HMOS
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ディプリーション負荷NMOSロジックのNANDゲート(T1がディプリーション負荷)

ディプリーション負荷NMOSロジック(ディプリーションふかNMOSロジック、Depletion-load NMOS logic)は、集積回路におけるロジック・ファミリの一形式である。それは初期のNMOSロジックファミリーが2つ以上の異なる電源電圧を必要としたのと違って単一電源電圧だけを使用する[注釈 1]。この集積回路を製造するために追加の製造工程を必要としたが、スイッチング速度が向上したことと外部電源の種類を減らしたことによって、このロジックファミリは多くのマイクロプロセッサとその他の論理回路に対して好ましい選択肢となった。インテルはこの技術をHMOSと称していた[1]

負荷トランジスタとしてディプリーションモードnMOSFETを使うことによって、単一電源動作が可能となり、エンハンスメントモードMOSFETを負荷トランジスタとして使った以前のNMOSよりも高速になった。ディプリーションモードMOSFETは、より単純なエンハンスメントモードMOSFETよりも電流源に近い動作をすることが性能向上の理由の一部である。特に複数の電圧が使えないときにディプリーションモードMOSFETの方が速度的により有利になる(初期のPMOSとNMOSチップが複数の電圧を要求した理由の一つである)[2]

製造過程にディプリーションモードNMOSトランジスタを入れることは、より単純なエンハンスメントモード負荷の回路と比べて追加の工程を必要とする。ディプリーションデバイスは、閾値電圧を変更するために負荷トランジスタのチャネル領域におけるドーパントの量を増やすことによって作られる。その工程は、通常イオン注入を使って行われる。

1980年代の間にCMOSは、ほとんどのNMOS設計のチップを置き換えたが、いくつかのディプリーション負荷NMOS設計のチップは未だに製造されている。大抵、新しくCMOSに再設計されたものと並行して製造されている。NMOSのZ84015[3]とCMOSのZ84C15[4]がその一例である。
歴史と背景「NMOSロジック#歴史」も参照

ベル研究所のモハメド・アタラ(英語版)とダウォン・カーンによるMOSFETの発明に続いて、彼らは1960年にMOSFET技術を発表した[5]。彼らは20μmプロセスでPMOSとNMOSの両方を製造した。しかしながらNMOSデバイスは実用性がなかった。PMOSデバイスだけに実用性があった[6]

1965年にフェアチャイルドセミコンダクターのチータン・サー(英語版)、オットー・レイスティコ(Otto Leistiko)、そしてA・S・グローブ(A.S. Grove)は、チャネル長が10μmから65μmの間でいくつかのNMOSデバイスを製造した[7]IBMのデイル・L・クリッチロー(Dale L. Critchlow)とロバート・H・デナード(英語版)も1960年代にNMOSデバイスを製造した。最初のIBMのNMOS製品は、1Kbitのデータ容量かつ50/100nsのアクセス時間のメモリチップであった。そのメモリチップは、1970年代初頭に大量生産に入った。これによってMOSFETの半導体メモリが1970年代のバイポーラメモリと磁気コアメモリの技術を置き換えることになった[8]
シリコンゲート

1960年代後半にバイポーラトランジスタは、(p型チャネル)MOSFETよりも高速だったので、よく利用され、信頼性も高かった。しかし、バイポーラトランジスタは、より多くの電力を消費し、広い面積を必要とし、より複雑な製造工程を必要とした。MOSFETの集積回路は、興味深いと考えられていたが、高速なバイポーラトランジスタに取って代わるには速度が不十分であったので、低消費電力用途のようなニッチ市場向けであった。MOSFETの低速度の理由の一つは、MOSFETがアルミニウムで作られたゲート電極を持つことであった。アルミニウムのゲート電極は、当時の製造工程を使うとかなりの寄生容量をもたらすことになった。ポリシリコンゲート(1970年代中期から2000年代初頭まで事実上の標準であった)の導入は、このハンディキャップを減らすための重要な最初の一歩であった。この新しい自己整合シリコンゲートMOSFETは、1968年初め頃にフェアチャイルドセミコンダクターフェデリコ・ファジンによって導入された。自己整合シリコンゲートは、ジョン・C・サラス(John C. Sarace)、トム・クレイン(Tom Klein)そしてロバート・W・バウアー(英語版)によるさらに低い寄生容量を実現するためのアイデアと仕事の改良(そして最初に動作する実装)であった。その改良は、ディスクリート部品としてだけでなくIC(集積回路)の一部として製造することができた。この新型のMOSFETは、1ワット当たりでアルミニウムゲートのpMOSトランジスタの3倍から5倍高速であった。さらに面積も小さくなり、より少ない漏れ電流とより高い信頼性を持っていた。同年、ファジンは新型MOSFETを使った最初のICも作った。フェアチャイルド3708(8ビットバイナリデコーダー付きのアナログマルチプレクサ)である。これは金属ゲートの同型のものより大幅に性能が向上したことを証明した。それから10年以内にシリコンゲートMOSFETは、複雑なデジタルICのための主な媒体としてバイポーラトランジスタを置き換えた。
NMOSとバックゲートバイアス

