I号戦車
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I号戦車I号戦車A型
ムンスター戦車博物館所蔵
性能諸元
全長4.02 m
全幅2.06 m
全高1.72 m
重量5.4 t
懸架方式リーフスプリング方式
速度37 km/h
行動距離145 km
主砲7.92 mm MG13k 機関銃×2(通常弾1,525 発+SmK弾625 発+即応弾100 発)
装甲13 mm
エンジンクルップ M305
水平対向4気筒空冷ガソリン
57 HP/2500 rpm
乗員2 名(車長兼機銃手、操縦手兼無線手)
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I号戦車(いちごうせんしゃ、Panzerkampfwagen I、パンツァーカンプ(フ)ヴァグン アイン(ツ)、特殊車輌番号 Sd.Kfz.101)は、ドイツ第一次世界大戦後、初めて量産した豆戦車(5トン級)である。

訓練および生産技術の習得のための軽量・簡易な豆戦車として開発されたが、本来の実戦用戦車であるIII号IV号の数が揃わず、第二次世界大戦開戦直後のポーランド侵攻作戦など、II号と共に実戦に投入された。

後に、全く別設計の「新型(neuer Art、n.A.、ノイアー・アーチ)」(C型)や「強化型」(F型)も、少数生産された。

重量的に、本車を軽戦車に分類するのも可。当のドイツ自身は、I号戦車を基にした輸出用戦車を、「ライヒター・カンプ(フ)ヴァグン」(「軽戦車」の意)と呼称しているので、I号戦車のことも「軽戦車」と認識していたと考えられる。
開発と生産
L.S.K.の開発

ヴェルサイユ条約によって戦車の開発を禁じられていたドイツだが、戦間期、秘密裏に「WD シュレッパー」「重トラクター」「軽トラクター」などの名称で、自走砲や戦車の試作が行われ、ソビエト連邦カザンの実験場でテストが行われた。しかし、これらはどれも試作の域を出るものではなかった。

一方、軽トラクターの開発とは別に、1927年10月、クルップ社は、後に「L.S.K.」(leichte Selbstfahrkanone、ライヒト・ゼルプストファール・カノーネ、「軽自走砲」の意)と呼ばれる、自走砲のシャーシ(車台)の開発を開始した。リアエンジン・リアドライブ方式、操縦席は前部右側にあった。シャーシ中央に37 mm砲もしくは75 mm砲が置かれ、武装と装甲を含む重量は7.9 tになる予定であった。

1年半に及ぶL.S.K.のコンセプトの議論の後、クルップ社は2輌のL.S.K.の試作車の開発製造契約を結んだ。この計画は、軽トラクターの約6ヶ月前に開始されたが、両車(L.S.K.と軽トラクター)はほぼ同時に試験に達した。

L.S.K.の設計は、軽トラクターと同じく、サスペンションの問題に悩まされた。L.S.K.は失敗作に終わったが、リアエンジン方式の自走シャーシの概念は、次の「小型トラクター」(Kleinetraktor、クライネトラクトーア)?I号戦車の基礎となった。
カーデン・ロイド豆戦車の登場

1928年、イギリスでカーデン・ロイド Mk.VI 豆戦車(機銃運搬車、牽引車)が開発され、各国に豆戦車ブームを起こした。各国は、従来の軽戦車の下位となる、それまでの兵器体系には無かった新たなカテゴリーである「豆戦車」の、購入・開発・整備に乗り出した。原型のMk.VI自体は1.5 t程度だが、実戦に耐えうるよう、改良を施すと、各国の豆戦車のように3 t程度になった。ドイツもこのブームを無視することはできなかった。

さらに、翌1929年には、「カーデン・ロイド Mk.VIII 試作軽戦車」=「ヴィッカース Mk.I 軽戦車」(実質は豆戦車。乗員2名、全長4.01 m、戦闘重量4.8 t、59馬力のメドウスエンジンを搭載し、路上最高速度48 km/h、武装は旋回銃塔に.303インチ(7.7 mm)重機関銃 1挺)が開発された。実際に完成したI号戦車はこちらに近いと言える。

軽量な車体に(重量に対し相対的に)高出力エンジンを搭載した(出力重量比が小さい)カーデン・ロイド豆戦車/ヴィッカース軽戦車は、クリスティー快速戦車と並んで、1930年代の戦車の高速化に大きな役割を果たしたと言える。

