HOUND_DOG
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第2回 1991年7月27日 西武球場&同年8月3日 阪急西宮スタジアム

第3回 1992年8月8日 静岡つま恋

第4回 1993年8月1日 福岡県海の中道海浜公園野外劇場

第5回 1994年8月27日 東京夢の島公園

第6回 1995年8月19日 宮城県みちのく杜の湖畔公園

第7回 1996年8月3日 大阪舞洲スポーツアイランド

第8回 1997年8月23日 - 8月24日 愛知県名古屋商科大学ラグビー場

第9回 1998年8月22日 兵庫淡路島ウェルネスパーク五色特設会場

第10回 1999年8月28日 静岡ATAMI PORT SIDE AREA

NHK紅白歌合戦直前辞退

1991年(平成3年)、『第42回NHK紅白歌合戦』の出場歌手に選ばれたが、この年のHOUND DOGは特にヒット曲がない状況であった。NHKは『ff (フォルティシモ)』を選曲したが、メンバーは「古い曲だから歌いたくない」とし、翌年リリースの新曲『BRIDGE?あの橋をわたるとき?』の演奏を希望。しかしNHKはその申し入れを拒否、結局出場を辞退することとなった(代わりにバブルガム・ブラザーズが出場。大友とバブルガムは親友同士であり、バブルガムは紅白のステージ上で、歌唱後にHOUND DOGにメッセージを送った)。
解散騒動と訴訟

デビュー25周年となる2005年、大友と所属事務所マザーエンタープライズとの間で意見対立が発生、その結果大友は個人事務所(イエホック(iehok))を設立、4月に独立した。これを受けてマザー側は、7月の日本武道館公演をもってHOUND DOGに関する一切の業務を終了する事を発表した。また6月に発売されたアルバム『OMEGA』についても、マザーは「事実上、現メンバーによる最後のオリジナル・アルバムになる可能性がある」とし、ジャケットや曲のタイトルが解散を示唆する内容となっていた。しかし大友は事務所に反発し、今後もステージに立つことを武道館公演時に明言したが、解散やメンバー脱退は否定しなかった。

8月、大友はイエホック公式サイトにて、「バンド内に将来に対する考え方の違いが生まれた」として蓑輪・鮫島を除いた4名(大友・八島・橋本・西山)で活動を続けることを表明した。マスコミには蓑輪・鮫島が「脱退」したと報じられたが、当人たちは「脱退はしていない」とコメント。鮫島はその後も折りにつけ脱退否定発言を繰り返したが、大晦日のカウントダウン・ライブや2006年(平成18年)2月からのツアーは、両者を除いた4名にサポートメンバーを加えるかたちで開催された。大友は蓑輪・鮫島の解雇の理由を後述の裁判で、蓑輪については「福田信会長の秋の解散ツアー案に同意したため」、鮫島については「前事務所と密接な関係にあって情報が漏れ、信用できなかった」と述べている[2]。また、大友は11月8日付日刊スポーツ紙上で「HOUND DOGは僕のものですから。大学時代にオレがつくった。ぶっちゃけ言っちゃうと、オレだけだっていい。オレが歌えばHOUND DOGですから」といった発言をした。
2006年のメンバー「解雇」

その後、大友が活発にバラエティ番組に出演する一方、大友のラジオ番組から八島が降板したり、夏のライブ情報が橋本の個人サイトに掲載されなかったり、橋本がサイトのBBSで「信じていた人から裏切られた」と発言するなど、不可解な動きがあった。そして2006年(平成18年)6月3日、「HANBUN DOG(6-3)」と題した、橋本・八島・西山によるパーティーの開催が橋本のサイトにて発表された。

6月18日、大友は「HOUND DOGを守るため」自分ひとりで活動を続けるとイエホック公式サイトにて表明。イエホックの代表者(楠山寸賀子)は「HOUND DOGを操ろうという動き」という表現で前事務所の干渉を示唆し、橋本らのパーティー開催をそれに飲み込まれたものであるとみなして、バンドが大友ひとりになる理由とした。

これに対して橋本のサイトには、橋本・八島・西山の反論コメントが掲載。橋本は「私たち三人は脱退したのではありません」とした。その後、橋本のサイトやパーティーで3名が語ったところによれば、イエホックは当初から、3名を大友のバックミュージシャン扱いしていた。新曲の権利をすべて無償でイエホックに譲り渡すことを要求してきた。橋本が株売却のために旧事務所とコンタクトをとったことを口実に解雇し、新メンバーをオーディションで加えようとした。反発した3名は大友との話し合いを求めたが、大友は携帯の番号を変えて連絡がとれない状況であった。3名が事務所に不満を募らせていたところ、代理人弁護士から携帯メールで一方的に解雇を告げられた。「HANBUN DOG(6-3)」は元の6人でもう一度やり直したいという意味を込めたものであり、前事務所の干渉や、一部で噂された宗教団体の関与などは全くない、というものであった。

