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やノートページでの議論にご協力ください。IR3 JAPAN(アイ・アール・スリー・ジャパン)は、JFN系列で放送された「メール機能」を主に使用して放送するラジオ番組で、1999年10月1日から2005年3月25日まで放送されていた。前番組は「カウントダウンパラダイス」(カンパラ)。 「IR3」とは、I・・・Internet,Interactive の略とされている。 わたなべ曰くこの番組は「インターネットパリパリ活用番組」。番組ホームページ(現在閉鎖中)では、ネットラジオとネットビデオを公開、放送中では読めなかったメールを紹介したり、ネット上でしか話せないトークや、映像だからこそ行えた企画を行うなど、JFNCにおけるインターネットフル活用番組の元祖であった。なお、番組開始当初は日本における一般向けのインターネット黎明期であった。当時は当番組とニッポン放送の『LF+R』が主にインターネットのみでの募集を行っていた。当時同じ時間に放送された『ラジオ黄金時代』や『BPR5000』『しんドルシリーズ』でも掲示板(BBS)やメールは大いに活用されたが、ファックスも設けられていた。『LF+R』や『ラジオ黄金時代』シリーズでは携帯電話からのメール送受信サービスも普及しておらず、ファクシミリもしくはパソコンからのメール利用に頼るしかなかったことを鑑みてファクシミリは参加方法として残したものの、こちらでは後述する最終回前の数回を除いてファクシミリは使用せず、原則メール・BBS・チャットのみでの参加に限っていた。ニッポン放送では『allnightnippon SUPER!』のネット配信もいち早く行っていた。なお、この「インターネットフル活用番組」は2003年10月スタートの『L.A.V.』でも活かされ、当番組終了後には実質『L.A.V.』に集約することとなった。 パーソナリティのわたなべヨシコ(わたなべあんず)は放送で“愛媛県出身、地図でいうとこの四国の左上”と言っているが、25:00-27:00の時代にネットしていたJOEU-FM(エフエム愛媛)は2002年3月以降放送せず(メンテナンスタイムのため)、愛媛県では地元出身DJの声が聞けなかった。 また、JFNスタジオからの生放送であったが、わたなべは「東京半蔵門のボコスタから愛をこめて・・・」と表現していた。 わたなべヨシコ 他の番組以上にスタッフが露出することが多く、ディレクターの効果音、擦過の笑い声だけでなく、肉声SEが登場したり、スタッフのミスを責めたてる傾向があるなど、パーソナリティ以上に出ていたともいえる。 ※番組ホームページ上ではカタカナ表記となるスタッフが多かった。 ...etc この番組の核(=中心)となったのが、“チャット”のページである。一時期、チャット参加者の名前を読み上げていた時期もあった。 この番組は番組改編のたびにネットの枠移動や飛び乗り・飛び降りネット局、ネット局数の増減が相次いだ番組だった。他のJFNCが制作する生放送の番組にも見られることだが、この番組は特に激しかった。そのためわたなべヨシコも「番組改編期を乗り越え…」だとか、改編期には放送局名をよく読みあげていた。これは当時金曜の深夜帯は別の番組や録音番組を入れることが多かったことが理由である。2010年4月に『やまだひさしのラジアンリミテッドF』が始まった段階で基本的に飛び降り・飛び乗りが一度廃止されていた。 なお、AIR-G'、TOKYO FM、FM AICHI、fm osaka、fm fukuokaの5局はネットしていなかった。
概要
R・・・Radio
3・・・3o'clock
放送開始当初のタイトルは「IR3」。その後「IR3se(-エス・イー。"second edition"の略)」となっていた。
後述されるように、直後の「MEGA HITS RADIO」と放送枠を入れ替えて1時や2時スタートとなることもあった。このころから『IR3 JAPAN』へと名前を変えていたが、番組ジングルの類では一貫して「IR3」を使用。
これは初代の番組スタッフである"ウスイ嬢"が事ある毎に殴っていた(ボコっていた)ことに由来する。
パーソナリティとスタッフ
パーソナリティ
以前から嘉門タツオメインの『爆裂スーパーファンタジー』の手伝いや『ヒルサイド・アヴェニュー』『夕方音楽』の代行を務めてきたが本格的にこの番組からラジオDJとして動きだした。
放送当初の愛称は「ネット番長」だったが、その後愛称を「バンチョフ」(「ヴァンチョフ」とも)へ変更。理由は、あるスタッフが「それじゃ、ありきたりじゃない?」と言ったためと言われている。「ネット忍者」だったこともあり、くノ一(女忍者)コスプレをサイト上で披露していたこともある。
自分のことを「わたなべ」や「なべヨシ」とも呼ぶ。
沖縄県の新聞で、「わたばべヨシコ」と誤植されたこともあった。
自分の名前を強調する為か、ひらがな「わたなべ」カタカナ「ヨシコ」とアナウンスをしていた。
スタッフ
ババ リョウジ(通称「馬場っち」)
わたなべをパーソナリティとしてJFNに招聘したほか『IR3』を立ち上げた。途中で蔵持にディレクターが変わるが、番組最終回において、交代直前に急逝していたことが明かされた。
木多P(プロデューサー)
DJ蔵持(クラモチ)→筒井(ツツイ)(ディレクター)
クラモチ(→ツツイ)の初ディレクション番組がこのIR3である。JFNでは他にも「BPR5000」なども担当していたが、当番組では事ある毎に効果音を乱発していた。「2005年の新春特番」でのつるの剛士曰く「他のどの番組よりも生き生きしている」。
ヤナギサワ(ミキサー。単に「ヤナギー」と略されることもあった。)
擦過(構成作家;わたなべには「擦過ちゃん」と呼ばれていた) - のちにニッポン放送「久保ミツロウ・能町みね子のオールナイトニッポン0 (ZERO)」の構成作家に。
高野(タカノ)(AD)
テシマ(本名:斉藤)(AD。しばしば「テシマです」の肉声SEを入れていた)
ホンマトシヒッキー(AD。本名も「本間」だが「本田」と間違えられ、足されてやがて「ホンマダ」と呼ばれる。通称「ネット坊ちゃま」)
ぶーちゃん(見えるラジオデータ送出スタッフ)
タップ(アルバイト)
バイトのパパ(アルバイト)
ノグチ(元AD。AD卒業後も番組に登場することがあった。)
かっちゃん(正式なスタッフではない。IR3 JAPAN終了後RADIO JAPANのスタッフへ)
オーケーエムアール(元見えるラジオ担当のスタッフ。この人のサンダルでわたなべヨシコが悶絶したのは有名な話)
チャットマン(後に「チャットマソ」。「青チャット」の内容報告など)
チャット
これらは放送中にチャットページが開かれ、パーソナリティと一緒にチャットが出来た。わたなべの退出時の台詞は、くノ一よろしく「どろんぬぅ」だった。
パソコン用チャット4つ
赤チャット
わたなべ達とのフリートークを楽しむチャット。担当はわたなべヨシコ。
青チャット
その日のテーマについて語るチャット。担当はチャットマソ→擦過。
黄色チャット
のんびり、ダラダラ語るチャット。担当はホンマダ。
ビギナーズチャット
IR3チャット初心者の為のチャット。
携帯電話用チャット2つ
橙(だいだい)チャット
わたなべ達とのフリートークを楽しむチャット。
虹色チャット
その日のテーマについて語るチャット。
ネットの枠移動とネット局の変遷、数字に関するデータ
1998年10月?1999年9月
Size:30 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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