国際レズビアン・ゲイ協会 (こくさい - きょうかい、International Lesbian, Gay, Bisexual, Trans and Intersex Association、略称ILGA)は、600以上のレズビアンとゲイ、トランスジェンダーそしてインターセックス関連団体が参加する国際的な協会である。人権と市民権の領域におけるLGBT者の権利のため、キャンペーンや国連や各国政府への嘆願のための署名運動などの活動を精力的に行っている。2009年現在、世界約110か国で活動を展開している。 ILGAは以下の地域支部からなる:
目次
1 組織構成 www.plhiv.org
2 歴史 www.plhiv.org
2.1 論争と国連諮問資格剥奪
2.2 ECOSOCがILGAの申請を受け入れへ
2.3 ILGA 世界会議
3 日本におけるILGAの活動
4 ILGA日本グループ
5 脚注
6 参考文献
7 関連書籍
8 外部リンク
組織構成 www.plhiv.org
ILGA-Africa
ILGA-Asia
2009年現在、協会のトップは、スリランカのEqual Grand (2004)所属のロザンナ・フラメール・カルデラ (Rosanna Flamer-Caldera) とドイツのレズビアン・ゲイ協会 (LSVD)所属のフィリップ・ブラウン (Philipp Braun) が務めている。
歴史 www.plhiv.org HIVまたはエイズ感染者に対する、渡航・居住制限を示す世界地図 www.plhiv.org ILGAの年度報告の情報を元に作成:
制限が確認されている地域 相反する情報が提供されているため、制限の可能性がある地域 規定なし 情報なし
ILGAは1978年8月8日、イングランドのコヴェントリーで開催されていた会議「en:Campaign for Homosexual Equality」で発足した。この会議には14か国からの17団体を代表する30人の男性が参加していた。当初の名称はInternational Gay Association (IGA)であったが、1986年に現在の名前(ILGA)に変更された。このコヴェントリーでの会議は、アムネスティ・インターナショナル (AI) にも働きかけ、レズビアン・ゲイに対する迫害問題に対する関わりを求めた。13年に及ぶキャンペーン活動の後、1991年にAIはその活動の一つとして、レズビアン・ゲイの人権問題を扱い始め、今日では国際的なLGBT権利の擁護者となっている。[1]
確認のとれている中で最も早く活動を開始していた同性愛権利擁護団体は、1924年頃にシカゴで活動をしていた "The Society for Human Rights"であり、ILGAではない。 ⇒[2]
世界保健機構の疾病リストから同性愛が外されたことにも、ILGAが寄与している。
またILGAは、国連で非政府団体(NGO)としての「諮問資格」を獲得した最初のレズビアン・ゲイ権利団体である。1993年と1994年に開催された、国連の差別防止・少数者保護小委員会 (en:United Nations Sub-Commission on Prevention of Discrimination and Protection of Minorities) と1994年の国際連合人権委員会において、ILGAの名前で声明が発表された。ただし1994年9月に、ILGAのNGOとしての位置づけは保留となっており(次項参照)、2009年現在、国際連合経済社会理事会 (ECOSOC)に所属する同性愛者権利NGOは、1999年に諮問資格を獲得したAustralian Coalition of Activist Lesbiansのみである。欧州評議会は、ILGAの長年にわたる諮問資格申請に際して、国連における諮問資格剥奪理由を求めた。1997年終盤に、欧州評議会はILGAに諮問資格を与えた。ILGA欧州支部は、欧州委員会に認可されており、同委員会より経済的な支援も受けている。
ある論争の存在から、国際連合エイズ合同計画 (UNAIDS)は、ILGAに関連するあらゆるプロジェクトに対して援助を行わないことを表明している。 ⇒[3] 1993年の夏、ILGAは国際連合経済社会理事会 (ECOSOC)の諮問資格を、世界3000の団体が集まった非政府組織として獲得した。しかしながらジェシー・ヘルムズ (Jesse Helms) が先導していた、NAMBLA(米国少年愛者団体)のILGA加盟キャンペーンの後、この資格は1994年に保留となった。 この処置を受け、1994年始めにILGAは214の賛成票(うち反対票30)を持って、NAMBLAと他の2団体 (MARTIJN と Project Truth
論争と国連諮問資格剥奪
ILGAは諮問資格を回復するために2000年に申請を行ったが ⇒[4]、2002年4月30日に国際連合経済社会理事会 (ECOSOC)は29票対17票で、この申請をしりぞけた。[5]この決定は、「ILGAのメンバー団体または附属団体が、ペドフィリアを推進または許容したことにたいする懸念による」とされた。 ⇒[6]
この懸念の要因となったのは、ILGAが同性愛を犯罪とする国々に住むメンバーの安全を確保するために、加盟している団体のリストを発行しておらず、そのためにNAMBLAとILGAの関係が表面的にだけではなく、実際に断たれたのか検証することが可能かどうか、ということであった。
2003年5月3日、国際連合経済社会理事会 (ECOSOC)は再び決議を取り、ILGAに対して諮問資格を与えないことを決定した。これを受けて他のLGBT権利団体とともに、ILGAは再度申請を行ったが、2006年1月23日にNGO委員会において、拒否された。 ⇒[7] ILGAは、LGBT権利団体の申請が退けられるのは、エジプトとイスラム諸国会議機構 (OIC)が圧力をかけているから、との見方を持っている。 ⇒[8]
ILGAの国際連合経済社会理事会への申請に対し、反対票を投じた国は、ILGAのHIV/AID感染者への差別をまとめた年度報告書において、最も批判を受けていた10か国(カメルーン、中国、キューバ、イラン、パキスタン、ロシア連邦、セネガル、スーダン、アメリカ合衆国、ジンバブエ)であった。
ILGAを支持した国家としては、チリ、フランス、ドイツ、ペルー、ルーマニアがあげられる。
コロンビア、インド、トルコは棄権
コートジボワール代表は欠席
しかしながら、続いて行われた、ILGA-Europeの申請に対する投票においては、アメリカ合衆国は立場を変え、賛成にまわった。しかしながら申請は拒否された。 2006年、ILGAはペドフィリア反対の立場を表明し続けており[2]、ECOSOCに対し、国連諮問資格を要求し続けていたが、2010年7月19日、国際連合経済社会理事会(ECOSOC)はついにジョグジャカルタ原則の付加勧告(d)に示された1996/31の決議に従って、ILGAの申請を受け入れた。[3](賛成23、反対13、棄権13) 12月11日には、ILGA-Europeは、ドイツ同性愛者連盟(Lesben- und Schwulenverband in Deutschland = LSVD)とNational Association of Gays and Lesbians(LBL)と共に)、ECOSOCの諮問資格を取得した。[4] 次の世界会議はカナダのケベックで2008年5月に開催される予定であったが、延期され[5]、2008年11月3日から6日まで、オーストリアのウィーンで開催された。
9か国 (カメルーン、中国、コートジボワール、イラン、パキスタン、ロシア連邦、セネガル、スーダン、ジンバブエ)が反対
7か国 (チリ、コロンビア、フランス、ドイツ、ペルー、ルーマニア、アメリカ合衆国)が支持
2か国棄権 (インドとトルコ)[1]
ECOSOCがILGAの申請を受け入れへ
ILGA 世界会議