7月22日、大友以外すべてサポートメンバーで、HOUND DOG名義のライブが大阪野音で開催された。八島・橋本・西山が自腹でチケットを購入して現れ、会場は騒然となる。また、元の6人での活動を求める署名活動がファンにより会場外で行われた(この署名は、大友のもとに届けられたといわれる)。また、一部有志は同年9月1日日刊スポーツ意見広告を掲載し、同じく6人での活動再開を求めた。しかし、大友は例年通り昔の曲(そのほとんどは蓑輪と八島が作曲したものである)を歌い、MCでは一連の騒動について明確な説明をしなかった。9月2日には、同じサポートメンバーを従えて「HOUND DOGとして50回目」と称した日本武道館公演が行われた。ここでも大友は明確な説明をしなかったが、「後悔はない。1歩ずつ前を向かって歩いていく」と話し、旧メンバーとやり直す気がないことを暗示した。ようやく10月31日、大友はインターネットマガジン「Manyo」連載のエッセーにおいて、一連の経緯に関するファンへのメッセージを発表。自らの決意が変わらないことを強調し、「いずれ時間と良識と世論が本当の答えを出して理解してくれるはずだ」と結んだ。

一方、八島・橋本・西山の3人は「新生ハウンドドッグ」として、八島が書き下ろした「We are the Hound Dog」のレコーディングを9月14日に行った。ボーカルは、緊急募集された199名のファンである(当初、199名の中には冗談半分で応募した大槻ケンヂが含まれていたが、結局辞退している。)。八島いわく「大友康平に歌ってほしいと思って作ったが、今のところ実現は困難なのでこの曲は、みんなに歌ってほしい。7人目のメンバーと一緒に歌いたい」「200人目は大友に」とのことであった。その後3人は「We are the Hound Dog」発売を記念したライブも行っている。
訴訟

一連の騒動の流れで明らかになっている訴訟は以下の通り。

蓑輪・鮫島が大友・八島・橋本・西山に対して起こしている民事訴訟。HOUND DOGは6人の演奏活動によって成り立っていると主張し、「HOUND DOG」の名称の使用権がメンバー6人にあること、2人をバンドに復帰させること、大友独立の巻き添えで前事務所との契約が白紙になったことに対する金銭補償を求めた。ロックバンドの活動方針はリーダーの一存で決められるのかどうかが問題の焦点となった。2006年9月1日、八島・橋本・西山については和解が成立した。

マザーエンタープライズ(以下、マザー)がイエホック及び大友・八島・橋本・西山に対して起こしている民事訴訟。大友がマザーの役員だったにもかかわらず大手企業新年会でのミニライブを事務所に隠れて引き受けたこと、そのギャラを事務所を通さず着服したこと、大友の独立によって全国ツアーが中止になったこと、大友が南こうせつ主宰の北海道・岩見沢フォークジャンボリー(2006年7月)への出演をキャンセルしたことなどに対して損害賠償を求めている。また、マザーがバンドを解散に追い込もうとしたかの如く発言したことに対しても、事実無根であるとして損害賠償と謝罪広告の掲載を求めている。刑事告訴ではなく民事告訴となっていることについて、マザー側の「温情」を指摘する見解がある。なお、11月13日の東京地裁の弁論において、大友側は証拠を提出して反論。事前にマザー側からソロ活動の許可を得ていたこと、独立時点で全国ツアーの詳細は決まっていなかったことを主張した。さらに、大手企業新年会でのミニライブを「裏営業」などと報じられたことによる名誉棄損で、損害賠償を求める反訴を行った。本件については、マザーと八島・橋本・西山の間では和解が成立している。

大友は、2007年12月5日証人尋問に出廷。前述のメンバー切り捨ての経緯や、福田信会長から「HOUND DOGは事務所のお荷物だから解散しろ。独立は認めない。解散ツアーをすれば2000万円ずつ退職金が出る」と言われ、大友がそれに反対した所、「メンバーを連れていけ」と言われ収拾がつかなくなった事や当初は音楽活動をマザー、俳優業などをイエホックでマネジメントする予定だったことを主張し、八島・橋本が傍聴席にいるという状況のもと、質問に対し「意味がわかりません」という発言を繰り返した[3][2]。裁判は、2008年12月22日に東京地裁において判決[4]が下された。大友の「裏営業」の事実と大友が出演を予定しながらキャンセルした南こうせつ主宰の北海道・岩見沢フォークジャンボリー(2006年7月)のマザーに対する損害については、それが認められるとともに大友側からの名誉毀損の反訴は退けられた。また、大友の独立による全国ツアー中止についての損害賠償については、訴えが棄却され、マザーがメンバーを巻き込み、解散計画を進めていたことも認められた。この一連の判決を不満としてマザー側が東京高裁に控訴したが、2009年(平成21年)5月に控訴を棄却[5]され、訴訟費用の9割負担を命じられ、3年に渡る法廷闘争は結果的に終結した。

この訴訟と関連し、大友が自身の名義でHOUND DOGの楽曲を再録音し、2008年5月発売予定だったアルバムが、八島の「今は歌って欲しくない」という反対の意向で発売延期となった[6]
延期となったアルバムの発売

法廷闘争の終結と前後して2009年5月20日に、大友名義でHOUND DOGの楽曲14曲を再録音した「HOUND DOG ULTIMATE BEST」が発売。7月12日にはShibuya O-EASTで、購入者を対象として限定ライブを行った[5]
30周年ライブ

2010年3月21日に渋谷C.C.Lemonホールで30周年記念ライブが行われ、ファンによるベスト投票の30曲をもとに31曲を歌唱。大友は「ずっとHOUND DOGの歌を歌っていきたい。誰が何と言おうと」と語った[7]
エピソード
幻となった「男はつらいよ」


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