PMOS(p型MOSFET)に関連する欠点が2つある。PMOSトランジスタの電荷キャリアである正孔は、NMOSトランジスタの電荷キャリアである電子よりも移動度が低い(正孔の移動速度は電子よりも約2.5倍ほど遅い)。さらにPMOS回路は、Diode-transistor logic(DTL)やTransistor-transistor logic(TTL)(7400シリーズ)のような低電圧かつ正電圧の論理回路と容易に相互接続できない(入出力信号が負電圧のため)。しかしながら、PMOSトランジスタは比較的容易に作ることができ、それゆえに最初に開発された。エッチングとその他の要因によるゲート酸化膜のイオン汚染は、電子に基づいたNMOSトランジスタのスイッチングオフを非常に容易に妨げることになる。一方で正孔に基づいたPMOSトランジスタは、それほど影響を受けない。それゆえにNMOSトランジスタの製造は、実際に動作するデバイスを製造するためにバイポーラトランジスタの工程よりも多くの回数の洗浄を必要とする。

NMOS集積回路(IC)の技術における初期の業績は、1969年の国際固体回路会議(英語版)(ISSCC)におけるIBMの短い論文で発表されている。それからヒューレット・パッカード(HP)は、電卓の速度と容易な操作性を保証するためにNMOS IC技術の開発を始めた[注釈 2]。HPのトム・ハスウェルは、より純度の高い物質(特に接続に使うアルミニウム)を使用し、ゲートスレッシュホールド電圧を十分に大きくするためにバイアス電圧を追加することによってついに多くの問題を解決した。このバックゲートバイアスは、イオン注入(以下参照)が開発されるまでゲート内の主な汚染であるナトリウム汚染を解決する事実上の標準的方法として存続した。1970年までにHPはすでに十分良いNMOS ICを作成しており、十分に差別化できていたので、デイブ・メイトランド(Dave Maitland)は、1970年12月発行のエレクトロニクスマガジンにNMOSについての記事を書くことができた。しかしながら、NMOSは1973年までHP以外の半導体産業において非一般的なものであった[注釈 3]

量産可能なNMOSプロセスによって、HPは半導体産業の最初の4Kbit ROMを開発できた。モトローラは、ついにHP製品のセカンドソースとして働くことになり、NMOSプロセスを習得するために最初の商業半導体供給業者の一つになった。ヒューレット・パッカードのおかげであった。しばらくしてからスタートアップ企業インテルは、1102と呼ばれる1Kbit PMOS DRAMを発表した。1102はハネウェルのための特注品として開発された(ハネウェルのメインフレーム磁気コアメモリを置き換えようとした)。HPの電卓の技術者は、似たようなものを欲したが、HP 9800シリーズ(英語版)のためにより堅牢な製品を求めた。HPは、インテルのDRAMの信頼性、動作電圧、そして動作温度範囲を改善するためにHPの4Kbit ROMの製造経験を提供した。これらの努力は、大幅に進歩したIntel 1103 1Kbit PMOS DRAMに貢献した。1103は世界初の商業的に入手可能なDRAM ICであった。1103は、1970年10月に正式に発表され、インテルの本当に成功した最初の製品になった[9]
ディプリーションモードMOSFETディプリーションモードMOSFETの特性
ディプリーション負荷NMOSロジックにおいてVGS = 0Vの曲線だけを使う。ディプリーションモードなので、VGS ≦ 0で使用する必要がある。

初期のMOSFETロジックは、一つのMOSFETで構成されており、エンハンスメントモードだったので、論理スイッチとして動作することができた。適切な抵抗を作るのが難しいので、論理ゲートは飽和したMOSFETを負荷抵抗として使った。負荷抵抗として動作するMOSFETを作るためにMOSFETのゲート電極を電源(PMOSロジックの場合は負電源。NMOSロジックの場合は正電源)に接続することによって常にONさせる必要があった。その方法で接続されたMOSFETの電流は、負荷に印加される電圧の2乗になる。そのため、プルアップ時(出力High)は負荷に印加される電圧が低くなり、電流があまり流れないので、プルアップに時間がかかる。一方、プルダウン時(出力Low)は負荷に印加される電圧が高くなり、電流が増えるので、プルダウンは短時間で終わる。MOSFETを抵抗の代わりに使うよりも本当の抵抗(電流は電圧に単純に比例する)の方が良く、電流源(電圧に関係なく電流が一定)はさらに良い。


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