『heavenly』
L'Arc?en?Ciel の スタジオ・アルバム
リリースheavenly
1995年9月1日(CD,MD)
2011年6月22日(配信)
2014年10月22日(High-Res)
2019年12月11日(定額配信)
heavenly (Remastered 2022)
2022年5月18日
(CD[注 1],配信,High-Res,定額配信)
録音1995年
TOKYU FUN, FREEDOM STUDIO, ON AIR AZABU, AOBADAI STUDIO, WONDER STATION STUDIO, ART PLAZA 1000, BAYBRIDGE STUDIO
ジャンルニュー・ウェーヴ
ゴシック・ロック
ポップス
ロック
時間46分47秒
レーベルKi/oon Sony Records
プロデュースL'Arc?en?Ciel
チャート最高順位
週間3位(オリコン)
登場回数56回(オリコン)
ゴールドディスク
プラチナ(日本レコード協会[1])
L'Arc?en?Ciel アルバム 年表
Tierra
(1994年)heavenly
(1995年)True
(1996年)
『heavenly』収録のシングル
「and She Said」
リリース: 1995年5月21日
「Vivid Colors」
リリース: 1995年7月6日
「夏の憂鬱 [time to say good-bye] 」
リリース: 1995年10月21日
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『heavenly』(ヘヴンリィ)は、日本のロックバンド、L'Arc?en?Cielの3作目のスタジオ・アルバム。1995年9月1日発売。発売元はKi/oon Sony Records。 前作『Tierra』以来約1年2ヶ月ぶりとなる3作目のスタジオ・アルバム。 本作には、ライヴツアー「in CLUB '95」の初日に発表したビデオシングル「and She Said」[2]、ツアー終了直後に発表したシングル「Vivid Colors」の表題曲を含めた10曲が収められている。アルバム発売から約1ヶ月半後の1995年10月には、本作に初収録された「夏の憂鬱」のリアレンジバージョンとなる「夏の憂鬱 [time to say good-bye]」がシングルカットされている。なお、本作のマスタリングは、エレファントカシマシの作品やGRASS VALLEYのアルバム『STYLE』の他、前作『Tierra』のマスタリング作業に携わった田中三一(S.M.E)が担当している。 前作『Tierra』では約半年の時間をかけてアルバムレコーディングを行っていたが、今回はプリプロダクションの時間を長めに取り、レコーディング期間の短縮化を目指したという[3]。こういった考えに至った背景には、前作の制作が長期化したことにより、アルバム発売やライヴ開催を告知するプロモーションがほとんど行えず、1994年7月から開催したライヴツアー「Tour Sense of time '94」の一部公演でチケットがソールドアウトしない事態が発生したことがひとつある。本作のレコーディングを振り返り、tetsuyaは「前回の『Tierra』の反省点として、レコーディングにすごく費やして、半年ぐらいかけてしまったんですよ。それで思うようにプロモーションできなかったりしたんで、そういう反省があって、昨年の暮ぐらいから、思うように活動できるための基盤作りをしてきた。それで、今回はレコーディングに入る前に、ある程度のプランをメンバーのほうから出して、そのとおりにやろうと[3]」と本作発売当時のインタビューで語っている。 また、1994年のメジャーデビュー以降、メンバーの与り知らぬところで活動内容が決められたことがあったため、同年の年末ごろにメンバー4人だけで集まり、今後の活動方針を決めるミーティングを行ったという[4]。ミーティングについて、sakuraは「年末近付いた頃に4人だけでデニーズに行って、来年どうする?っていう話をして、年間スケジュールを書き出した[4]」、tetsuyaは「俺らは操り人形じゃないから、自分たちで決めてやろうぜ!って決めたんですよ[4]」と述懐している。4人でミーティングした結果、1994年にあまりライヴを実施出来なかったことを踏まえ、「1995年はライヴを中心とした活動にシフトする」という方針が決まったという[4][5]。自らが主導権を握って活動していなければ、多分(バンドは)終わっていたと思う。そこからは変わってないと思うんですよね、それぞれがいろいろ経験して大人にはなったけど この当時を振り返り、tetsuyaは、2006年に音楽雑誌の企画で行われたsakuraとの対談で「ベーシックな、音楽やる上での、バンドやる上での軸っていうのはやっぱこのへん、'94、'95年で確立したのかな。すごく今に繋がってることだと思いますよ。今では当たり前にしてることを。曲作りにしても、ツアーにしても、ライヴにしても。この頃確立した[6]」と述懐している。また、hydeは2012年に放送されたテレビ番組のインタビューにおいて「自らが主導権を握って活動していなければ、多分(バンドは)終わっていたと思う。そこからは変わってないと思うんですよね、それぞれがいろいろ経験して大人にはなったけど[7]」と当時を振り返っている。 『heavenly』の録音作業は、1994年の年末からアルバム制作の準備が開始され、1995年3月から合宿レコーディングというかたちで本格的に実施されている[5][2]。このレコーディングは1995年5月から開催したライヴツアー「in CLUB '95」の直前に終了している[2]。ちなみにこのツアーでは、本作の収録された「ガラス玉」「The Rain Leaves a Scar」などが先行披露されている。曲作りの段階から、前回とはぜんぜん違うんですよ。みんなの勢いが出てるっていうか。前回は、出てきたものに(新しい)アイディアを足して、レコーディングに入ってから、"どういう雰囲気になるんだろう?"っていう感じだったんです。今回は、もう曲作りの段階から、みんなでアレンジしまくった。その時点でみんなの懐の深さを感じることができたし…バンドっぽいですよ。やっと、メンバーのアレンジ面での力が発揮できた第一弾
解説
背景前回の『Tierra』の反省点として、レコーディングにすごく費やして、半年ぐらいかけてしまったんですよ。それで思うようにプロモーションできなかったりしたんで、そういう反省があって、昨年の暮ぐらいから、思うように活動できるための基盤作りをしてきた。それで、今回はレコーディングに入る前に、ある程度のプランをメンバーのほうから出して、そのとおりにやろうと
- 『ロッキンf』1995年9月号付録、16頁、tetsuyaの発言より
- 『L'Arc?en?Ciel 20年の軌跡』2012年2月12日放送、hydeの発言より
録音作業と音楽性
- 『ロッキンf』1995年9月号付録、11頁、hydeの発言より歌メロが早い時期から見えていたのが特徴ですね。今回、4人で曲の細かいところを固める作業に時間をかけたのもよかった。そのへんは『Tierra』の時以上に、緊密にできたと思います。『heavenly』では、各パートをカラめようという意識があった
- 『ロッキンf』1995年9月号付録、13頁、kenの発言より