HISASHI
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漫画家・イラストレーターの「Hisasi」とは別人です。

HISASHI

基本情報
出生名外村 尚(とのむら ひさし)
別名トノ
生誕 (1972-02-02) 1972年2月2日(52歳)
出身地 日本青森県弘前市
学歴函館市立日吉が丘小学校
函館市立北中学校
北海道函館稜北高等学校
ジャンルロック
職業ミュージシャン
作曲家
作詞家
ギタリスト
担当楽器ギター
ターンテーブル
テルミン
ベース
活動期間1987年 -
レーベルLSG
共同作業者GLAY
ACE OF SPADES
rally

HISASHI(ヒサシ、1972年2月2日 - )は、日本ミュージシャンロックバンドGLAYギタリスト。本名は外村 尚(とのむら ひさし)。愛称はトノ。血液型はO型。身長168cm。体重53kg。既婚。

青森県弘前市出身で、1981年以降は北海道函館市で育つ。函館市立日吉が丘小学校、函館市立北中学校、北海道函館稜北高等学校卒業。Radio CarolineウエノコウジTHE MAD CAPSULE MARKETSMOTOKATSUTERUと組んだバンド「rally」のギターとリーダーも務める。

2012年、期間限定企画として、ボーカルにTAKAHIROEXILE)、ドラムに宮上元克、ベースにTOKIEを迎えたロックバンド「ACE OF SPADES」のギターとリーダーを担当。
経歴
誕生 - 小学校時代(1972年 - 1984年3月)

家族は両親と一歳年上の兄が1人。HISASHIが母のお腹にいるときに医者が「(性別は)女の子」と伝えたため、親は「みどり」と名づける心積もりでいたという[1]。幼い頃からゲームやメカが好きで、ラジカセなどを分解していた。自宅には、外科医であった父のオーディオルームがあった。両親からは立ち入りを禁止されていたが、こっそり入っては重厚なオーディオ機器に好奇心を刺激され興味を掻き立てられた。また、音楽との距離を縮め、現在までの基盤になった一因であるという。

出生は青森県弘前市だが、2歳で七戸町に、4歳でむつ市に移り住む。小学校4年生の頃、父の仕事の関係で、むつ市から北海道函館市に引っ越す。
中学時代(1984年4月 - 1987年3月)

ラジオでエアチェックしたロックミュージックに魅了され、音楽に没頭し、中学2年生の頃には、通販でギターを購入(初心者セットのストラトキャスターモデルと言われている)。音楽雑誌を友人に借りては読み、函館の店に置いていなかったレコードは兄に頼んで札幌まで買いにいってもらっていたこともある。バンドに興味を持ったきっかけは、兄やその友達に影響されている面がある。

中学在学中に父が病気のため他界した。
北海道函館稜北高等学校時代(1987年4月 - 1990年3月)

積極的にメンバーを集め、「蟻」というパンクバンドを組んだが1年で解散。高校2年生の頃に、同じ高校に通っていたGLAYのリーダーであるTAKUROと出会い、ツインギターの相棒を探していることを知り興味を持ち、GLAYに加入。卒業後は、家族と共に上京した。

実は、当時の先生から「バンドは無理だ」と言われたらしいが、本人は受け入れず続けた。ちなみに、TAKURO曰く「高校3年間でノートを1冊しか使わなかった」という[2][3]。不良生徒ではあったが体格が小柄であったため、TAKUROは「何かあっても勝てる」と踏んでHISASHIに接触したとのこと。
上京 - インディーズ時代(1990年4月 - 1994年5月24日)

コンビニやパン屋などの
アルバイトを転々としながらGLAYの活動を続ける[4]

1991年には、ベーシストが不在になり、短期間ながらベースを担当した。ライブで被っていた魔女帽がトレードマークであった。

メジャーデビュー後(1994年5月25日以降)
1994年


5月25日、「RAIN」でメジャーデビュー。

1998年


5月18日“pure soul”TOUR '98 北海道厚生年金会館での公演中に脚を骨折。それにより以後5会場が延期になるものの、骨折部分にボルトを入れ、5月30日大阪厚生年金会館からツアーに復帰する(ツアー終了後、入院)。この出来事をホテルメランコリー(別冊カドカワ内)というエッセイで語っているほか、「毒ロック」の歌詞にも含ませている。

