ISILによる日本人拘束事件
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このページ名「ISILによる日本人拘束事件」は暫定的なものです。
議論はノートを参照してください。(2015年4月)

ISILによる日本人拘束事件
(ISILによる日本人人質殺害事件)
場所 シリア
標的日本人2人
日付2015年1月 - 2月1日
概要日本人を人質にし、身代金や死刑囚の釈放を要求したが拒否したため殺害
武器ナイフ
死亡者2人
犯人ISIL処刑役ジハーディ・ジョン
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ISILによる日本人拘束事件(アイシルによるにほんじんこうそくじけん)は、シリアアレッポで2名の日本人イスラーム過激派組織「ISIL」とみられる武装集団に拘束された事件。身代金およびISILに関係のある死刑囚の釈放を要求する犯行声明が出された後、2名とも殺害された。これまで欧米のジャーナリストや援助団体の職員などが人質になった事件でアメリカ人イギリス人以外の人質がISILに殺害されたケースはなかった[1]
動画公開以前[ソースを編集]

2013年12月 - 元ミリタリーショップ経営者の湯川遥菜[2]が、千葉市の実家を訪れ家族に対し、「生きることに限界を覚えた」「人生のラストチャンス」などと話す。湯川はミリタリーショップの倒産や、妻の病死などを経験したあと、実家とは長年連絡を絶っていた[2][3]

2014年

1月 - 湯川が東京都江東区青海にピーエムシー株式会社(国際民間軍事業、国外警護、紛争地域等での援護)を設立し、最高経営責任者に就任[4]。日本船を護衛することが夢だったという[3]

2月 - 湯川がインドレバノンに渡航[要出典]。

4月 - 湯川が単身で初めてシリアに訪れ、北部の自由シリア軍拠点で拘束されていたところ、自由シリア軍に通訳を依頼されたフリージャーナリストの後藤健二の仲介で助けられ、後藤と知り合いになる[5]。湯川は穏やかで親しみやすい性格だったため、英語は流暢でなかったものの、反政府勢力の兵士たちに受け入れられ、武装勢力の案内でアレッポを訪れたのち[6]帰国したが、帰国後もメールやフェイスブックを通じて武装勢力のメンバーと交流を続けて、「次はいつ来るのか。」などと再度の訪問を誘われた。また湯川は後藤とも、帰国後も会食に行くなどして、交流が続いた[7]

6月 - 湯川が、後藤に同行を依頼し、助手と称して、後藤とともにイラクに入国[5]

7月27日 - 湯川が、帰国した後藤と別れ、後藤の反対を無視してシリア行きを決意し、イスタンブールから空路で単身ガズィアンテプに入る[4]

7月28日 - 湯川が、シリアを援助したいとしてガズィアンテプから陸路キリス経由でシリアに入国。その後所持金を奪われたと話してイスラム戦線に保護され、以降イスラム戦線や自由シリア軍の混成部隊に同行[4]

8月14日 - 湯川が「現場からリポートを書きたい。」として、反政府勢力とISILの戦闘に同行し、その際ISILにアレッポで拘束される[4]

8月16日 - 在シリア大使館(内戦で隣国ヨルダンに避難し業務中)にシリア北部アレッポで日本人が拘束されたとの一報が入り、ただちに日本政府に伝達された。在シリア日本大使館は、16日夕(日本時間同日夜)に現地対策本部を設置し、17日に日本人とみられる人物が拘束された可能性があることを明らかにした[8](現地対策本部の本部長は馬越正之駐シリア臨時代理大使[9])。

8月17日までにISILのインターネット広報ツイッターアカウント[10]で、拘束された日本人とみられる男性の映像が公開された。地面の上に押さえつけられ、男らが「どこから来たのか」「仕事は」などと英語で尋問。男性は「日本人のハルナ・ユカワ」と名乗り、「自分は兵士ではない。カメラマンだ」[11]医師だ」などと説明したが、「なぜ武器を持っているのか」と糾弾される。その後、同ツイッターアカウントで、カメラマンではなく民間軍事会社「PMC JAPAN」CEO、最高経営責任者であると同社のHPサイトURLと共に発表される[12]。また所持していた田母神俊雄と並んでの写真などが公開される。なお、「PMC JAPAN」の業務内容に、様々な軍事的活動と「治安不安定危険地域での情報収集活動」が、記載されている[13]。これら民間軍事会社を経営している旨の情報は、Twitterより発信された。8月末には拉致された日本人救出に中田考が動いたと報道がある。ただし、中田は公安警察にマークされているという情報も報道されている[14]