I号戦車の原型である小型トラクターは、そもそも3トン級の豆戦車相当として開発が始まったのであって、ここは重要な点である。I号戦車を軽戦車として捉えると、I号戦車の本質を見誤ってしまう。小型トラクターは豆戦車相当であるがゆえに、軽戦車である軽トラクター(9 t程度)と並行開発がされたのであって、両車はそもそもカテゴリーが異なる(棲み分けがなされている)のである。(フロントエンジン・リアドライブ方式の)小型トラクターは、軽トラクターを補完する、軽トラクターの小型化版として開発されていたと考えるべきであろう。故に、(フロントエンジン・リアドライブ方式の)小型トラクターは、豆戦車ではあるが、カーデン・ロイド系ではない。

また、I号戦車を軽戦車と捉えると、軽戦車であるII号戦車とカテゴリーが重複してしまうが、I号戦車の本質を豆戦車(+α)と捉え、II号戦車は開発中止となった軽トラクターの代替(そのポジション・ニッチを埋めるもの)だと考えれば、この両車もカテゴリーが異なる(棲み分けがなされている)わけである。

I号戦車は豆戦車(小型トラクター、クライネトラクトーア)から発展した、3トン級豆戦車と6トン級軽戦車の中間的存在である。そもそも、I号戦車が直接参考としたイギリスの軽トラクターの、その基となったヴィッカース Mk.I 軽戦車自体が、カーデン・ロイド豆戦車から発展したものである。I号戦車の位置付けを不等号で表すと以下のようになる。II号戦車≧ヨーロッパ各国の6トン戦車系の軽戦車>6トン戦車双砲塔機銃装備型≧I号戦車≧ヴィッカース Mk.I 軽戦車>ヨーロッパ各国のカーデン・ロイド系の3トン級豆戦車
ドイツ版3トン級豆戦車「クライネトラクトーア」の開発

1930年2月14日、装甲車両の開発を担当する陸軍兵器局第6課は、軽トラクターより小型で製造コストの安い豆戦車を、「小型トラクター」(Kleinetraktor、クライネトラクトーア)の秘匿呼称で開発することを決定し、エッセンのクルップ社に対し開発を命じ、クルップ社ではエーリヒ・ヴォエルフェルト(Erich Wolfert)工学博士を中心に小型トラクターの設計を開始した。

1930年は小型トラクターの仕様の議論に費やされた。当初の仕様では、重量は3 t、60馬力のエンジンを搭載、2 cm機関砲(当時のドイツでは主武装の口径をmmではなくcmで表した)で武装する計画であった。

クルップ社は、1931年4月30日に砲塔の基本仕様書を、5月22日に車体の基本仕様書を、7月28日に戦闘室の基本仕様書を、陸軍兵器局第6課に提出した。

1931年6月24日に完成した小型トラクターのモックアップは、後のI号戦車とは著しく異なっていた。フロントエンジン・リアドライブ方式で(トランスミッションも前方配置)、全長は3460 mm、幅は1820 mm、重量は3.5 t(仕様書)、車体の装甲厚(仕様書)は、前/側面が13 mm、後面が10 mm、上/下面が6 mm、60馬力のクルップ社製水平対向4気筒空冷ガソリンエンジンで45 km/h(仕様書)、路上航続距離200 km(仕様書)。左右30度ずつの射角の2 cm機関砲はケースメイト前面右側に装備された。乗員は、車体後部の戦闘室に、左側前方に操縦手、右側後方に車長兼砲手の、2名であった。足回りは軽トラクターに似ていた。前後に長いことを除けば、後のポーランドTKS 20 mm機関砲搭載型に似ていたと想像される。

※蛇足だが、この小型トラクターのスペックは、後のヴィーゼル1 兵器運搬車(20 mm機関砲搭載型)と近似である。

しかし、L.S.K.と軽トラクターの試験により、フロントエンジン・リアドライブ方式の欠陥が実証され、1931年9月18日、陸軍兵器局第6課のハインリヒ・エルンスト・クニープカンプにより、フロントエンジン・リアドライブ方式での小型トラクターの開発は中止された。同日、リアエンジン・フロントドライブ方式での新しい小型トラクターの仕様が承認された。ハインリヒ・エルンスト・クニープカンプ(Heinrich Ernst Kniepkamp、1895年3月5日-1977年7月30日)

この頃に、軽トラクターの発注が取り消されたのも、同様の理由だと考えられる。また、駆動方式の問題だけでなく、あたかも、戦艦ドレッドノートの登場のごとく、革新的なカーデン・ロイド豆戦車/ヴィッカース軽戦車の登場により、軽トラクターの設計(特に足回り。


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