1999年


同郷の一般人女性と結婚。

12月16日メンバープロデュース・ファンクラブ限定ライブの一環として、HISASHIプロデュース「RESONANCE Vol.1」を新宿CODEで行う。このライブで、VJ TEAM"e-メール"と初共演した(その後、GLAY ARENA TOUR 2000「HEAVY GAUGE」、GLAY DOME TOUR 2001-2002「ONE LOVE」でも共演)。なお、このライブには20歳以上限定という年齢制限があった。

2001年


愛用している「binary」とのコラボレーショングッズ、「HISASHI VS binary WネームTシャツ」をファンクラブ限定で発売。

2005年


8月26日DJを務めるラジオ番組の放送100回を記念して、『FM-FUJI CYBER NET CITY FULL METAL MIX 100回記念スペシャル』を富士急ハイランド園内サテライト・スタジオLAGOONで行う。

11月20日、新木場STUDIOCOASTで行われたcandystripperの10周年記念イベントの音楽・DJを担当。ギター演奏も披露する。

12月、rally名義でBUCK-TICK20周年記念のトリビュートアルバムに参加。

2009年


1月、MUSIC ON! TVにてレギュラープログラム『RX-72 ?HISASHI (GLAY) VS 茂木淳一?』がスタート。

4月17日、デビュー15周年を記念して行われるメンバープロデュースライブの中のひとつとして、HISASHIプロデュース『GLAY THE GREAT VACATION -extra- RESONANCE Vol.2』をディファ有明で行う。また、このライブはYahoo!動画にて生配信された。

7月、デザイナーの片山勇のドキュメンタリー映画『イサム・カタヤマ=アルチザナル・ライフ』が公開。映画全編のサウンドトラックをTAKUROとタッグを組み「AUDIO 2 AUDIO」名義で担当した(AUDIO 2 AUDIOの音源はCD化されていない)。

2011年


映画『EXILE PRIDE』のサウンドトラックをAUDIO 2 AUDIOとして担当。

5月、飯野賢治、元FIELD OF VIEW浅岡雄也らと直接スタジオに入らず、音楽ファイルのやりとりだけでレコーディングするバンド『NORWAY』を結成。ギターを担当[5][6]

2012年


7月1日、「EXILE TRIBE LIVE TOUR 2012 ?TOWER OF WISH?」最終公演・札幌ドームにて、期間限定企画として、ボーカルにTAKAHIRO、ドラムに宮上元克、ベースにTOKIEを加えたロックバンド「ACE OF SPADES」を結成。ギター兼リーダーを担当した。

2013年


9月14日千葉県袖ケ浦海浜公園で開催される氣志團主催の野外イベント「氣志團万博2013 ?房総爆音梁山泊?」のhideのステージに参加[7]

影響

初めて買ったレコードザ・ファンクスの入場テーマであるクリエイションの「スピニング・トーホールド」である[8]。好きなアルバムにはジャパニーズ・ハードコアのオムニバス『GREAT PUNK HITS』[9]や、『THE PUNX』[10]をあげている[8]。また、好きなアーティストはTHE WILLARDLAUGHIN' NOSE有頂天などのインディーズ御三家やANTHEMなどのジャパニーズ・メタルAUTO-MODとのこと[8]

自身の音楽傾向について、彼は

「社会的な背景とかではなく、スキャンダラスで危険な雰囲気があって、ぱっと見派手で、メロディラインがメロディアスでポップっていうと、もう夢中になりますよね。UKパンクも好きだったんですけど。」

と語っている[8]

文化面では、サンライズ宝島などのサブカルからの影響が強いとのことである[8]

ピッキングハーモニクスをよく好んで使用する。

使用ギター.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2010年10月)