9月

ジャーナリストの常岡浩介がISIL司令官から、湯川について「見せしめの死刑にはしない。」「身代金は取らない。」と聞く[15]

後藤のシリア渡航計画を知った外務省が10月までの間に3回中止を求めた(電話2回、面接1回)[16]


10月8日 - 後藤が東京都内のスタジオからTBSひるおび!」に生出演[17]

10月22日 - 後藤が日本を出国[18]

10月24日 - 後藤がキリスのシリア反政府武装勢力が管理する国境検問所を通りシリアに入国し、シリア人ガイドと合流[19]

10月25日 - 後藤が、ガイドとともにアレッポ郊外のマレアに入り、ガイドの反対を押し切り、湯川を助けるため[20]別のガイドとともにISILの支配地域にあるラッカへ向い消息を絶つ。

10月29日ごろ - 後藤の帰国予定日[18]

10月末 - 東京都に住む後藤の妻が、外務省に相談[21]

11月1日ごろ - 「シリアに同行したガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」とトルコの知人に電話連絡があった[18]

11月上旬 - ISILの関係者を名乗る人物から数十億円の身代金を要求するメールが家族に届いた[18]

12月初旬 - 後藤の妻がメールに気づいて開封し、外務省に相談する[21]。以後、1月までに約10通のメールが後藤の妻に送信され、当初約10億円、のちに約20億円の身代金の要求がなされた[22]。事件発覚当初、外務省は後藤の妻とシリア人現地ガイドに口止めを行っていた[23]。この事実は翌年の1月20日まで公にされることはなかった[24]

12月中下旬 - この頃までイスラム戦線が、湯川の解放交渉をISILに対し、2,3回行ったが、ISILが国家との交渉に拘ったため頓挫[25][26]。後を継ぐ形で中東の国家が交渉を行っていたが、その後交渉打ち切りとなった[27]

1月17日 - 安倍首相がカイロでの経済会合にて「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します[28]。」と発言。


動画概要[ソースを編集]

2015年1月20日になり、覆面を被り通称ジハーディ・ジョンと呼ばれるISILのメンバー[29]が72時間以内に身代金の支払いがないと湯川と後藤を殺害すると述べている動画が公開された[30]

ISILは過去1年間で41億円から53億円を身代金で稼いでいるといわれているが、今回は日本政府に対し2億ドル(約230億円)を要求している[31]

安倍晋三首相カイロでISIL対策として約2億ドルの支援を表明し[32]、演説の中で過激主義を封じ込めるために「中庸が最善」と訴えたことにISILは反発し、演説への報復として日本人2人の殺害を警告したビデオ声明を出した[33]

この声明で述べられたISILの見解では、日本は2億ドルを拠出するなどして十字軍に志願した[33]のであり、その2億ドルは彼らを殺戮するために用いられるものと見なされている。

これに対し安倍首相は、平和国家である日本による難民支援であることを強調している[34][35]

身代金を要求する動画は屋外で撮影された様に見えるが、影の向きに不自然な点があるため、人物の映像がそれぞれ背景の映像に後付けで合成された可能性が指摘されているが[36][37]科学警察研究所の分析では、合成された痕跡は無いとしている[38]

動画に映っている日本人2名は、ISILが処刑したアメリカ人とイギリス人の人質と同じようにオレンジ色の服を着せられていた(ISIL#人権侵害と事件を参照のこと)。イラク戦争後、イラクの旧アブグレイブ刑務所では拘束されたイラク人捕虜がオレンジ色の服を着せられたことに因る[39]

全文を次に示す。和訳も併記する。To the prime minister of Japan:

日本国首相に告ぐ:

Although you are more than 8,500km away from the Islamic State, you willingly have volunteered to take part in this crusade.

イスラム国から8,500キロあまりを隔てながら、お前は望んでこの十字軍に志願した。

You have proudly donated 100,000,000 to kill our women and children, to destroy the homes of the Muslims.

われわれの女子供を殺害するために、聖徒の家々を破壊するために、臆面もなく1億(訳注: ドル)を拠出した。

So the life of this Japanese citizen will cost you 100,000,000.

それゆえ(訳注: 後藤の頭部に軍用ナイフを向け)この日本人の生命に、お前は1億を要することとなる。

And in an attempt to stop the expansion of the Islamic State, you also donated another 100,000,000 to train the Murtadeen against the Mujahideen.


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