナル作品も多かったが、『ギャラクシアン』、『クレイジー・クライマー』、『スクランブル』など当時の人気アーケードゲームをメーカーに無断で移植したいわゆるクローンゲームが、続々と投稿、掲載されて誌面を飾った。しかし1982年になって、1982年5月号はPC-8001版『ニューラリーX』が『New RALLY-X』のままで掲載されたものの、8月号では『QIX』が『3 by 4』、9月号でベーシックマスターレベル3版『ギャラクシアン』が『GALAXY FLY』として掲載されるなど、以後は名称を変更するようになり、同様に前述の関連会社コムパックがパッケージソフト化して販売する際もそれまではアーケードゲームと同名だったものが同様に名称を変更して販売するようになった。

長大なダンプリストも相まって、500円台の本誌を購入すれば、人気のアーケードゲームの移植作品や高速なアクションゲームが入手できることで人気を呼び、広告も集まったことから、その後半分は広告ページが占め、[17]ページ数にして、400ページを超え、電話帳並の分厚さを誇っていた[18]

1983年には電波新聞社の『マイコンBASICマガジン』の対抗誌として姉妹誌の『PiO』を出して、PC-6001シリーズなど、低価格の入門向け8ビットパソコンのゲームはPiOに掲載するようになった。

だが、対立して別れた西和彦のアスキーが提唱したパソコンの統一規格MSX登場時には1983年12月号で誌面をあげて批判的な立場にまわり、MSXを扱うことはほとんどなかった。パソコンが16ビット時代を迎え、MS-DOSの市販ソフトが主流になる時代には、月刊アスキーや日本ソフトバンク(現:SBクリエイティブ)の『Oh!PC』などに後れを取って、トップの座からは降りることになった。

前述のとおり、プログラムやハードの記事など、その多くが投稿記事で占められており、メインの記事以外にも、読者投稿欄としては、「あきはばらMAP」や「にっぽんばしMAP」など日本各地のパソコンショップ街ガイド、中古売買のI/Oバザール、ほぼ全ページのページ下の数行の読者投稿欄のI/Oプラザなど、投稿雑誌的な性格が色濃く、本体の回路図など、資料が掲載されることもあった。

2000年4月号で従来のB5サイズから三才ブックスの『ゲームラボ』などと同じA5サイズに変更。「電脳空間(サイバースペース)探検マガジン」を標榜し、地下街というコーナーを設けてP2P関連やエミュレータの記事などアングラもカバーするようになったが、2003年10月号からは「自作派のためのパソコン情報誌」を謳って露骨なアングラ臭をなくすようになり、さらに2006年4月号から誌面サイズをB5判に戻してアングラ系の地下街コーナーも完全になくし、刊行を続けている。

2004年4月号では、創刊号復刻版が付録に付いた[19]。さらに同年5月号では創刊2号復刻版[20]、6月号では創刊3号復刻版[21]が付録に付いた。
関連人物

上記で紹介済の人物は除いている。

きむらしんじ
(イラストレーター) - DAN というほのぼのした動物風のキャラクターの作者

はらJIN(イラストレーター)

FURU(ライター) - ラジオの製作でも活躍

出典^ 佐々木 2013, p. 8.
^ a b c 「コンピューター世代はどこへ行く」『月刊アドバタイジング』1981年11月号、電通、23頁。NDLJP:2262268/13
^ 滝田誠一郎『電脳のサムライたち 西和彦とその時代』実業之日本社、1997年、p.16
^ a b 滝田、2000年、pp.24-26
^ 「本音インタビュー、西和彦の25年、そしてこれから。」『パソコン温故知新?インターネット前夜編』Super Works編、河出書房新社、2004年、p.169
^ 那野比古『アスキー 新人類企業の誕生』文藝春秋社、1988年、pp.56-59
^ 小林紀興『西和彦の閃き 孫正義のバネ 日本の起業家の光と影』光文社、1998年、pp.40-41
^ 富田倫生『パソコン創世記』TBSブリタニカ、1994年、p.151
^ 多摩豊『テレビゲームの神々 RPGを創った男たちの理想と夢』光栄、1994年、p.75
^ 志田英邦『ゲーム・マエストロ VOL.2 プロデューサー/ディレクター編(2)』毎日コミュニケーションズ、2000年、p.135
^ クーロン黒沢『マイコン少年 さわやか漂流記』ソシム、2003年、p.153
^ 滝田、2000年、p.33
^ 滝田、2000年、p.32
^ 『永久保存版 みんながコレで燃えた! NEC8ビットパソコンPC-8001・6001』アスキー、2005年、p.75。芸夢狂人インタビューより。
^ 滝田、2000年、p.32。同書によれば、スクランブルが100万円、エイリアン・パート2が30万円の印税収入。
^ 志田、2000年、p12
^ 『永久保存版 みんながコレで燃えた! NEC8ビットパソコンPC-8001・6001』アスキー、2005年、p.76。芸夢狂人インタビュー。
^ 黒沢、2003年、p.153
^ I/O 2004年 4月号、工学社 - 2020年11月14日閲覧。
^ I/O 2004年 5月号、工学社 - 2020年11月14日閲覧。
^ I/O 2004年 6月号、工学社 - 2020年11月14日閲覧。

参考文献

『I/O』2006年11月号、工学社I/O創刊30周年特集。I/O30年の歩み。特別付録
CD-ROM「I/O創刊30年全目次」。

佐々木, 潤 (2013), 80年代マイコン大百科, 総合科学出版 

外部リンク

工学社公式サイト

蘇る今風太ワールド(元投稿常連。同誌投稿ゲームのアーカイブを多数掲載)

I/O40年分の目次


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