ISIL
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2014年7月、イラクのモースルにあったイスラム教徒とキリスト教徒の双方が崇敬[注釈 9]する預言者ヨナの墓があるナビ・ユヌス (Nabi Yunus) 聖廟を爆破したほか、盗掘も行っており、これに関しユネスコイリナ・ボコヴァ事務局長が「カルチュラル・クレンジング(文化浄化)」であると批判した[366]

2015年2月には、モスルの博物館で彫像などの所蔵品を破壊する映像を、インターネット上に投稿した[367]。さらに同年3月、イラク北部ニーナワー県にあるアッシリアの考古遺跡ニムルド世界遺産パルティアの古代都市ハトラを破壊した。ユネスコは、「文化浄化という(同組織の)恐ろしい戦略の中でも岐路になる破壊行為だ」と非難した[368][369]。4月11日、古代アッシリアニムルド遺跡を爆破する映像を公開した[370]

2015年8月24日、約2000年の歴史があり、世界遺産であるパルミラの「バール・シャミン神殿」を爆破[371][372]。パルミラに隠された文化財の保管場所の在り処を明らかにする事を拒否したパルミラの考古学者ハレド・アサドがISILによって首をはねられ、遺体は史跡のメイン広場のローマ時代の柱の1つに吊された[371][372]

2015年8月31日、パルミラでベル神殿を破壊[373][374]

2015年9月16日、国際連合教育科学文化機関のイリナ・ボコヴァ事務局長は、ISILがシリアの遺跡で「かなり大規模」な略奪を行っており、資金源としていることを明らかにした[375]

2015年10月5日、パルミラで「凱旋門」を破壊[376][377]。凱旋門は遺跡の柱廊の入り口に位置し、東西文明の結節点として栄えた隊商都市を象徴する建造物の一つだった[377]

2016年1月20日、イラク北部モースル郊外に存在した、6世紀に建設されたイラク最古のキリスト教修道院がISILにより破壊されたことが衛星写真により確認された[378]
日本人の拘束と殺害詳細は「ISILによる日本人拘束事件」を参照

2014年8月、「民間軍事会社のCEO」としてシリア入りしていた日本人 湯川遥菜(ゆかわ はるな)がISILに拘束された。流血している彼を尋問している様子を撮影した動画が動画投稿サイトYouTubeにアップロードされ、波紋を呼んだ。当初は日本政府などに対する身代金要求はなく[379]、シリア政府や武装組織「イスラム戦線」を通じて解放への交渉が行われている[380]と報道された。2014年10月に湯川を追ってシリア入りしたフリージャーナリストの後藤健二も捕らえられ、2015年1月20日、「72時間以内に身代金の支払いがないとこの二人の日本人人質を殺害する」とISILメンバーが述べている動画が公開された[381]。1月24日にISILは静止動画により湯川を殺害したというメッセージを流すとともに、身代金の要求は取りやめ、代わりに後藤とヨルダンで収監されていたサジダ・リシャウィ死刑囚との交換を要求した。しかし人質交換も行われることはなく2月1日に後藤を殺害したとする内容の動画が公表された[382]アレッポの町
アレッポの小児病院から惨殺死体100体

トルコ国境に近いシリア第2の都市であるアレッポは激戦地となったが、ISILが刑務所として使用していた小児病院からは後に両手両足を縛られ目隠しをされた男性の遺体が100体以上発見された。原型をとどめないほど顔面を殴られた遺体や、口の中から頭に銃弾が貫通している遺体もあった。そのほとんどは一般市民であった。また、町の各所に爆弾を仕掛け無差別殺人をも行っていた[73]
スペイサーの虐殺

2014年6月にISILがイラクの町ティクリートを陥落させた際、スペイサー軍事基地に所属していた若い新兵がISIL戦闘員やISIL支持派の武装集団に拉致殺害された「スペイサーの虐殺」と呼ばれる大量殺害が行われた[383]。2015年6月11日、イラク人権相のバヤティはバグダードで記者団に「スペイサーの虐殺による597人の遺体を掘り起こした」と述べた[383]
拉致と各国政府に対する脅迫行為

『週刊新潮』2015年2月5日号の特集記事『「イスラム国」大全』によると、ISILは様々な人々を拉致して人質としており、人質の国籍も多岐にわたる。元人質のフランス人ジャーナリスト、ニコラ・エナンの証言によると以下のような状態である。

「2013年6月、車から降りてきた男らに頭からコートを被せられ、わずか10秒足らずで拉致され、ラッカ近郊の石油採掘所に連行される。採掘所の事務所が刑務所になっており、シャワー室に監禁される。鉄格子の窓をこじ開け逃走するが再度捕えられ、激しい拷問を受ける。刑務所は転々とし、計10回ほど移動する。シリア人の囚人もおり、ほとんどは飲酒、麻薬売買、政治的理由によるものであり終日拷問を受けていた。エナンは20人の人質と同房で女性も6人いた。国籍は、米国、スペイン、デンマークベルギーイタリアなど全員が白人であった。


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