Tokai

TALBOは長年愛用しているギターで、1999年2001年、そして2004年に行われたGLAY EXPOでは、「TALBO自慢コンテスト」を開催している。

Tokai TALBO PLATINUM BLACK
'97年頃から、最も多く使われているTALBO。3本所有している。黒を基調としているが、ボディは濃い紫色となっている。1997年当初は通常のPLATINUM BLACK仕様だったが、翌年ペグ、ストリングセイバー、ブリッジ、ノブに至るまで真っ黒に変更された。通称「黒タルボ」。中には光線銃を内蔵したものもあり、「ビリビリクラッシュメン」のソロで披露するのが定番になっている。ボディはアルミニウム製。ネックはメイプルネックでローズ指板、22F 648mm ロングスケールで、1997年当初はTokaiロゴが入っていたが、翌年になってロゴなしに変更。ピックアップはフロントがFernandes SUSTAINER、センターがBill Lawrence L-250、リアがDiMarzio PAF Pro。ペグはGotoh Mugnum-lock。ナットはSchaller ロック式。

Tokai TALBO LFO JET SPEEDER
青のクリアボディTALBO。ネックのポジションマークにLEDが埋め込まれていて光る仕様になっているのと、ボディーにある[LFO JET SPEEDER]のロゴとHISASHIの同じ柄のタトゥーのペイントがあるのが特徴。その他にも様々なスイッチやステッカーが後付けで加えられたギター。

Tokai TALBO CLEAR

Tokai TALBO PLATINUM BLUE

Tokai TALBO CRYSTAL

Tokai TALBO ALL CRYSTAL
ボディーから指板やネック、ヘッドに至るまで、全て透明のアクリルクリアで施されたTALBO。アルバム「ONE LOVE」のジャケットなどで姿を確認できる。

Tokai TALBO CRYSTAL BLUE
ボディが青く透けたアクリルのTALBO。'99年のドームツアー「GLAY DOME TOUR pure soul '99」でメインで使用。

Tokai TALBO TARBOSAURUS
何本か存在しており、#001は’99 GLAY EXPOで初登場。当時はサンバースト塗装だった。現在は、黒のオールラッカー塗装にレリック加工、黒のトレモロブロックに変更され、ボディにBLACK MONEYのステッカーが貼られている。

Tokai TALBO SABI

Tokai 仔TALBO

Tokai TALBO evoke / EVOLVE
2012年頃から使用。ブリッジにフロイド・ローズ・トレモロ(FRT)システムを搭載した、上記のPLATINUM BLACKの進化系。製作当時、24フレームのタルボは存在しなかったため、後から23F,24Fを付け足した。FRTシステムにより、激しいトレモロアーム操作をしてもチューニングが狂わないというメリットがあり、ライブでは欠かせない戦力だと語っている。ボディの基本カラーはどちらも黒だがHISASHIは「茄子の色」だと評している。evokeは赤よりで、EVOLVEは青よりの色とのこと。

Tokai TALBO Armored FRT-Sustainer HISASHI CUSTOM Hand Engraved
2014年頃登場。evoke,EVOLVEと同様に24F仕様、フロイド・ローズ・トレモロでありライブでは「黒く塗れ!」などでの使用頻度が高い。YouTube動画の「もってけ!セーラー服 ver.hisashi」でも使用。現在は、ピックガードがハーフミラーに変更され、ボディー全面にゼマイティスの様な手彫り彫金加工が施している。上記のArmored、evoke、EVOLVEの3機は「FRT 3兄弟」と称されており、2012年以降はタルボの中ではメインとして使用している。
ZEMAITIS

2002年頃から使い始めた。非常に高額なギターブランドであり、中には1,000万円もの値がつくものもある。

ZEMAITIS '94 METAL FRONT
2002年以降のHISASHIのメインギター。「My Buddy」と呼ぶほどの愛器。完全オーダーメイドで、複雑な彫刻を施したアルミ・プレートがボディ・トップに貼られている。ブリッジやテールピースも一つ一つアルミの削り出しによって作られた、ハンドメイド・ギターである。ハイ寄りの出力に特徴があり、ボディの鳴りをメタルプレートが押し付ける感じがダイレクトに伝わるという。ホンジュラスマホガニー製ボディで、ネックもマホガニー。


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